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荒磯忌

8月17日は『荒磯忌(ありそき)』です。
 
この日は、小説家・詩人である高見順の忌日(1965年)となります。
 
高見順は、1907年1月に福井県三国町(現:坂井市)に生まれています。
父親は、阪本釤之助(福井県知事)、母親は高間古代で、婚外子となっています。

高見順が1歳になる頃には、母親に連れられ上京しており、実父と一度も会うことなく、母親が生計を立てていたそうです。

高見は、東京大学文学部英文科を卒業し、コロムビア・レコードに勤務しています。
 
その後にプロレタリア文学運動に参加し、1933年に治安維持法違反の疑いで検挙され、転向(思想を捨てること)します。
留置中に妻が去り、転向と家庭崩壊の二重苦の中で書いた小説『故旧忘れ得べき』(1935年)が第1回芥川賞候補となり、作家としての地位が確立したとされています。
 
戦後は、小説『わが胸の底のここには』、『いやな感じ』、詩集『樹木派』、『死の淵より』、さらに昭和史の資料ともなった日記『高見順日記』などがあります。
 
ちなみに『荒磯忌』の由来は、高見の絶筆詩集となった『死の淵』のなかに記されている『荒磯』にちなんでいます。
詩の中には、“おれは荒磯の生れなのだ”とのフレーズがあります。

ワタシの記憶には、教科書に載っていた『われは草なり』の“われは草なり、伸びんとす”のフレーズが微かに残っています。
 
更に、エッセイストの高見恭子さんは、高見順の娘さんです。
高見恭子さんのエッセイもワタシは好きなんです。
まぁ、馳浩石川県知事の配偶者でもありますが笑
 
本日は、ここまで。お付き合いいただき、有難うございました。
 

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