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チョボらんま
『チョボラ』ってあったな?
あれ、持って行き方がよくなかったなと、今でも思うんですけどね?
たぶん意図してるのは『ちょっとした善意』ってことだと思うんですけど、その善意の受け手側からすれば『ほんの軽い気持ちで手助けしてくれたら嬉しいな』ってことかと思うんですけど、アクションする側としては『ちょっと』とか『ほんの』くらいのことを、こうやって針小棒大に扱わないといけないとか、誰かに言われたり、いちいち考えないと行動できない世界線の方がギョッとなりますしね?
どんだけ利己主義がこびりついてんの?
咄嗟に行動したり、自分で瞬時に判断できないその人の方が圧倒的に手助けが要る。あ、だから『ちょボラ』なんてやってたのか…
いや、利己主義はそれにも気づいて無いだろうけどね?
要するに多くの人たちは『これは手助けした方がいいのかな?』って手を出す前にいちいち考えちゃってるってことでしょ?
その判断の最中に『いやぁ待てよ、手を出した途端に「助けてくれって言いました?」なんて言われちゃったらハズいぞ?』って判断に至ってるケースもあるでしょうね?
そしてどこかに『感謝されること』がデフォルトで組み込まれてて『わざわざエレベーターのボタン押してやったのになんも言いやがらへんのな?』と、ありがとうの一言も会釈もない障害者の『やってもらってあたりまえ』を擦られて『もう二度とせん!』ってなっちゃうパターンもゼロじゃないだろうしね?
だから『ちょっとのことだからボランティアの精神でやってあげましょう!』とエレベーターのスイッチを押すくらいのことを『すすんでやりましょう!』と提言している。
これは完全に話を元に戻さないといけないと思ってるんですよ。
やって当たり前なんてものは無い。やってもらって当たり前もない。やってもらって嬉しかっただけしかない。
こんなもの気まぐれでいい。気まぐれに手伝ってあげたらいい。
もし『余計なお世話だ』って言われたら『クソが』と言ってやればいい。『ありがとう』って言われたら『お安い御用です』って言えばいい。
それでフェアだろ?
こういうのを『誰もがやらなければならないこと』にしてはいけないし、『出来ない人は人としてどうかと思う』なぞという批判に繋げられてしまっては、世界のあちこちに存在する小さな親切のどれもこれもがその輝きを失ってしまう。
障害者を助けてあげることは決して悪いことでは無いよ。でも絶対にやらなきゃいけないことなんかじゃ無い。
気が向けば助けてあげればいいし、『コイツは助けてやるけどオマエは自分でなんとかせい!』があったってそれが普通の人間の付き合い方だと思う。
障害者だからって特別視をして欲しいんじゃないんだろ?
駅員をわざわざ呼びつけて電動車いすを抱えさせて駅の階段を運ばせたりするのを『それが仕事』だとか『余り前』とか『権利』だとか言ってるヤツなんか最初から最後までほっときゃいいし、関わらんのが身のためだし、もうあとちょっとが届かなくてそれでも自分で何とかしようとしてる人には『手伝おうか?』って声をかけてやる。
それでいい。
気付かないヤツもいて、すぐ気が付くヤツもいる。絶対にやらないヤツもいて、すぐサッと手を出すヤツもいて、ありがとうって言うヤツも当たり前だと思ってるヤツもいる。
そんでいい。
障害があるからとか無いとか関係ない。だって『障害者だから可哀そう』なんてことは無いんだからね。『可愛そうだから助けてあげないと』じゃないって、失礼な!
人間としてよ。気が向くか向かんかだけなんよ。そんでええんよ。