サッチャーはなぜ「社会というものは存在しない」と言ったか
サッチャーを嫌う人たちが必ず引き合いに出して批判する彼女の発言がある。その1つが「社会というものは存在しない」というものである。彼らはこの言葉こそ、サッチャーが社会よりも個人主義を重視していた証拠だという。
NHKのサッチャー追悼の特番でも、「彼女の有名な言葉に『社会というものはない、あるのは個人だけである』という言葉、これがすべて示しているんですけれども、個人の競争というものが必要であって、そこにおける、ある意味、構造改革の敗者というものに対しては、必ずしも温かい目をむけていたわけではない、というところですね」という解説がなされていた。
2010~15年にキャメロン連立政権の副首相を務めた元自由民主党党首のニック・クレッグも国会でのサッチャー追悼演説で、「20歳の時、サッチャーが『社会というものは存在しない』と言ったというのを読んだ時のことを今でも鮮明に覚えている。僕は驚いた。これは理想に燃える社会人類学専攻の学生が聞きたい言葉ではなかった」と述べた。
この「社会というものはない」という言葉は、1987年に『ウーマンズ・オウン』という女性誌のためにサッチャーが行ったインタビューの中から引用されている。ただ、原文を読めば、彼女が全く今の解釈とは逆の意味でこの発言を行っていたことが分かる。それが明らかになるため、ここに引用してみたい。
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多くの大人や子どもが「私が抱えている問題を何とかするのは政府の仕事だ」とか「問題を解決するために助成金を貰おう」「ホームレスだから政府が家を支給してくれるはずだ」といった具合に状況を捉え、自分たちの問題を社会というものにぶつけてきました。
でも、社会って誰でしょう? そんな人はいません! この世に存在するのは個々の男性と女性であり、家族であって、政府はこれらの人々を通してしか物事を成し遂げることはできず、人々はまず自分で何とかしなければならないはずです。自分で自分の面倒をみて、その上でさらに近所の人を助けたり、世話をすることが、私たちの義務なのです。
人生とはお互いによって成り立つビジネスです。近頃の人々は義務も果たさず、権利のことばかり考えています。最初に義務を果たさなければ、権利などありません。手当や、病気の時でも助けてもらえるという安心が、悲劇を生み出している。それはつまり、不幸な人たちを助けるはずの手当の多くが、「これでもう安心。この保険が面倒をみてくれる」というふうに認識されていることです。最初の目標は違ったはずです。
どういうわけか、このシステムを悪用している人たちがいて、それらの手当の意図が「仕事が見つからなくても、最低限の生活を保証しましょう」というものだったのに、「仕事をして何の意味があるんだ? 失業手当と変わらない給料しか貰えないというのに」と言う人たちがいる。
でも、よく考えてご覧なさい。失業手当という魔法の財布があるわけじゃない。それを負担しているのはあなたの隣人であり、自分で生活費が稼げるなら本当はそうすべきであり、そうすることで、あなた自身、もっといい気分になれるはずです。(中略)
子どもたちに何か問題があれば、人はやはりそれを社会のせいにする。社会なんてものはありません。そこにあるのは、生きている男たちと女たちのタペストリーのようなものです。そして、タペストリーの美しさや私たちの生活の質は、私たちそれぞれが、どれだけ自分に責任を持つ準備ができているか、どれだけ自分たちの努力によって不幸な人たちを助けることができるか、それにかかっているのです。
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サッチャーは人々が何でも「社会」のせいにして、自分で問題を解決しようとしないイギリスの依存体質を糾弾するために、「(あなたたちが考えるような都合のいい)社会なんてものはありません。自分の頭で考えなさい」と言いたいがために、「(そんな都合のいい)社会というものはない」と言ったのである。
自助努力ができたら、困っている人を助けなさいと言っている。決して個人主義を説き、周囲の人をないがしろにしろなどとは言っていない。サッチャーにとって大切なものはまず家族であり、そこからコミュニティの助け合いが欠かせないと考えている。政府が人々の生活に拘ってくるのはその先であるべきで、個人の生活で第一に必要なものが政府であってはならないということである。
サッチャーの時代に育ったある男性は、彼女の言いたかったことをうまくまとめている。「サッチャーが教えてくれたことは、自分の行動や運命に責任を持つのは、まず自分自身であるということ。それがうまくいかなくても、国や政府を責めないということ。なんといっても自立する必要があるということだ」。
失業者が200万人に膨れ上がった1981年、ロンドン南部のブリクストンで黒人らによる暴動が起こった。その時、サッチャー政権の雇用大臣だったノーマン・テビットは次のような発言をした。
「1930年代の失業は今よりずっとひどかった。そんな時代、私は無職だった父の元で育った。父は職がないという状況に対して暴動を起こす代わりに、自転車に乗って仕事を探しにいった。何かを見つけるまで、彼は探し続けた」
それから50年後、人々の意識は変わってしまった。サッチャーはこのような自立精神が甦ることを期待したのだ。
このインタビューでは、サッチャーは興奮して思いの丈を一気に喋っている節がみられ、全体的にやや乱暴な言い回しとなっている。忙しい合間を縫って行われた懇談といった感じだったのだろう。恐らく彼女としては同じことを何度も繰り返し主張してきたつもりだし、ここにきてその言葉尻だけが捉えられ、全く正反対の意味に解釈されるなどとは思ってもみなかったはずだ。サッチャーが伝えようとしたことにきちんと耳を傾けてきた人であれば、この発言の取り上げられ方について疑問を持つはずである。この言葉から単純にサッチャーを批判する人は、彼女のことを殆ど知らないか、或いは耳を塞いでいたと言っていいかもしれない。