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映画『マイ・ジェネレーション』/可能性に満ちた「若さ」の街。
ずーーーーーっと観たかった映画!!
『マイ・ジェネレーション』をついに観ました!!!
本作のあらすじです。(映画.comより引用)
イギリスの名優マイケル・ケインがプロデュースとプレゼンターを務め、今なお世界中に影響を与え続けるイギリスの1960年代カルチャー「スウィンギング・ロンドン」を描いたドキュメンタリー。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーといった大物ミュージシャンをはじめ、モデルのツイッギー、ファッションデザイナーのマリー・クワントなど、6年がかりで50以上のインタビュー撮影を敢行。さらにジョン・レノンやデビッド・ボウイら伝説的パイオニアたちの貴重なアーカイブ映像も盛り込みながら、時代をリードした人々の証言を通して当時の熱狂を体感することができる。ブロードキャスターとして活躍するピーター・バラカンが日本語字幕監修を担当。
「スウィンギング・ロンドン」というのは、「1960年代のロンドンで生まれた、新たな若者文化。音楽やファッション、映画やライフスタイル」のことを指す。ロンドンは60年代には、間違いなく世界で最もクールで、夢見る若者がこぞって集まった街だったのだ。
この映画はその時代を彩った複数の才能ある人物たちが登場する。聞き手・プレゼンターは、『ダークナイト』シリーズの執事、アルフレッド・ペニーワース役でもおなじみのマイケル・ケインだ。
本作に登場するのは、音楽界からはビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ザ・フーのロジャー・ダルトリー、デヴィッド・ボウイなどなど。ファッション・俳優・写真界からはツイッギー、マリアンヌ・フェイスフル、マリー・クワント、ヴィダル・サスーン、デヴィッド・ベイリーなどなど。
これほどの錚々たるメンバーによる語りで、物語は進行していくんです。あぁ、すごい。すごすぎる。奇跡の映画だ…
60年代中盤というと、イギリスでは第一次ベビーブームで生まれた子供たちが、大学に入るぐらいの年齢になることです。そこで、ロンドンの街中には大勢の若者たちが溢れ、才能がぶつかりあっていました。
この時代を一つの言葉で表現すると、「反抗=プロテスト」と言えるでしょう。大勢の子供たちが「これからは俺たちの番だ!」と言わんばかりに、保守的な上の世代に反旗を翻し、今までとはまったく違った価値観をもって行動していくんです。
例えば、ビートルズなんかはそのいい例です。彼らは長髪(まぁマッシュだから現代的な価値観では長髪ではないんだけどね)で、エレキギターを持っていた。これら二つの要素は完全に「不良」の象徴なわけです。まず軍隊に所属していた一つ上の世代にとって、男の長髪など何よりもあり得ないこと。それにうるっさいエレキギターなんかは簡単に受け入れられるわけもないのです。
そういった上の世代の「苦情」に対して、様々な形で若者たちは返答していきます。映画のタイトルにもなっている『マイ・ジェネレーション』は、ザ・フーというバンドの曲名です。この曲で彼らは「俺たちがすることに、なにかにつけて言いがかりをつけてくるおっさん共、全員消えろよ」と言ってしまうのです。ついに、言ってしまうのです。そんなことを言ったばかりに、いやむしろ良いのです。この曲は、当時の若者の声を代弁するアンセムとなって現代にまで語り継がれています。
そしてファッション界では、マリー・クワントが「ミニスカート」を紹介し、爆発的にヒットさせました。これまではありえないほど短い丈。本来は見せるべきでない、女性の脚をこれ以上になく露出させることで、開放的なデザインに仕上げました。ミニスカートはもはやただのファッションではありませんでした。それは「女性の性の解放」をも意味していました。キリスト教の教義から、婚前交渉がありえないとされた価値観が壊されたのがこの時です。さらに避妊薬(ピル)が普及したのも同時期です。ちなみに日本では今でも一般には普及していません。嫌がらせなぐらい高額だからです。ですがロンドンには60年前ですらありました。ほんと情けないです。
話を戻しますが…このミニスカートをより普及させたのが、モデルのツイッギーです。
ツイッギーは当時まだ10代中ごろでした。しかし、彼女はそれまでのモデルとはまったく違った特徴を持っていました。細かったのです。今では「モデル=細い」など当たり前ですが、それまでは少しふくよかな、いわゆるグラマラスな体系のモデルがほとんどでした。しかし、ツイッギーの細身な体系、そして細い脚はミニスカートを穿くのにぴったりでした。彼女はかつての常識を覆し、新たなファッションモデルの常識を作り出したのです。
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そしてマリー・クワントの同業者として知られる、ヴィダル・サスーンも非常に重要な人物です。それまで一般の女性たちは自分で髪をセットすることができませんでした。なぜなら、そもそもショートヘアというモノ自体が珍しかったし、自分でセットできるような髪型というものはなかったのです。そのため、当時の「美容室」というのは、髪を切る場所でなく、髪をセットしてもらう場所でした。しかしサスーンはその常識を壊します。「髪を洗ったら、何もせずに出かけられるスタイル」、通称「ウォッシュ&ゴー」というものを生み出しました。これは現代の女性の髪形の基本ではないでしょうか。世の女性のほとんどが、朝起きて自分で髪をセットして、家を出ませんか?それはこのヴィダル・サスーンが根付かせた文化です。(出典)
ちなみにですが、当時のロンドンは(今もありますが)ソーホー地区にある、カーナビー・ストリートというのがファッションの中心地でした。当時のロンドンの若者はこの通りでファッションを楽しんでいました。そしてソーホーといえば、去年公開された『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』を思い出しますが、この映画も60年代のロンドンを描いていました。
そして若者の反抗=プロテストは、音楽やファッションなどのアートだけに限りませんでした。スウィンギング・ロンドンにおける、もう一つの重要な要素は「ドラッグ」です。当時からマリファナやLSDなどの危険薬物が横行していました。その影響として映画内で挙げられているのは、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉」でした。本作はハクスリー自身のLSD使用の体験記で、当時の若者に大きな衝撃を与えました。ちなみにこの本のタイトルから名前をとったバンドがドアーズです。
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ドラッグは当時の文化に大きな影響を与えました。ドラッグ使用の目的は「意識の拡張」でした。当時流行していた東洋思想や、新たな音楽の萌芽などもその流行の広がりに一役買ったのではないかと考えられます。
それにベトナム戦争(1955~1975)の影が迫ってきたというのも大きな要因だと思います。ある人は戦争の恐怖から逃れるため。ある人は反戦の意味を込めて。様々な意味合いがあったとは思いますが、ドラッグが滅ぼしたのは戦争ではなく、人間でした。
そして、スウィンギング・ロンドンは突然終わりました。
60年代の終焉という、ひどく単純な区切りというのもあったとは思いますが、ドラッグの蔓延による弊害、戦争の激化などの社会的・政治的な理由から、ビートルズの解散、ローリング・ストーンズのメンバーのブライアン・ジョーンズの死(ドラッグが原因だと考えられる)などの文化的理由もあるでしょう。夢のような一瞬の輝き、彼らの青春は終わりを告げました。
60年代のロンドンは僕にとって永遠のあこがれの地です。「60年代」と「ロンドン」を切り離すのは嫌です。「60年代のロンドン」がいいのです。カラフルで情熱的でありながらも、どこか退廃的な魅惑の街。絶対に訪れることのできない、確かに存在した、奇跡の街です。
この映画はローリング・ストーンズの"You Can't Always Get What You Want"をバックに終わります。僕にとってこの曲は、「終わり」を感じさせる曲です。実際、69年に発表されたので60年代を描いた映画の最後を彩るのにぴったりなのですが、このタイトル、訳すと「いつだって望むものを得られるわけではない」というもの。まるで夢を追って若者が集まった、かつてのロンドンを表しているようです。非常に的を得た、美しいタイトル。この曲で終わった時点で、100点満点の映画です。最高!!
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