(小説)オムライスの魔法【第1章: 不思議な常連客】
秋の風が心地よく吹き抜ける9月下旬、私はいつものように「カフェ・アッシュ」のアルバイトに向かった。ここで働き始めて半年が経つけれど、この小さな洋食店は私にとってもう一つの家のように感じられていた。
お店に入ると、木を基調とした温かみのあるインテリアが迎えてくれる。カウンター席とテーブル席が整然と並び、星野夫妻がいつも穏やかに微笑んでいる。その日も、お昼の準備をする樹里さんの姿が目に入った。
「おはようございます、桃ちゃん。」
「おはようございます、樹里さん。今日もいい天気ですね。」
樹里さんは、いつも落ち着いた声で私に声をかけてくれる。彼女はお店の女将さんとして、しっかりとお店を切り盛りしていて、私にとっても頼れる存在だ。
お昼時が近づくにつれ、店内は少しずつ賑わい始めた。カウンター席には常連のサラリーマンたちが並び、オムライスの香ばしい香りが漂う。そして、彼がやって来るのは、いつもこの時間帯だった。
「いただきます。」
その声は、他のお客さんとは違って大きく、はっきりとしている。顔を上げると、いつものようにカウンター席に座る若い男性が目に入った。彼は、この店の常連だ。お昼休みの時間に、いつも同じメニューを注文し、急いで食事を終えてしまう。けれど、彼の「いただきます」と「ごちそうさま」の声は、いつも他の誰よりも大きくて、それがなぜか気になっていた。
その男性は、無口で表情があまり変わらない。でも、あのはっきりとした声を聞くと、彼がこの店の料理を心から楽しんでいるのだと感じられる。それが、私にはとても嬉しかった。
「今日は、オムライスですね。」
私はオムライスを運びながら、いつもより少しだけ声をかけてみた。男性は、少し驚いたように私を見上げ、軽く頷いた。
「ありがとうございます。」
その返事もやはり真面目で、敬語だった。星野さんたちにも、私や綾乃さんにも、彼はいつも敬語で話す。そんなところも、彼の誠実さを感じさせる。
男性は、オムライスにフォークを入れ、急いで食べ始めた。彼が食べ終わるまで、いつも時間がほとんどない。だからこそ、私は彼がどうしてこんなにも急いでいるのか、不思議に思い始めていた。
「ごちそうさま。」
食べ終わると、彼はいつも通り大きな声でそう言い、急いで席を立つ。会計を済ませ、急ぎ足で店を出る後ろ姿を見送りながら、次第に彼のことをもっと知りたいという気持ちが芽生えていくのを感じた。