『漫才過剰考察』を読んだ人の人生過剰考察
このnoteは、『漫才過剰考察』の書籍感想に見せかけた、私の"今"です。くるまさんが2024年の漫才を書籍に閉じ込めたのなら、私はこのnoteに、今の自分を閉じ込めようと思いました。どうか、見ていてください。人生を、過剰考察してみせます。
書くこと
ああ、この人は書くことで救われたいんだ。漫才を取り戻して、誰よりも自分の悲しみを救いたいんだ。「これまで」を読んだ時、そんな考えが湧いてきた。
それは、光る君への藤原寧子こと藤原道綱母のセリフを思い出したからだった。蜻蛉日記の作者で、道長の父・兼家の妾だった道綱母。ドラマに拠れば、夫に見向きもされない悲しみ、妾であって正妻ではない己の悲しみを、彼女は自ら救ったという。史実でも彼女の日記は存命中から宮中で広く読まれ、1000年の時を超えて現代人も読める状態にある。悲しみを紙にぶつけ、読者と共有し、1人だけれど1人ではないと思えたことが、救いだったのだろうか。
自分がどんな時に書いていたか、思い返してみた。幼い頃から一度考え出すと頭の中で言葉が止まらなくって、眠れないことも多かった。中学生の頃に紙のノートに日記を書くようになったら、鳴り止まない言葉と思考を徐々にコントロールできるようになった。取り留めのないことも全部紙にぶつける作業は、絡まった毛糸を解く作業に似ていて、終えるとスッキリして眠ることができる。頭の中の毛糸を解く度、私はまた前進する力を得ていた。それは、自分で自分を救うということだったのかもしれない。
大学生になってから何本かnoteを書いたけど、思い返せば同じことだった。(全部が全部ではないが。)私は書くことで救われたがっていた。140字のつぶやきをいくら繰り返しても消化できない熱い何かを、インターネットの海に放り投げて、あわよくば誰かに共感してほしかった。
くるまさんが分析するのが好き、考えずにはいられない、というのはもしかしたらこういうことかもしれない。理論や思考に絡まりがあると、解かずにはいられない。解かねばむしろ不安になる。
でも考えれば、言葉にすれば、書けば、また前に進める。自分を救うことができる。時には自分だけではなく読み手だって救うことができる。
そういえば、沼落ちブログに「くるまさんに救われるところ」という見出しで、私はこう書いていた。
他の誰でもない、くるまさんの言葉に救われたのは私だった。赤の他人の私だって救われたのだから、くるまさんが書くことで彼自身が救われるのは必然と言っていいはず。もっと言えば、たくさんの人を救う力が、くるまさんの言葉にはある。
私の言葉にそれほどの力があるかはわからない。でも自分を救う可能性に賭けるくらいのことは、してもいいんじゃないかと思う。書こう、己の悲しみを救うために。
"血潮"
「これまで」を読んだ時、私は夏目漱石の『こころ』のことも思い出していた。高校生のときに国語で出会って以降、訳あって『こころ』はずっと気になる存在だった。くるまさんの筆致を感化され、すぐに読み返した。
これは学生の"私"が尊敬してやまない"先生"が、"私"に向けて書いた遺書の一節である。この生々しい表現に、改めて感嘆した。
私はくるまさんの文章に、"血潮"を垣間見た。いや、垣間見るなんてレベルじゃない。くるまさんは自らの心臓をも差し出してくださった。私の目の前が真っ赤になるような感覚に陥った。ここには私の欲しい言葉があると確信した。
一朝一夕でなく、長い時間向き合って編まれた、より心の芯に近い言葉。思考をそのまま原液でぶつけた、その人の人生すら垣間見えるような言葉。私はそんな言葉に出会いたい。自分もそんな言葉を紡ぎたい。読むことで"血潮"がみたい。書くことで自分の"血潮"を見せたい。
"先生と私" 、くるまさんと私
『こころ』を読み返すうちに、私は"私"に強い共感を覚えた。"先生と私"の関係性は、くるまさんと私に置き換えることもできるのではと思い始めた。
ある夏に鎌倉の浜辺で見かけて以降、"私"はどこか暗い影のある"先生"に惹かれてやまなかった。その影や思想が一体どこから来るのか、知りたくてたまらなかった。
2022のM-1で初めて令和ロマンのネタを観てから、いつかM-1で優勝すると思っていた。2023に優勝した時は驚きながらも嬉しかった。その後沼落ちして、くるまさんのことをもっと知りたいと思った。コンテンツを片っ端からかき集めた。
その最中には共感を覚える時も、全く違うと感じる時も、ぼんやりと疑問が残る時もあった。いずれにしても、思想を裏付ける強い事実があるはずだと思った。
本性
実際、今回このnoteを書くために考え続けていると、点と点が繋がるような時が何度かあった。所詮憶測だけれど、くるまさんに少し近づけた気がしてうれしかった。けれど、少し怖くなったときがあった。
これを読んだ時、自分のやろうとしていることが彼をうんざりさせてしまうのではないかと、ビクビクした。私は"髙比良くるま"の本性を暴きたいのか、しばらく考えていた。踏ん切りを付けるきっかけは、また『こころ』にあった。
私は本性を暴こうとしているのではない、という結論に辿り着きたかった。私の態度は虚像から真に近づこうと必死なものだったから、始めはどう考えても言い訳にしかならなかった。
でもその結論はやはり確かだった。私が知りたいのは本性という曖昧なものではなく、言葉や思想を生み出した過去だから。私はただ「真面目に人生から教訓を受け」、救われたい。
それに、くるまさんは「川島明 そもそもの話」で仰った。人といる時しか楽しくない、会話の中にしか生きられない、誰かといる時でなければ自分はいない、と。
ならば、スマホ越しでもステージを介しても、私に見えてるくるまさんは、全部くるまさんだ。全部本当のくるまさんだから、ひとつ残らず掻き集めたい。その中にある熱い血潮に触れたい、心臓の鼓動を感じたい。
希死念慮
先ほど「ここには私の欲しい言葉があると確信した。」と記したが、それはこの一節を読んだからだった。
希死念慮。私も知っている、あれか。あれを、くるまさんも感じたんだ。なんとも言えない気持ちになった。
私は普段はかなりのポジティブ思考の人間だと自負しているが、一つそうもいかなかった時がある。
去年、椎間板ヘルニアを患った。左脚の痺れと痛みが酷かった。
4月末までは元気にライブに行っていたのに、ゴールデンウィークが明けたころから急に悪化していった。どんどん不自由になっていく身体と生活。正常化バイアスのせいなのか、春学期は無理矢理大学に通った。人に会えたし外に出られたのが救いだった。通院とリハビリで誤魔化していたが、とっくに長い距離を歩けなかったし、立ってもいられなかった。ついには座っていることも難しくなった。
できることは、寝っ転がってスマホいじることと文庫本を読むことくらいだった。この頃にも『こころ』を読み返していた。
夏休みに入るタイミングで入院した。ここからが本当に辛かった。地獄だった。WiFiがなかったので、現実逃避の方法がほとんどなかった。ご飯も不味かったので、時間の経過を心待ちにできなかった。同室の人が苦しそうなところみると、こちらの痛みも増すような気がしていた。メンタルがどんどん落ちていって、この痛みと苦しみから逃れる方法が死ぬ以外にないように思われた。
想像上で、私は崖に駆け寄った。ここから飛び降りたら、楽になれる。そう思ったが、現実の私はそんなことできるはずもなかった。トイレに行くのも車椅子でやっとな人間が、屋上なんかに行けるはずがない。ベッドの上でだって、自分を傷つける手段もなかった。自分の死に場所を自分で決めることもできないのが、悲しかった。
入院は3週間だった。最後の1週間にヘルニコアという手術未満の治療をしてもらい、症状がかなり改善した。痛みがなくなったので、メンタルも自然と戻っていった。退院してすぐに元通りに活動できたわけではなかったが、入院中に比べたらなんてことはなかった。
悪くなる直前に行ったアーティストの同じ会場でのライブに参戦できたり、ヘルニアで断念したイベントに1年越しや1年半越しに参加できたりと、健康であることの有難みが身に染みる。今でも入院中のことを思い出しては、自分の死に場所を自分で決められるようでありたいと、願うばかりだ。
最近、ご様子をシーズン1から聴いていて、コロナ禍真っ只中の期間のものを聴いたが、特に感じるものはなかった。それもそうか。そんなところで暗くなっている場合ではないよな。でも、どんな心境で過ごしていたのか、くるまさんも想像上の崖に駆け寄っただろうかと、思いを馳せずにはいられない。
心酔したもう一つの理由
冒頭でも取りあげたこの沼落ちブログに、嘘はない。執筆した9月時点での全てを書いた。でも、『こころ』を読み返し、今になって気づいたことがある。
そうだ、私は寂しかった。寂しいばかりでなく、私の中で天変地異が2度も起きたために、自分の輪郭も不確かになって、路頭に迷っていた。
1つ目は性自認についてだった。私は女として性を受けて女として生きてきたし、それに不満も不安もなかった。でも、これは少しだけ嘘だった。デミジェンダーというものにぶつかった。去年の10月頃だった。
いや私これじゃんと、読んだ瞬間にビビっとくるものがあった。20年信じていた自分のアイデンティティーが揺らぐのに驚いた。でも、今まで誤魔化していた本当の自分に気づくことができてむしろ嬉しかった。
身長が172cmもあってかっこいい服が似合うのは嬉しいけれど、フリフリのスカートがなかなか履けない一抹の寂しさとか、足が27cmもあってメンズで事足りるから困ってはないけど、アパレルショップに置いてある華奢な靴が買えない疎外感とか、、、人生の節々で感じていた典型的な女の子になれないことへの小さな悲しみも、それをないことにしていた時間も、デミガールという名前で肯定できた。
そう、1つ目は良かったのだ。問題は2つ目だった。シスでヘテロだと思っていたところでシスではないとわかった時、ヘテロであることを疑う機会を得てしまった。女の子を好きになった。いや、好きだということに気づいたという方が正しい。デミジェンダーを自覚してから、程なくのことだった。
それまでずっと恋愛感情を抱くのは男の子だった。アイドルは女の子も好きだったけれど、それは自分が異性愛者であることに何も影響しないと思っていた。でも全部関係あった。全部自分だった。
それなのに、意味がわからなかった。どうしたらいいかわからなかった。その子への気持ちを自分のものとして直視出来なかった。かといって、どこにもぶつけられなかった。誰にも言えなかった。なかなか事実が自分に馴染まなかった。
そんな時に、くるまさんは私の前に現れてくださった。言ってしまえば逃げ道になってくださった。くるまさんのことを考えている間は、いやリアコしている間は、問題を保留にして時間稼ぎができた。心の中でその子に向けるはずの感情をくるまさんにぶつけることで、私は正気を保っていた。
今年の春頃になると、その子が好きだという事実を漸く直視出来るようになり、運良く親友からの助言もあってリアコも治った。
恋はどう考えても片思いだけど近くに居られるし、令和ロマンのオタ活は本当に楽しい。ここ数年、身体も心も色々なことがあったけど、やっと前に進める気がしている。
お困りになると思うけれど、くるまさんにはありがとうございますと言いたい。いつか面と向かって感謝を伝えたい。これを抜きにしても、令和ロマンのお陰で、今年は何倍も楽しく生きられたから。
あとがき
大変に時間がかかった。いつも書きたいと思ったときには、書き始めや全体の構成がすでに思いついていて、その中身を考えるのに時間を掛けるのだが、今回は書き出しすら中々定まらなかった。書きたいことがあまりに多く、それも四方八方に散らばっていたのである。
しかし、どうにかM-1決勝に間に合わせたかった。書かなければならないと思った。ついついやることを先延ばしにしてしまう私にとって、M-1はよい締切の機会になった。年が明けるのを待ってはだめだった。くるまさんが2024年のお笑いを書籍に閉じ込めたのならば、私も2024年の私を書き残しておきたいと思った。「物語は書きたい気持ちの時に書かねば勢いを失います」と、光る君へでまひろこと紫式部が言っていたのも、大いに影響した。(私が書いたものは物語ではないが。)
書籍が発売された直後からメモを取り、『こころ』を読み直し、もちろん『漫才過剰考察』も何度も読み返し、書きたいことを整理し、、、なんとかM-1決勝前に間に合わせることができた。
私はくるまさんに救われた。くるまさんが明るい未来を語られるとき、私の未来も明るくなったような気がする。私は孤独でないと伝えてくださっている気がするし、これからもそう伝えてほしい。
私は私を救いたい、だから書くのだと記した。しかし、この記事が私を何時救うのか、如何にして救うのか、そもそも救うのか否か、少なくとも書き上げた時点ではわからない。それでも、私はこれを書いたことに意味があると信じたい。いつか振り返った時、読み返した時、書いてよかったと思えるものを書いたつもりだ。そしてあわよくば、これを読んだ誰かの心に響き、その内にくるまさんがいらっしゃることがあれば、これ以上ない幸福である。ここまでお付き合いくださったみなさん、本当にありがとうございました。
ヘッダーは、書くまでもないが、くるまさんの著書『漫才過剰考察』。M-1グランプリ2024、漫才を取り戻すとこ、見届けます。