性科学を学ぶ-その8-セクソロジーと障がい
今回は、『Sexology the basics』の1章 性科学とは何か?から、『セクソロジーと障がい』を学んでいきます。
障がいをもつ人にとっての性とは
私の身近には障がいと共に生きる人は現在いません。街角で障がい者を目にしたとき、その人の「障がい」(例えば視覚障害)だけにフォーカスした眼差しを向けてしまっていることは少なくありません。
ただし当然彼らも、当の障がい以外の部分は我々と同じように働くのであって、それは性の側面についてもそのはずです。例えば健常者と同じように性的欲求を感じたり、あるいは反対に同じように性嫌悪を感じたりもすることともあると思います。一方で中には、sexすることに影響が生じるような障がいを実際にもつ人もいることでしょう。
さらに、健常者と同等というよりも、障がい者には、健常者が生活する上でベストとなるように作られた「この世界」で生きている、という更なるハードルが存在します。従って、それらからのストレスを受けることで、性生活に、あるいはパートナーとの親愛なる関係に、健常者よりもしばしば影響が生じうる、ということだと思います。
もしパートナーに障がいが生じたら、sexどうする?
ただどうも、第三者目線で語ってしまっています。なので、もし”自分のパートナーが障がいと共に生きていくことになった”と仮定したとき、目の前の相手と自分はどのような「性的な関わり」をもつことができるのか、互いにとっていいのかを考えてみたいと思います。
次のようなシチュエーションが想定されます。
・(障がいのある)パートナーが私とsexしたいと感じている。
・(健常者の)自分もsex自体はしたいが、パートナーに性的魅力を感じるかというと正直そうではない。どうしても障がいの部分が気になってしまう。
相手のことを、ケアする対象・大事にする対象と捉えてしまい、(少なくとも私個人にとって)性的な魅力を生む「自分と相手の対等さ」みたいなことらから遠ざかってしまうかもしれません。ではこの感情を押し殺して義務的にsexすれば万事OKなのか。いずれ無理が来るはずです。
ポイントは、まず相手はsexしたいのだと受け止めること。これは単に性処理的なことではなく、これまでsexからもたらされていた全ての要素、例えば肉体的快楽、愛情、リラックス、好奇心等を複数含んだ体験をしたい、そのことを受けとめるということです。次のポイントとして、自分の性的感情も尊重し義務的に応じることはしないこと。
あくまでマインドセット的なレベルではありますが、この2つの意識が欠かせないのではないかと思います。
とはいえ、意識や考え方だけでsexは始まらない、性的な気分は起こらないものです。となると、やはり試行錯誤になるのでしょう。
パートナーが許容できる性的ふれあいの仕方を試す、その時の性的感情が自分とパートナー双方でどうなるかを確かめる。いろんなパターンを試し、そのどこかで性的感情が少しでも高まる場面があれば、それに近い仕方をまた試していく。というように。
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目の前の障がい者との性的ふれあいをどうすればいいのか。これはある意味で、障がいのない人同士の性的ふれあいと、根本的な違いはないようにも感じます。というのも、カップル二人の性的欲求が高いままの期間がずっと続くことは多くなく、結局二人の間の性的感情の、動きゆくアンバランスさみたいなものとどう向き合っていくか、に変わりはないと思われるからです。
さて今回のテーマ、「セクソロジーと障がい」学んだことで、なにも障がい者の性は特異なものではなく、障がいを持たない人の性との違いは少ない、連続的につながっているものなのではないか、このような理解になりました。
最後までお読みくださりありがとうございました。次回は『交差性 (Intersectionality)』について学んでみます。
参考文献
[1]Silva Neves 「Sexology the basics」Routledge社
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