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【追悼】 楳図かずお(2024)

 天才的な画力といくつもの時代を貫き通す知性で、ホラー・ギャグ・SFのそれぞれの内外の漫画ジャンルに革命的な影響を与えた漫画家、楳図かずおが亡くなった。誰もがまねをしたがり実際に描いてみるのだが、(中川翔子を除いては)誰も同じようには描けない楳図の漫画。手塚治虫さえうなったその描写力は、単に被写体のフォルムを再現するだけではなく、精神や魂のようなものさえまとわせることに成功している。直接生理的な感性に訴えかけてくるのは、あまりにも生々しいものだからだ。大人はその生々しさに魂を奪われ、子どもたちは楳図と彼らだけが知っている秘密を共有したように、その世界に引き込まれていく。その純粋無垢な子ども心とはてしないサービス精神は、恐ろしいほど愛らしくあどけないまことというキャラクターを得て「まことちゃん」でギャグ漫画の新たな地平性を切り拓いてみせた。そしてコンピューターやネット、AI(人工知能)の深遠さと恐ろしさを見抜いていたのも楳図だ。意思を持った機械が世界中の機械とつながってコミュニケーションの暴走を始める「わたしは真悟」や、小学生が教室ごと未来へと漂流する「漂流教室」などの世界的名作を挙げるまでもなく、未来への透徹した視線を持っていた。いくつかは「予言」や「予知」とさえ言える知力を感じさせ、ヨーロッパを中心とした世界を驚かせた。すべての頂点に立つほどの才能の孤高ぶりとは裏腹に、人懐っこく人を楽しませることにかけてはだけにも負けないほどのサービス精神があふれるキャラクターでタレントやミュージシャンとしても私たちの記憶に残った。二度と現れない人、楳図かずおを失った損失はあまりにも大きい。(写真は追悼記事とは無関係です。noteに集うクリエイターの方のご好意で使わせていただいています)

 楳図かずおは2024年10月29日に、胃がんの療養のため入院中の施設で死去した。享年88歳。

★この追悼記事は阪清和のエンタメ批評&応援ブログ「SEVEN HEARTS」でも無料でお読みいただけます


https://www.youtube.com/watch?v=GLu0ScMvMeo

 真言宗の聖地、高野山がある和歌山県高野町に生まれ、教員だった父の勤務の関係で奈良県内の山間部を渡り歩いた。さまざまな地元の伝承や民話を聞かされた経験は、その後のホラー漫画との関係は定かではないが、楳図の想像力を豊かにすることに役立ち、物語を創作する力となったことは疑いのないところ。
 漫画に目覚めた小学生の高学年時代、全国のほとんどの少年がそうだったように手塚治虫を目指したが、将来の職業として漫画家に目標を定めてからは、自らの個性を重視し、独自路線を歩み始めた。高校を卒業して、漫画家への道を本格的に歩き始めることとなる。
 とはいえ、プロデビュー作の「森の兄妹」はタイトルからも分かるように童話「ヘンゼルとグレーテル」の漫画化であり、しかも文通相手だった女性漫画家、水谷武子との共作だった。私は2005年に復刻版が出された時にインタビューさせてもらったが、楳図は「それでも嬉しかった」という。水谷は当時から藤本弘(後の藤子・F・不二雄)ら漫画家の卵との交友関係が広く、トキワ荘にも出入りしていて、互いの苦労を知る「線友」であったことも大きいだろうが、小学生の時からあこがれ続けてきたプロ漫画家への入り口がついに開いたのだから。しかも、それら貸本は後の雑誌とは違い当時の漫画家の主舞台であり、流行作家になる登竜門だったからだ。
 さらに楳図は2作目の「別世界」では太古の世界を舞台に叙事詩的なSFを展開させ、後の「ここではないどこか」への創造力にあふれた力量を予感させている。
 そして1955年のこの2作に続いて1961年に発表したのが「口が耳まで裂ける時」。既に楳図の頭の中には自分が描く漫画の大きなテーマとして「恐怖」が位置づけられていたのだ。

 楳図は関西の貸本業界では話題の若手となり、先に東京に進出していた先輩漫画家の佐藤まさあきに誘われて、東京へ。すぐに売れっ子になれるわけでもなく、佐藤の事務所に寝泊まりしたり、東京の劇団の青年部に潜り込んで役者修行をしたりと(映画『兵隊やくざ』への出演は確認されているので、ちゃんとした役者ではある)、迷いとさまよいの時期を経て、1966年に「ねこ目の少女」「へび女」、1969年に「おろち」、という恐怖漫画家の第一人者への輝かしい助走路を走り抜けることになる。

 1970年代に入ると、クリエイター・作詞家としての仕事も増え、徐々に芸術家としても認められるようになるが、その真っ最中の1972年に連載を始めた「漂流教室」は、SF作家としての一面を持っていた楳図が、哲学者、あるいは予言者へとワンステージステップアップするエンジンとなった。
 なにしろ、学校ごと、荒涼とした未来にタイムスリップするのが小学生で、やがてはそこで国づくりを始めるものの、内部分裂や混乱によって、カオスに陥っていくという恐るべき物語は、楳図の常人ならざる想像力が既に人類の限界を突き抜けていることを国の内外に知らしめることになったからだ。
 「日本にUMEZUという知の巨人がいる」。フランスを中心に特にヨーロッパで騒がれ始めた楳図かずおは、恐怖漫画家というベースのイメージ以上に、その知性と感性が注目されたのである。

 ホラーでもSFでも楳図が注目された明らかな要因は、そのストーリーとキャラクターの構築力にある。ホラーで鍛えた自分の中で壊れていく凄みと、SFで鍛えた周りの者を巻き込んでいく凄み。それが必然の結果として出会ったのが、ギャグ漫画の世界だ。
 楳図の名を不動のものにしたキャラクターこそ、まことちゃん。タイトルもずばりの「まことちゃん」は1970年から連載が始まった「アゲイン」のスピンオフ的作品として1972年から連載されたが、このまことちゃんはキャラクターの塊。「アゲイン」でメインになった若返るおじいちゃんのいる沢田家の子ども(つまり孫)である幼稚園児のまことちゃんを主人公に、ぶっ飛んだ家族の奇想天外な日々を描いた。まことちゃんの語尾に付く「なのら」という言い方、「グワシ」や「サパラ」などの決めポーズの指サインなど、従来のギャグ漫画の枠を軽々と飛び越え、あらゆる要素がるつぼのように熱せられ爆発、暴走する世界を創り上げた。

 そんな楳図は図らずも「国民的漫画家」となったが、楳図が向かったのは保守的ですべてを規範にはめるような世界ではなかった。
 むしろ、すべてのリミッターを外して、思考が飛翔する世界。1982年にたどり着いたのは後に「人類の遺産」とまで言われることになる傑作「わたしは真悟」だった。

 実は漫画「わたしは真悟」が生み出された1982年は、あの名画『ブレードランナー』が公開された年である。レプリカントと呼ばれる人造人間が製造から数年経つと、感情を持って人間に歯向かうようになるため、人類の中に紛れ込んだ彼らを見つけ出して「処刑」するブレードランナーと呼ばれる捜査官を描いた映画である。同じ年にはさらにコンピューターのハッキングを主題とした映画『トロン』も公開されており、コンピューターの飛躍的な進化が近付く中で、機械の暴走や悪用の問題が現実の恐怖としてひたひたと近づいてきていた時代だということが分かる。
 既に大学生だった私は「わたしは真悟」の真実味に驚愕し、ぐいぐいと引き込まれる物語の展開力も相まって、血走った目でこの作品を読んだものだ。私自身まだワープロしか持っていなかったし、インターネットが商用ネットワークに開放され日本でも一般化するのはまだ先のことだったが、ここに描かれていることはなぜかとても身に迫った問題のように思えたからだ。

 「わたしは真悟」は、1982年から1986年まで「ビッグコミックスピリッツ」で連載された。東京、ロンドン、エルサレムと漫画では考えられないような舞台展開を見せ、内容もコンピューターと人間の関係、無機と有機の相互関係、神の存在不在などの宗教問題から、子どもが成長するということはどういうことかなど、さまざまな哲学的で形而上学(経験を超えたものや見ることができないものを論理的、理性的に考えようとすること)的な考察が登場する作品。
 物語の最初の舞台は東京。東京タワーのてっぺんに2人の子どもが登っていると分かって、警察や親が大騒ぎをしている。登っているのは悟と真鈴。下の大人たちからはただ飛び降り自殺をしようとしているとしか見えてないが、2人には明確な意図があった。仲良くなった2人は、工場で2人の他愛ないデータをこの工作機械のコンピューターに入力し続けていた。それは遊びであり、愛の確認だった。真鈴は外交官の娘で、悟とは「身分違い」。大人になったら引き離されてしまうと考えて大人になることを拒否し、東京タワーからヘリに飛び移ることで人生に一度きりの奇蹟を起こし、子どもでも2人の子どもを生み出そうとしたのである。
 2人は何のためらいもなく、空中へと飛び出した。救助ヘリに飛び移る。その時奇蹟は起き、2人の子どもが誕生する。それは、2人が仲良くなるきっかけともなった産業用の工作機械「モンロー」で、この機械が知能と意思を持つことを意味していた。悟のことが好きだった友達のしずかはなんだか納得できないまま、「真悟」に会いに行き、この機械が真鈴と悟の子どもだと理解する。
プログラムされた作業をしなくなり暴れ出す「真悟」を破壊しようと工場長と解体業者らが近づいてくるが、真悟は彼らに攻撃を加え、工場から逃走する。とんでもないことをしでかした悟は町から追われるように別の土地へ。父の転勤でロンドンに行った真鈴。「真悟」は、工作機械を開発した会社の研究員たちに追われる身となる。
 物語は、親の無理解と、執拗に付きまとう少年ロビンの恐怖におびえながら日々を送る真鈴と、すっかり自分の世界に閉じこもってしまった悟を描きながら、謎の男たちに追われる真悟が、母である真鈴の危機を知り、父である悟の言葉を伝えるため旅に出る過程を追う。「真悟」には悪意あるプログラムが組み込まれており、彼が生み出した兵器が日本企業爆破事件に使われ、母である真鈴を苦しめているという残酷な現実に気付くことになる。
 突拍子もない話ではあるが、すべてはつながっていて、何の矛盾もない。真悟は人工衛星を使って、世界中のコンピューターとつながり、さまざまな攻撃を仕掛けようとする。そのあまりにも未来を的中させた真実味には背筋が凍る。
 データをコンピューターに入力することによって、人間からの質問に答えられるようになること、経験を積み重ねることによって「感情」に似た思考の回路を創り出せること、人間が悪意のあるプログラムを組み込めば機械はそれに沿った生成物を作り出すことなど、現在では実現していることにも言及している。
 機械そのものが暴走し、人間を敵とみなした場合は排除・攻撃を仕掛け、優位に立とうとすることなど、近未来への警告ととられる描写も見られる。

 追悼から逸脱したあらすじ説明だと感じた方が多いかもしれないが、ホラー、ギャグを経て「わたしは真悟」にたどり着いた楳図の歴史を考えれば、この作品を知ることが楳図を知ることだという論理は分かってもらえると思う。
 当然、この形而上的、哲学的作品は当時の社会で大きな話題となったが、楳図自身が満足できるようなかたちでは評価されなかった。
 「楳図の奔放な想像力が生み出した斬新な作品」という当時の平均的な評価は決して間違いではないが、当時の日本社会の語彙力のなさが「適当なところで評価をまとめ上げる」という結果に導いてしまったとも言える。この作品が「人類の遺産」であり「警告のための予言書」であることは、ヨーロッパの人々の方が真摯に気付いていたのだ。
 そのことを表すように、2018年、「わたしは真悟」は、フランス・アングレームで開催された「第45回アングレーム国際漫画フェスティバル」で、「時代を超えて残すべき作品」として過去作から選ぶ遺産部門(LA SELECTION patrimoine)に選ばれたのだ。
 楳図はこのことにずいぶんと喜んだようだ。
 さらに「わたしは真悟」は2020年12月、イタリアのコミックコンベンション「ナポリコミコン」で、コミック作品に与えられる賞「ミケルッツィ賞」の最優秀クラシック作品賞を受賞。ヨーロッパ全土に楳図へのリスペクトが広がっていることを顕在化させたのだ。

 1986年に「恐怖」をついにエンターテインメントの頂点に押し上げた「神の左手 悪魔の右手」をものにした後、1990年には、「漂流教室」の続編的な位置付けの「14歳」を発表。培養された鶏肉から突然出現したニワトリの頭を持つ異形の科学者「チキン・ジョージ」が地球の終わりと人類の滅亡に気付いた時から始まる、大人たちの悪あがきと地球を脱出した子どもたちの生きるための奮闘が描かれ、ついには宇宙の謎にたどり着いていくというぶっ飛んだスケールの作品に昇華した。

 「14歳」を書き終えてからは、腱鞘炎の悪化もあって休筆を宣言。タレント活動や映画監督などさまざまな分野に進出した。

 楳図は2022年1~3月、東京・六本木ヒルズの東京シティビュー TOKYO CITY VIEWと大阪・阿倍野のあべのハルカス美術館で「楳図かずお大美術展」を開催。「14歳」以来27年ぶりとなる新作「〈ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館〉」を101枚の連作漫画として発表。2023年6~8月には名古屋、2024年3月には福岡にも巡回し、さらに亡くなる約3週間あまり前の2024年9~10月には金沢21世紀美術館の市民ギャラリーAでも開催した。

 私は吉祥寺に13年間住んでいたし、その後も1カ月に何度も所用で吉祥寺を訪れていたため、吉祥寺の街を散策する楳図さんとよくお会いした。インタビューの機会を得て仕事場にお邪魔してからは、吉祥寺の路上で会えば会釈するぐらいの関係ではあった。
 インタビューやそうした瞬間に感じるのは、楳図さんの知的好奇心の凄さだ。人見知りなところもあるのに、妙に人懐っこいところもある。人見知りは楳図さんの内的世界があまりにも広大であるからだろうし、人懐っこさは新しいこと、面白いことに目がないからだ。
 普段からさまざまな新しいことに触れているであろうことが想像できる私のような新聞記者にはインタビュー中に逆質問を仕掛けることもしばしば。
 「漂流教室」や「わたしは真悟」「14歳」などの作品はベースになる現代社会に対する知識が絶対に必要だっただろうが、物語を推進していく時には知的好奇心、知的探求心がエンジンになったはずだ。

 よく「肉体は滅びても精神は生き続ける」と言われるが、そんな非科学的な説明をしなくても楳図かずおは既に世界中のコンピューターやAIに自らの精神をプログラミングしているかもしれない。
 あるいはディープラーニングの過程で「楳図かずお」という巨大な知性の存在に気付いたAIの方からリサーチをかけて、その知の遺産を引き継いでいるかもしれない。
 それが未来において威力を発揮する時、楳図が謎を掛けた、未来、生命、宇宙というキーワードにどんな答えを出して人類を導いてくれるのだろうか。

 楳図かずおは永遠、だ。

 心より哀悼の意を表します。

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