第2章  国民の渇望がサッチャーを呼んだ  危機また危機:組合に支配されるイギリス


 アウトプットの平等を謳う制度の下では、勤勉であることへの評価は自然に薄れてしまう。そのような環境では、人は結果の不平等の改善を主張することでしか、自分たちの状況を変えられないと考え始めるのである。英国病の主な原因の1つである労使関係の悪化も、こうした背景から生まれたものであるといえるだろう。
 1950~60年代にかけて、イギリスのワーキング・クラスは社会主義思想の下に団結し、労働組合は国内で最も強い実権を掌握する組織の1つとなっていった。70年代には600以上もの組合組織が存在し、総労働人口の半分にあたる1,100万人がなんらかの組合に所属していたという。なかでも組合組織の殆どが加盟する労働組合会議の委員長は、国内で最大の権力を握る人物の一人だった。
 労働者が自分の持つ技能の価値を正当に評価してもらい、それに見合った適正な賃金を確保するという名目から、イギリスでは職業別組合が発達・定着した。事業主も現場に必要な技能を持つ労働者を確実に見つけることができるため、労働組合から従業員を雇う「クローズド・ショップ」という制度が根付くようになった。人材派遣という役割を担うようになったことも、組合が強大になった原因の1つだった。雇用主と組合は、敵対しながらも、もたれあう関係にあったのである。
 60~70年代にかけて、イギリスは激しいインフレに悩まされるようになる。その原因の1つは人件費だった。ひとたび物価が上昇すれば、それを理由に組合が物価上昇率以上の賃上げを要求する。賃金を上げれば、再び物やサービスの値段は高くなる。それを理由に組合がまた賃上げを要求する、という悪循環が発生していた。政府は戦時中から行われてきた「価格所得政策」を取っていたが、インフレは一向に収まらず、60年代末には失業者数は100万人を超えた。
 この価格所得政策はなるべく賃上げを押さえ込もうとするものであったため、組合の企業(基幹産業は国営化されていたから、つまり政府)に対する不信感を強める要因となった。組合はかつてないほど組織力を高め、過激になっていく。当時、ストの90%は何の前触れも予告もなく行う抜き打ちの山猫ストだった。取引先や関連企業の労働者が協力するセカンダリー・ピケティングも珍しくなかった。しかも組合は労働争議で会社にどんな損失を与えても罰せられないという特権すら保有していた。
 この労働争議が政府と組合の間だけで済むことならまだしも、それが噴出する度に国民が巻き込まれた。国営産業の従業員がストを決行すれば、その製品やサービスは全国的に滞った。
 森嶋氏は『イギリスと日本』のなかで、世界主要8カ国の1967~76年の10年間の主要産業(鋼業、製造工業、建設業、運輸業)の被雇用者一人当たりのストライキによる損失労働日数を比較している。オーストラリアやアメリカ、イタリア、カナダでは年平均1日以上であったのに比べて、イギリスは一日未満であるとしながら、「労働組合の構成は各国同じではありませんから、同規模のストライキからこうむる被害は、企業別労働組合である日本よりも職種別労働組合であるイギリスの方が、ずっと大きいとみなければなりません」と結んでいる。
 森嶋氏の言う通り、イギリスは職種別の労働組合が幅を利かせていた。看護婦がストライキを起こせば、医療システムは一斉に機能しなくなるほどの死活問題だった。
 争議の内容も多岐に渡っていた。ストだけでなく、わざと遅刻や早退をする、金曜の午後は帰宅、勤務中の居眠り、休憩時間を長めにとる、自分の担当以外の仕事はしない、残業拒否、その他の怠慢業務といった方法も横行していた。組合員が一斉にこうした行動を取るだけで、かなりのインパクトを与えることができた。森嶋氏の提示した比較にはこうした様々な怠慢勤務は反映されていない。彼はイギリスに長年暮らしながら、こうした実態を知らなかったのだろうか。
 イギリスでは異業種の組合同士の連帯感も非常に強かった。山猫ストが一瞬にして数万人のストに発展した。60~70年代イギリスの労働運動は、その影響力という点で群を抜いていた。
 1964~70年の労働党のウィルソン政権下で山猫ストがエスカレートしたため、時の政府は28日間の猶予を置かずに山猫ストを行った労働者に罰金を科す法案を発表した。もちろん労働組合会議はこれに反対し、ウィルソン首相は総選挙で国民の審判を仰ぐことを迫られた。世論調査では労働党の支持率は高かったものの、経済の舵取りに国民が不安を抱き、エドワード・ヒース党首率いる保守党に勝利をもたらした。
 現在、イギリスで活動している政治家に70年代に戻って首相をやりたいかと尋ねたら、誰もが尻込みするかもしれない。それぐらい70年代は統制不能の時代だった。
 1970年に政権の座についた保守党のヒース首相は、3年半の在任中、労働組合に振り回され、エリザベス女王に5回も非常事態宣言を出させている。たとえ時代が混迷を極めたとはいえ、これは同じ保守党のエスタブリッシュメントたちにとっても、ばつの悪い経験であったに違いない。
 最初の非常事態宣言は1970年に港湾作業員が2週間のストライキを起こした時に出された。当時、イギリスは食糧の多くを輸入に頼っていたが、ストにより輸出入貨物を扱う港湾の75%が閉鎖された。ヒース首相は貨物の積卸しのため3万6,000人の兵士を出動。このストライキは当時の金額で5,000万ポンドの損失を出したといわれる。
 70年代にイギリスに暮らした人たちに当時の生活について思い出すことを尋ねれば、必ず「停電」という答えが返ってくる。港湾作業員のストから5ヶ月後、12万5,000人の電力会社作業員が怠慢勤務(出勤しても仕事をしないこと)を実行し、電力が不足し始める。これを受け、政府は広告・看板の照明の使用を禁止した。女王は再び非常事態宣言を発表したが、この事件は70年代にかけてずっと続いていく大混乱の、ほんの始まりに過ぎなかった。
 1971年、ヒース首相は組合の暴挙をコントロールするため、労使関係裁判所を設立しようとしたが、この試みも失敗に終わる。72年に港湾作業のオートメーション化に反対し、複数の倉庫でデモを行った港湾作業員のうち、5名が逮捕されたが、これに憤慨した4万7,000人の港湾作業員が任務をボイコット。港湾が閉鎖されただけでなく、炭坑作業員、空港作業員らも便乗して抗議ストを開始した。さらに労働組会会議が、全国の組合員を動員して一斉ストを行うとまで宣言する。これに怯んでしまったヒース首相は、逮捕した5名を解放してしまったのである。
 こうした大きな事件の前後や合間にも、ガス、鉄道、建築現場、ゴミ回収人、郵便局員、刑務所職員らのストが次から次へと起こっていた。加えて学生運動も全盛期で、どこを見渡しても社会は機能不全の様相を呈していた。
 抗議行動は労働者の勤務スタイルの一部と化していた。職場の備品を要求するため、少数の同僚が結託してストを行うなど、ほんの些細なつまらないことで、まるでゲームのように抗議行動を起こすことも珍しくなかった。
 ニュースはストの記事で埋め尽くされ、新聞に「混乱」とか「危機」といった見出しを見ない日はなかった。電話が通じないこともしょっちゅうで、明日、ゴミが回収されるのか、地下鉄が走っているのかどうかも定かではなかった。国民は日々、試練を与えられた。
 なかでも政府にとって最も手強い組合は、炭坑労働者組合だった。当時、イギリスの炭坑では26万人が働いていたが、全炭坑の負債額は7億ポンドにも上っており、しかも半数以上の炭坑には安全面で不備が見られた。
 1972年、炭坑労働者たちは30%もの賃上げを要求し、国内289カ所の炭坑が休眠した。4万人の炭坑労働者が日替わりでピケを張り、作業を再開しようとする労働者がストを破らないよう監視した。他の組合も協力し、バーミンガムでは非炭坑組合員10万人がコークス(石炭燃料)の倉庫を封鎖した。女王は非常事態宣言を発し、組合の要求は全面的に受け入れられた。
 翌年の73年、炭坑労働組合は再びインフレに伴う賃上げを要求する。これが受け入れられなかったため、組合は組合員に怠慢勤務を奨励。電力会社の組合や鉄道組合も味方についた。当時は燃料の46%を石炭に頼っており、このアクションで電力の生産は40%も減少した。
 さらに、ここへきてオイル・ショックが起こり、追い打ちをかけた。物価が全面的に跳ね上がり、石炭の値段もつり上がった。ヒース首相は石炭の使用を抑えるため、週3日体制を発令する。これは産業・社会活動の電力消費を週3日に制限するというものだった。電力は戦時中のような配給制になった。
 週3日体制は74年初めから実施された。暖房が止まり、寒さで学校が閉鎖になった。作業員が毛布にくるまって作業をする職場も現れた。運行するはずの列車の80%がキャンセルになった。繁華街は暗闇と化し、テレビは10時半に放送を終了した。
 ヒース首相は16.5%の賃上げを提示したが、炭坑労働組合は納得しなかった。非常事態が続くなか、ヒース政権は総選挙を迫られる。選挙のテーマは「誰がイギリスを統治しているのか」。選挙運動でヒース首相は「こんな状態はもう沢山。それを彼ら(組合)に示してやりましょう!」と訴えた。
 選挙に勝ったのはウィルソン党首の労働党だった。国民は一度はウィルソンを諦め、ヒースを選んだのだが、彼も組合を制することはできなかった。国民はこの選挙で、組合とつながっている労働党なら、今度こそ組合員をうまくコントロールしてくれるかもしれない、という一縷の望みにかけたのである。組合が国を支配する。それがイギリスの70年代だった。


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