なぜ、今、サッチャーなのか ~鉄の女の神髄~

 サッチャーについてはイギリスでは意見が真っ二つに分かれる。好きか嫌いかのどちらかだ。
 イギリス生活13年目を迎えるまで、イギリス人が誰かの死をきっかけに、これほど感情的になり、意見を闘わせるのを見たことがなかった。それは日本人に「あなたは安倍首相が好きですか、嫌いですか」と尋ねるのとは全く訳が違う。私の友達の一人は「サッチャーを賛美するのは、ヒトラーを崇めるのと同じ」とさえ言った。今まで仲の良かった友達でさえ、サッチャーについて意見が違うと、急に敵対意識を露わにしたり、冷ややかな態度を示した。アイルランドや朝鮮半島、東西ドイツの悲劇というのはこういうことだったのかと納得したほどである。さすが国民を分断した政治家と言われるだけのことはある。これを経験してからというもの、サッチャーをヒトラー呼ばわりした友達との間では、彼女の名前が禁句になったほどだ。
 そんななか気づいたことがある。サッチャーを好きか嫌いかというのは、1つのバロメーターだということだ。好きと言うか嫌いと言うかで、その人の位置づけが決まる。その人は気づいていないかもしれないが、彼もしくは彼女が自分をどのような社会的集団に結びつけているかが分かる。勿論、ただ単に生理的に受け付けないという人もいるかもしれない。それはそれで、その人についての何かを物語っている。或いは「サッチャーなんかには興味がない」という若者たちもいる。彼らだって、サッチャーが築いた礎の上で暮らしているというのに。
 というわけで、サッチャーの死は、実はイギリス国民に関する多くのことを明らかにするきっかけである、と考えるに至った。彼女を巡る論争をきちんと分析すれば、イギリス社会の内情をより一層、理解できるはずであると。
 実は1990年代初め、私はアメリカの大学院にいて、指導教官の下、サッチャー政権の教育政策に関する修士論文を書いていた。私が留学したウィスコンシンというのはアメリカの中でもリベラルな中西部(Mid West)にあり、ウィスコンシン大学マジソン校の教育学部ではメインストリームに対する批判的アプローチが中心だった。他にも合格したなだたる大学を蹴って私がここを選んだのは、10代の時に愛読していたアメリカの小説の舞台がたまたまウィスコンシンで、そこに住んでみたかったからで、そういった土地柄であることは行ってみてから思い知ったことだった。
 そんな場所だけあって、私の周りの学生はレーガン元大統領を危険人物呼ばわりしていた。彼らはレーガンと仲良しだったサッチャーについても同じような印象を持っていただろう。私の指導教官も「サッチャーはありえない」というスタンスで、私も彼女の政策に批判的な論文を書くほかなかった。当時の私は、なんだかよく分からないけど、サッチャーは悪者、サッチャーはひどい、という観念を植え付けられた。彼女をあからさまに庇おうものなら、この教官あるいはこの大学院にいることはできなかっただろう。
 そんな風にして私はサッチャーを批判する論文を書き上げたわけだが、その頃から私は自分の書いたものに違和感を持ち、あることにうっすらと気づき始めていた。論文に書いた個別の事実は間違っていない。けれど、サッチャーという人物やその政策を本当に理解するためには、そのような一方から見た情報や分析では充分ではないのではないかしら、と。もっと当時の社会全体を見る必要があるのではないかと。
 あれから20年以上経ち、その半分以上をイギリスで暮らした私がサッチャーを端的に表現するとすれば、「当時、誰かがやらなければならなかったのに、誰もやらなかったことをやり遂げた人」となるだろうか。これを理解するためには、サッチャーが首相に選ばれる前のイギリス社会がどのようなものであったかを知る必要がある。
 サッチャーのやり方には賛否両論ある。確かに彼女は、それを言ってはおしまいでしょう、という発言もした。だが、それらが何の脈絡の説明もなく取り上げられるのは公正なのか。その人が何故そう言ったのか、その前にどういう会話の流れがあったのか、何がサッチャーにそこまで極端なことを言わせたのか、ということを考えてみてもいいのではないだろうか。
 政策についても同様である。何故それまで誰もイギリスの末期的状況に対し、手を打てなかったのか。それをすれば敵を作ることを誰もが知っていたからではないか。人から批判されても自己の信念を崩さず実行するのは、誰にとっても容易ではない。サッチャーはそれを厭わなかった、どんな非難を受けても揺るがなかったという点で、どの政治家とも異なるのである。その強固な姿勢に、ある者は鼓舞され、ある者は遠のいていった。鉄の女の神髄はここにある。まさにここがサッチャーに関する人々の分岐点であり、私が関心があるのはそこである。それは、それぞれの人のアイデンティティとも言い換えることができる。この本で明らかにしたいのはそこの部分であり、その辺りを詳らかにすることで、イギリス社会の構造が見えてくると考えるからである。
 2020年に入り、世界はパンデミックに襲われ、今ほどリーダーシップが論じられ、求められている時はない。そのような時だからこそ、サッチャーの政治を改めて研究する価値はあるのではないだろうか。
 その前に、まずサッチャーが登場した頃のイギリスの社会的背景を見ておこう。サッチャーが首相になったのは1979年である。そこに至る1970年代のイギリスとは、どんな社会だったのだろうか。

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