第1章  サッチャー以前のイギリス    憧れと願望の時代            映画『小さな恋のメロディ』:人生は11歳で決まる

「若くても保守的であれば、その人には優しさが足りない。年を重ねても自由主義を唱えている人には、知恵が足りない」(サー・ウィンストン・チャーチル)

 『小さな恋のメロディ』は1971年のイギリス映画だ。あまりにも日常の風景が描かれていたテレビ映画だったからか、本国では箸にも棒にもひっかからなかったようだが、日本では爆発的人気となった。この作品は後に『炎のランナー』や『キリング・フィールド』などを送り出し、イギリスを代表するプロデューサーの一人となるデイビッド・パットナムと、こちらも後に『ミッドナイト・エクスプレス』や『フェーム』などでイギリスを代表する映画監督の一人となったアラン・パーカーの最初の共同作品でもある。しかも音楽は人気グループだったビージーズ。公開当時、この作品を高く評価した日本人は先見の明があったのかもしれない。日本では何度もテレビ放映された。私もこの映画を観た回数は数えきれない。70年代に「好きな映画は?」と聞かれたら『小さな恋のメロディ』と答える若者は少なくなかったようだ。
 この映画のどこがそんなに日本人を引きつけたのか。それは現在のように海外旅行がまだ一般的ではなく、現地の情報も殆どなかった時代に、ビートルズやローリング・ストーンズなどのロックやポップ音楽、ファッションなどが流入し、イギリス文化に憧れを抱いていた日本人が、ロンドンのごく普通の人々の暮らしを、愛らしい思春期の子供たちの物語を通して垣間みることができる作品だったからだ。当時のロンドンの街並みや子供たちが墓地を駆け回ったりする風景がとても新鮮で、エキゾチックで、ロマンチックだった。日本人にとってはまるでロンドンのプロモーション・ビデオのような作品だった。自国ではヒットしなかった映画が、そういった理由で他の国ではヒットすることは少なくない。
 殆どの日本人が知らないのは、この映画の主人公のダニエル(マーク・レスター)とメロディ(トレーシー・ハイド)の年齢が11歳に設定されたのには、たいへん大きな意味があったということだろう。当時、イギリスにおける11歳とは、人生を左右するたいへんな年だったのだ。
 イギリスには1944年から70年代半ばにかけて、3部構成の中等教育制度とイレブン・プラスというIQ(知能指数)及び学力(英語と算数)試験があった。全ての児童は11歳になると、イレブン・プラスを受け、その得点に応じてどの学校に行くか振り分けられた。上位およそ25%は大学受験が可能なアカデミックなカリキュラムを学ぶグラマー・スクール、科学・技術・工学系に進学を希望する子供たち(全体の5%)のためのテクニカル・スクール、そして、殆どの子供たちは実務的な勉強をするセカンダリー・スクールに進学した。一旦、この流れが決まったら変更はできない。11歳で人生が大方決まってしまっていたのだ。
 ところが、アッパー・ミドルクラス(中流階級の上)の児童の半数がグラマー・スクールに進学しているのに対し、ワーキングクラス(労働者階級)の子供は10%しか入っていないといった事実が明るみになるにつれ、環境的要因が知能や学業での成功と関連があることが指摘され、議論され始めた。イギリスは1920年代から保守党と労働党の二大政党制だったが、これは社会主義を推進する後者にとって重要課題となった。もしも環境的要因がワーキング・クラスの子供たちの足を引っ張っているとしたら、この制度そのものが不公平なのではないか。これは「ワーキング・クラスの子供たちにもグラマー・スクールの教育を」という運動となり、労働党政権の下、1960年代からコンプリヘンシブ・スクール(総合性学校)設立が推し進められるようになって、3種類の学校もここに吸収されていった。
 コンプリヘンシブ・スクール運動が最も活発だったのは70年代で、60年代半ばには10%に満たなかったコンプリヘンシブ・スクールに通う就学児童は、70年代後半には80%近くにまで増加している。『小さな恋のメロディ』が製作された1970年といえばまだその過渡期で、全国には3部構成の制度とコンプリヘンシブ・スクールが混在していただろう。映画の舞台となっている中学校は、ダニエルのような中流階級とメロディやオーンショウ(ジャック・ワイルド)のようなワーキング・クラスの子供が混ざっているコンプリヘンシブ・スクールであり、ドラマはまさに異なる階級に属する子供たちが接点を持つことから始まるのである。
 『小さな恋のメロディ』はコンプリヘンシブ・スクールのジレンマを見事に突いている映画でもある。コンプリヘンシブ・スクールは、ただ11歳の人生の選別を数年遅らせただけであり、公平性を掲げながら、やる気のない生徒にも能力主義を強いている。自分の生きている世界のリアリティとは全く相容れないアカデミックな勉強に無関心のオーンショウ。彼の態度は周りの生徒にも影響を与えている。歴史の授業中、素朴な疑問を発したオーンショウに、おっかないディックス先生が「お前のような者のために頭のいい生徒の足を引っ張るわけにはいかない」と叱責するシーンがある。結局、子供たちは学校内で「できる子」「できない子」というレッテルを張られ、それを引きずりながら思春期を過ごすことになるのである。
 だが、イギリス社会の不公平の最たるものがあるとしたら、3部構成制度とコンプリヘンシブ・スクール改革の傍らで、エリート教育機関であるパブリック・スクールがその影響を受けずに存在し続けたことだろう。パブリック・スクールとは中高一貫の特権的私立学校だ。起源は中世の慈善学校で、19世紀に授業料さえ払えば全国どこからでも入学の門戸が公(おおやけ=パブリック)に開かれている学校と定義され、私立だがパブリック・スクールと呼ばれている。伝統ある寄宿制の学校で、授業料は年間数百万円に及ぶ。ここで教育を受けているのはイギリス全体の5%の子供たちだが、このたった5%が、長年、イギリスで最も権威ある大学のオックスフォードとケンブリッジの入学者の半数を占めてきたのである。
 こうした社会の根本的不平等について、脚本を書いたアラン・パーカーがオーンショウに語らせているシーンがある。「この世には勝ち組と負け組がいるんだ」。ダニエルが「誰がどっちになるかは誰が決めるの?」と聞き返す。オーンショーが答える。
「俺だって分からないさ。だけど、俺たちがこの世に生まれる前に決まってるんだ。つまり、天にいるあいつさ。奴が『そこのお前、お前は3回転ジャンプで超人気者になる。そして、そっちのお前、お前は全くの役立たずだ!』って具合にね」。
 1950年代からイギリス経済は下降と衰退の一途を辿り、70年代には末期的状況を迎えることになる。そうした時代の空気や閉塞感も子供たちは敏感に感じていたに違いない。11歳のダニエルとメロディが最後に駆け落ちし、どこまでもトロッコを漕いでいくラストシーンは、社会や学校で既に決められたレールの上を押し流されていくのではなく、自分たちでレールは選びますという叫びが込められていたのである。

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