わかちこわかちこ
『他人の言うことを気にするな。』という論調がある。
確かにそうかもしれないし、そうじゃないかも知れないという考え方で理解しておかないと『気にしなくていいって言ったやんか!』ってなるぞ?って話ですね。
恐らくその『気にするな』は、『そこまで過剰に反応しなくてもいいよ。』か、『他人の顔色ばかり伺ってちゃ生きづらかろう?』って意味じゃないかな?と思う。
『そこまで過剰に反応しなくてもいいよ。』ってのは確かにそう。
『止まれ』って言われたら1ミリも越えずに0秒で止まらなきゃいけないくらいに考えてないか?ってことですね。
どうあれ止まればいいじゃない?くらいでいいのに、1ミリ超えてしまったことに罪悪感を抱いてしまうと元も子もないじゃない?ってことね。
『他人の顔色ばかり伺ってちゃ生きづらかろう?』ってのも確かにあるよ。
でも大間違いをしでかす前に気づけるには、その『他人の顔色』は大いに判断材料として優秀である場合も多い。
つまり社会に生きてるので、いつ何時も『我関せず!』では行けない。
足並みだって揃えた方が効率も上がるでしょうし、分担した方が完了までスムーズに行くでしょうし、なのに『オレは知らん!我が道を行くまでだ。』って、ラオウじゃないんですからね?
いや、ラオウの生き方に感銘を受けるのはいいと思いますけどね?
『オレは将棋の世界で食っていく』って目標を持って生活のほとんどをそっちにシフトして生きてるとして、『そんな将棋でなんか食っていけるワケないだろ。』ってわざわざ言ってるくるヤツの言ってることなんかは確かに気にしなくてもいいとは思いますね。
いつも親身になってくてる家族や兄弟や友達でもあるまいに、何一つ責任も取らない『オマエは誰やねん?』の言うことなんかは気にする意味がない。
そんでまたこれもこれで、何一つ責任も取らないオマエは誰やねんなんですけども、そのオマエは誰やねんの評価によって収入を得てる場合は無下にも出来んでしょうからね?これまた悩ましいところかと思います。
特に人気商売なんかはそうよね?
実はそんな『オマエは誰やねん?』の評価があって実際に商品が売れたり、評価が上がったり、それで地位が確立出来てたりしてんのも事実です。
今じゃ下調べとして『オマエは誰やねん?』たちの評価を参考にもするし、『オマエは誰やねん?』が一斉に評価してくれることで『将棋の世界で一躍有名』になることだってあるかも知れないしね?
でも最後は自分しかないんでね?
やりたいのかどうか?どうしたいのか?どうなりたいか?絶対的な『未来の姿』を描いてるならば、他人の言うことは気にせず、他人のせいにすることなく、勇気をもってトライしていけばいいと思う。
ただ、親兄弟や友達の心配には耳を貸してあげてよね☆