喪失感の痛切さと激烈さが身に染みる…★追悼★【Focus=三浦春馬と3つの舞台 -批評家が見つめてきた魂の輝き-(2020)】
「心の中を嵐が吹き荒れているようで、言葉が見つからない」。これは大竹しのぶがInstagramの中で紹介した英国人演出家、フィリップ・ブリーンの嘆きの言葉だ。ブリーンの演出、大竹の主演の舞台である2015年の「地獄のオルフェウス」で演技を覚醒させた三浦春馬は、いまはもういない。日本で上演するかなり前からこの舞台の情報発信などのお手伝いをしていた私は書面インタビューなどを通じて、ブリーンがどれほど三浦に期待を抱いていたかを知っている。そしてその期待は「地獄のオルフェウス」の上演によって「確信」に変わり、2019年の三浦主演舞台「罪と罰」での強力なタッグへとつながっていった。だからこそ冒頭のブリーンの言葉に漂う喪失感の痛切さと激烈さは身に染みるし、この言葉はまた、信じられないニュースを目にした三浦を知る世界中のファンの思いでもある。三浦は「地獄のオルフェウス」と「罪と罰」、そしてその間にあるミュージカル「キンキーブーツ」で何を見つけたのか。この3つの舞台で魂を輝かせる三浦をエンタメ批評家として見つめてきたわたくし阪清和が、この目に焼き付けた実際の三浦の演技に沿って探っていく。
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★舞台「地獄のオルフェウス」公式サイト=既に終了している公演ですので、表示されない可能性もあります
舞台「地獄のオルフェウス」は、2015年5月7~31日に東京・渋谷のシアターコクーンで、6月6~14日に大阪市の森ノ宮ピロティホールで上演された。
「欲望という名の電車」などの戯曲で知られる米国の劇作家、テネシー・ウィリアムズがデビュー作「天使のたたかい」を17年もかけて書き直し、その絶頂期にあった時期に発表し直したのが「地獄のオルフェウス」だ。デビュー時の出来が悔しかったのか、それともそこに何か大切なものを見つけていたのか。おそらく後者だろう。自由と抑圧、じりじりとした焦燥感、濃密すぎる人間関係、デビュー以降ウィリアムズがより深めていくことになる作家としての特徴、要素のすべてが描き込まれているからだ。
米国南部の小さな町ツー・リヴァー・カウンティにふらりと訪れた若い男ヴァルは夜の世界でうごめき続けてきた生活をあらため、この誰も知らない町でやり直そうと考えていた。そのヴァルを雇ったのが、夫の抑圧に長年苦しめられてきたレイディ。雑貨店の改装と菓子店の新設のために人手が必要だという言い訳もあったが、何よりヴァルに興味があった。
ヴァルは因習や偏見がはびこるこの町に新しい風をもたらす存在。歓迎する人々もいれば、露骨に敵意をむき出しにする人もいる。それはやがてとんでもない出来事を招くことになる。
三浦はこのヴァルの瑞々しさとその裏にあるまがまがしさを同時に映し出す高度な演技を披露した。敵意に囲まれた動物園のおりの中に閉じ込められたヴァルの苦しさと、女たちがもたらす愉悦と喧騒。三浦はそれらにもみくちゃになるヴァルのどの表現にも手を抜かない。
ブリーンが「社会のルールが私たちの心の底にある深い衝動を抑圧したときに何が起こるか」という部分にポイントを置いた演出を施し、時代や場所を超越した「世界共通のテーマ」に挑んでいく中、三浦はレイディを演じた大竹しのぶと共に、悪意の闇の中のほのかな灯りであり、かつ狂いだす情念の歯車の中心でもある、ヴァルとレイディの関係性をつくりあげていった。
そんな2人の演技に対する情熱があったからろうか、ふたりが激情をぶつけ合うシーンの壮絶さは筆舌に尽くしがたい。互いが互いの火の中に火をほうりこんでいく過程が目に見えるようで、物語上と同じく、女性側がやや主導しているものの、ふたりがそのテンションを見事にコントロールしていく演技は見逃せない。
当時の三浦春馬は映像を中心とした俳優だったが、既に舞台も経験していた。しかも、地球ゴージャスの「星の大地に降る涙」(2009年)、「怪盗セブン」(2012年)や、劇団☆新感線の「ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ」(2012~2013年)と、とことん楽しませてくれるエンターテインメント性たっぷりの作品での活躍が目立っていた。その天性の陽性なたたずまいと長身でがっしりとした躯体を最大限活かした作品で三浦は大いに舞台に映えていた。
しかし「地獄のオルフェウス」での三浦は、ストレートプレイに真摯に向き合い、複雑な要素を持ったヴァルを懸命に表現していた。何より、その懐の深さに驚かされた。
劇評で私は「元来の陽性の部分はヴァルが自由や希望の象徴であることを描き出すのを助けているし、その裏にある苦悩や、自らの殻を破ろうとする内側からの力の表現は、三浦がいかに豊かな表現力を秘めているかを証明している。それは単に演技力というだけでは片付けられない、なにか特別なものである」と書いた。
日本を代表する女優である大竹しのぶとがっぷり四つに演技をぶつけ合う姿は、ブリーンばかりか、大竹の心をも魅了した。
三浦の中にあるその「特別なもの」はより磨かれていく予感を私たちに抱かせたものだ。
★ミュージカル「キンキーブーツ」2016年初演公式サイト=既に終了している公演ですので、表示されない可能性もあります
本格的な演劇の世界に没入し始めた三浦は2016年、ミュージカルの世界でも大きく飛躍した。映画や舞台が世界を魅了した「キンキーブーツ」の日本人キャスト版に小池徹平と共にW主演。しかも、この物語の一番の華であるドラァグクイーンのローラを演じたのだ。
ミュージカル「キンキーブーツ」日本人キャスト版は2016年7月21日から8月6日まで東京・初台の新国立劇場中劇場で、8月13~22日に大阪市のオリックス劇場で、8月28日~9月4日に東急シアターオーブで上演された。
この年には日本人キャスト版の2カ月後に、ファースト・ナショナル・ツアー・カンパニーによる来日公演が行われることになっており、どうしても比較されるため、その役柄の過激さも含め、相当なプレッシャーがあったはずだ。決して「日本人キャスト版は…」と言わせたくない。小池と三浦は全力で来日キャストを上回る出来上がりにすることを誓ったはずだ。
三浦は、クールなヒーローから人なつっこい現代的青年まで幅広く演じてきたが、とびきり奇抜な役柄を今回まかされたことへの重圧も相当なものだったはず。単なる女装好きな男性という役ではなく、ドラァグクイーンとしてナイトクラブの客や工場の工員たちに圧倒的なパワーとオーラを感じさせ、なおかつエンターテインメントとしても一級品のショーにする必要性があり、なおかつ、彼女(ドラァグクイーン)たちが抱くおそれとプライドを同時に感じさせなくてはならない役だからだ。
その結果はどうだっただろう。そこにいたのは女装した男などではなく、確かな「女」だった。魂までもが女、そして全身にドラァグクイーンの「誇り」をまとった完全なるローラがそこにはいたのだ。
このミュージカルはもともと2005年に公開された映画『キンキーブーツ』がもとになっている。脚本のハーヴェイ・ファイアスタインと演出のジェリー・ミッチェルは、このハートフルな実話に基づくコメディーを見事にショーアップし、楽しいミュージカルに仕立てた。
人と人との絆や、マイノリティーたちの生きざまも生き生きと描かれ、映画に続いてミュージカルも大ヒット。ついに2013年に開かれた2012年の舞台作品を対象とする米演劇界の最高の栄誉「トニー賞」でミュージカル部門の作品賞にミュージカル「キンキーブーツ」が選ばれ、あわせて作詞作曲を手掛けたシンディ・ローパーがオリジナル楽曲賞を受賞したのをはじめ、6部門受賞という快挙を成し遂げた。
物語の主な舞台は、英国中東部のノーサンプトン。代々続く老舗の靴メーカー「プライス&サン」の現在の社長は若いチャーリー(小池徹平)だが、就任早々頭を抱えている。実は父親の思いに反して靴メーカーを継がず、ロンドンに出ていたが、父親の急死を受けて社長となったチャーリーは、返品の山に直面することになる。
そんな夜に出会ったのは、妖しく美麗なドラァグクイーンのローラ(三浦春馬)。「彼女」はでかい体でヒールを履く女装男子ならではの苦労を語り、プリンスに「丈夫なブーツをつくる」というヒントを与える。
しかし試作品はローラやその同志「エンジェルズ」たちを失望させた。色はあずき色でヒールもイマイチ。何もかもすべてが「女の子」たちの思いを分かっていない証拠だった。それを必死で説くローラたちの熱意に、チャーリーは、この超「ニッチ(すき間)」な市場に果敢にも打って出ることを決意する。
三浦は、映像作品への出演と並行して続けてきた舞台作品への出演が、この難役のための土台となったように見えた。岸谷五朗らが率いる地球ゴージャスの「星の大地に降る涙」「海盗セブン」でのはじけた演技と、劇団☆新感線の「ZIPANG PUNK~五右衛門ロック!!!」での演技者として覚悟の決まったパフォーマンス。その積み重ねの先にローラという役があったのだろう。そして舞台「地獄のオルフェウス」でブーリンから受けた薫陶によって開花し始めていた三浦の演技力。すべてのタイミングがこのローラという役柄の上に重なっていたのだ。
とにかく驚かされたのは三浦の身体のしなやかさ。身体能力が優れていることはそれまでも指摘されていたが、そのバランスの良さは驚異的だった。普通に踊るだけでも大変なのに、あのとんがったヒールで、しかもブーツ自体頑丈に創られているから、決して動かしやすいものではない。ドラァグクイーンたちは自分に妥協しない人たちなので、その要求されるダンスのスキルも半端なものではない。
しっかりとした男性の身体で、しなやかな女性ローラを支える三浦。そこには性の壁はなく、あらゆるものを超えていく進化したひとりの人間が見えた。
歌唱力にもあらためて注目が集まった。2019年に歌手デビューしており、2枚目のシングルも発売されることが決まっている今でこそ三浦が「歌える」ことを多くの人が知っているが、一部のファンにしか知られていなかった三浦の歌声は力強く、一部をファルセットで表現するドラァグクイーンならではの歌い方にも工夫が見られた。
演技の面では、「とびきり情念が深い」女性性と、「誰よりもオトコマエな」男性性が溶け合うローラを繊細に表現していたことに、三浦の成長を見た。このローラのキャラクター付けはこのミュージカルの肝でもあり、三浦が作品の質を上げるのに果たした役割は大きい。
演出のジェリー・ミッチェルは公演時の取材の席で私の質問にいろいろと答えてくれたが、初日を無事に開けた小池と三浦にはいたく感心したようで「彼らも素晴らしい仕事ぶりを発揮してくれた。僕はもうすぐ日本を発たなければならないけれど、千秋楽には富士山の高さにも匹敵するような成長が見られると思うよ」と「予言」してくれた。
観客の反応も新鮮に映った様子で、「お客さんもナンバーごとに手拍子をしてくれて、笑いもたくさんあった。反応が聞こえてきたのが何より嬉しかったよ」と上々のスタートとなったことをうかがわせた。「カーテンコールが何回もあって、(私がキャストたちに)退場、退場と促すほどだったよ」と冗談めかし、心から喜びを感じている様子。
三浦の成長を促したのが、何より観客たちだったことをミッチェルが証言してくれたように思えた。
★舞台「罪と罰」公式サイト=既に終了している公演ですので、表示されない可能性もあります
舞台「罪と罰」は2019年1月9日~2月1日に東京・渋谷のシアターコクーンで、2月9~17日に大阪市の森ノ宮ピロティホールで上演された。
「地獄のオルフェウス」での三浦の演技に衝撃を受けた世界的演出家、フィリップ・ブリーンは、その三浦を主演に名作「罪と罰」に挑んだ。それが2019年のことである。
しかしこの作品、若い俳優が容易に手を出せるような類の作品ではない。なにしろ、「自分のような特別な人間(選ばれた非凡人)には、その行為によって人類が救われその行為が必要ならば、(新たな世の中の成長のために)社会道徳を踏み外し法をおかしてもいい権利を持っている」(一部分かりやすいように言葉を追加した上で改変しています)という独特の論理を心の中に持つ青年ラスコリニコフが主人公なのだ。
ブリーンは三浦にならこの主人公を務められる、と踏んだのだ。
現代を特徴づけるさまざまな要素を持つ三浦がこの青年を演じることによって、この論理は現代性を持つ。突飛な論理のように聞こえるが、昨今、日本や海外で頻発する無差別大量殺傷や無軌道な通り魔的凶行を犯した犯人たちが掲げそうな理論とも思える。こういう人間を生み出してしまう「社会」というものは常に存在するのだ。
三浦は一見優し気な外皮をまといながら、「狂気」には昇華しないふつふつとした感情を育てている主人公を造型していく。
このなんとも妖しく、おどろおどろしい世界観をブリーンが創り出し、三浦がそこにひとつひとつ冷静にキャラクターを積み上げていくのを観て私は、当時の劇評で、「猥雑なカオスとそれが生み出す黒くたぎった生命感が生と死のぎりぎりの境目の中で熱く光る尋常ならざる作品に仕上がっているのだから、放っておけない」とやや興奮気味に書いている。今でもそのざらざした感情を瞬間的によみがえらせることができるのだから、よほどの強度でこの舞台は私の印象の海の中に記憶を沈めたのだろう。
ドストエフスキーは1865年にロシアで実際に起きた強盗殺人事件をひとつのきっかけとして小説「罪と罰」を執筆。1866年にほぼ1年を掛けての雑誌での連載を経て、同年に出版された。現実を重視するドストエフスキーの実存主義が最も明らかなかたちで表された小説であるとされ、「カラマーゾフの兄弟」「白痴」「悪霊」などと合わせて、ドストエフスキーを世界最高峰の小説家へと押し上げる作品となったことはよく知られている。
日本でも愛読者が多く、特に男子大学生は一度は通過する小説とも言われ、主人公の犯罪に対する考え方には今も大きな議論が巻き起こっている。
物語の舞台は19世紀半ば、帝政ロシアの首都だったサンクトペテルブルク。勉学に優れ、秀でた才能を持っていた青年ラスコリニコフ(三浦春馬)は、社会の混乱や貧困を見るにつけ、いつか強欲な質屋の老婆を殺害して現金や貴金属を奪い、その金で世の中のためになること=善行をしようと考えていた。
ついに来た計画実行の日、信念のもと殺人を犯した彼だったが、考えてもいなかったショックと罪悪感にさいなまれる。
そんな彼を気遣う親友や、母(立石涼子)、そして妹(南沢奈央)。純粋な魂を持った娼婦のソーニャ(大島優子)の生き方もラスコリニコフに影響を与えるが、彼には捜査の手が伸びていた。食えない国家捜査官ポルフィーリ(勝村政信)は、真っ向からラスコリニコフと法律論議を楽しむようなふりをして、真綿で首を締めるように追い詰めていく。
三浦が演じるラスコリニコフは、純粋な魂を持ちながらも、貧困や周囲の理不尽な境遇に必要以上の思い入れをしてしまう正義感の強すぎるタイプの人間で、そこに明晰な頭脳が生み出す独自の論理で理論武装することが可能だったために、強盗殺人という行為を正当化する狂気にまで至ってしまう。
三浦はそんなある種特殊で、ある種どこにでもいそうな青年を見事なまでに同居させる。ある瞬間には人柄が変わり、ある瞬間には狂暴性が増すというのではなく、どちらも同じ身体と同じ精神から発する行動なのだということを感じさせる。そのことが、より恐ろしさを付け加えることになる。
人懐っこい笑顔、シャイな素顔、伸びやかな身体、キレのいいパフォーマンス…。三浦が俳優として持つすべてが武器になる。こんな舞台に出会うことができたのも、三浦の俳優としての縁の力の強さのひとつだ
ブリーンとの出会いもまた運命的なものを感じる。
ブリーンはデビュー後、ロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)などでキャリアを積み上げ、2012年には古巣RSCで演出した「ウィンザーの陽気な女房たち」で才能を知らしめた。「TRUE WEST」や「The Shoemaker’s Holiday」でも評価を高め、いまロンドンで最も注目を集める演出家と言っていい存在だ。
しかし彼は本拠地にこもって澄ましている演出家ではない。戯曲を読み解く能力もさることながら、英語圏の俳優だけでなく、どのような基盤を持つ俳優であっても、その魅力や特性を見抜き、作品の中で花開かせるとともに、その俳優の新たな魅力までも表出させる才能に長けており、その実績こそが世界的な評価を押し上げているのだ。
映像やエンタメ作品で力を付けてきた三浦が、ストレートプレイを中心にその演技力をさらに磨き上げる過程において、ブリーンほどふさわしい指導者はいなかったのである。
演出家は違うが怒涛のような「キンキーブーツ」も含めて、三浦が身につけたものは、キャラクターを見抜く力であり、さらにそこに複雑な要素を積み上げていく力。ブリーンとの共同作業によって、三浦は恐るべき成長を遂げたのである。
そんな輝きを見せた三浦の未来について、もう、書いたり語ったりできないのはなんとも悔しいことだ。
悲しみに打ちのめされている人も多いだろう。毎日泣いている人や、一方で涙が一滴も出ない人もいるだろう。納得できる理由が見つからない。あるいは今後もそれは見つかりそうにないことに無力感を持っている人も多いだろう。
しかし、撮影済みのドラマやバラエティー番組が予定通り放送されたり、お蔵入りになってもおかしくなかったドラマが一部脚本を書き直して物語としての整合性をとれるようにした上で話数を減らして放送されることが決まったりしたのは、彼がひとつひとつの仕事に全身全霊で挑み、誠実な結果を出していたからに他ならない。「三浦春馬が遺したもの」をみんなのもとに届けなければならない。関係者の、そんな強い意志が感じられる。
彼は確かにそこに存在した。そして最高のパフォーマンスで私たちに深い深い感動を与えてくれた。そのことは間違いのない事実だ。
今は彼が遺した一つ一つを心に刻み、一歩ずつ、前に進んでいこう。
いつか「三浦春馬」を笑顔で語れる日が来るまで、あせらずに、あきらめず、ゆっくりと進んでいこう。
ここで採り上げた「地獄のオルフェウス」「キンキーブーツ」「罪と罰」については、それぞれの上演時に当ブログで劇評を掲載しています。
通常、劇評の序文だけはブログとクリエイターの作品発表型SNS「note」で無料公開し、それ以降を含む全体像は、原則として「note」で有料(300円程度)公開しています。
ただし今回は三浦春馬さんの追悼という趣旨に鑑み、「note」で有料(100円)公開します。
なお、劇評と今回の追悼記事には一部重複している記述があります。ご了承ください。
【注】この追悼記事は全文無料でお読みいただけますが、劇評など一部のコンテンツの全体像を無料でお読みいただけるサービスは2018年4月7日をもって終了いたしました。「有料化お知らせ記事」をお読みいただき、ご理解を賜れば幸いです。2018年4月7日以前に発表した劇評についても順次有料化を進めています。ご了承ください。
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