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【連載小説】純文学を書いてみた3-3

外山滋比古さんの言葉。「作者の力は短く、優れた読者に認められた作品は命が長い」読み手が作品を自由に解釈することに文学の本質、面白さがあるのかもですね。11回目よろしくお願いいたします。
前回……https://note.com/sev0504t/n/n589432607e54
1-1(第1回)……https://note.com/sev0504t/n/n19bae988e901

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 二階の図書館はもうだいぶ使われていない古校舎のような印象と、ほこりっぽさが際立った空間だった。

 曇天の空は少しずつ明かりの量を増し、本棚のそこかしこにうっすらと白い膜が浮かんでいるように見える。もちろん点字本も半分ほどあったが、父の治療室のような均整さと緻密さに欠け、その場所に僕はあの治療室ほど心惹かれなかった。

 点字のファイルというのはほとんどが同じ大きさなのだろうか。父の治療室にある同じ大きさのファイルだけが並ぶ空間とは違っていた。違って当たり前なのかもしれないが、少しだけ僕の期待は裏切られた。

「あんまり利用されてないみたいだね」
「そうね、私以外ほとんど使ってないわ」
「それは、それは。なんかもったいないね」

 僕は近くにあった志賀直哉全集を恐る恐る手に取り開いてみた。おそらく何十年も開かれていなかったのだろう。表紙はシミのように黄色く変色し朽ちかけていた。
 東西に十ほどの書架が並び、その一つ一つは天井まで届きそうなほど高かった。どうやら奥にはカウンターもあるらしく、サイコロ状の返却日を示すカレンダーは三年前をさしている。

「しょうがないわ、生徒数は年々減っているし、本を読むよりラジオとかテレビとかのほうがみんなきっと楽しいのよ。活字離れって聞いたときこの学校も例外じゃないと思ったわ」

 彼女はこの空間を知り尽くしていた。点字本の位置ばかりでなく、四つ並べられた長机、木製の背もたれが座りにくそうな椅子、換気扇のスイッチ。まるで見えているようなそぶりで扱った。

「私のお母さん。私が小学生になったときにほとんど点字を覚えたのよ。普通の文字でかかれたものを点字に訳すこと点訳っていうの」

「へー、それじゃあ読みたい本をたくさん点字にしてくれたんだ」
「うーん、それがね。最初はとても助かったのよ。でも歳をかさねるごとに気づいちゃったの」

「なにを?」
「何だと思う?」

「想像もつかない」
「お母さんの訳してくれる本は抜けている部分が多かったのよ」

「それってどういうこと?」
 僕はぼろぼろになりそうな志賀直哉全集をゆっくり本棚に納めた。

「まあ、私が点訳してって頼んだ本がいけないんだけど、性的な表現と暴力的な描写が抜けてるの」
「へー、それじゃあ面白さは半減だ」

「そうでしょ、年頃の女の子が知らなきゃいけないこととか知りたいことはたくさんあるわ。お母さんの気持ちはわかるけど、いつからかこの図書館に来る頻度のほうが高くなっていったの」

 彼女は自分のお気に入りの棚から背表紙の点字を右手で器用に読みながら何を借りようか思案していた。その本棚だけはきれいに整えられている。誰かが彼女のことを思い、きれいにしているのだろう。

「で、抜けている部分を読んでどうだった?」
 遠慮は興味という大きさに打ち消されていた。彼女への興味。少し違う。体の中に凝り固まった氷が解けるような、その興味は自分自身に向けられているものなのかもしれないと思った。

「お母さんたら面白いのよ。セックスの描写をキスひとつで終わらせていたりして。でも原文を読むことができたとき衝撃だったわ、人間は醜くて、男ってバカで、女はしたたかなの」

「的を得てるよ」

「でもね、何か決定的に違うの。私の中にすっと入っていかないのよ。結局私は知識でしかないのよ」

「なんか、わかる気がするよ」
僕は父の行動をいろいろ思い出してみた。

「あのね、人間は8割近くの情報を視覚から得ているらしいの、だからもし私が恋をしたり、誰かから愛されたりしたら、それは本来見えてる人の2割しか味わえないんじゃないかってちょっと思っちゃったわけ」

 明るい彼女の声はほんの少し厳粛な調子を含んでいた。

「気持ちや感情が2割しかなくなるなんて想像できないけどな」

「おかしい?」

「いや、だってそうだろ。もし君が甘いもの好きだったとして、見えないからってだけで見えてる人の2割しか味わえないなんて」

 できるだけ何気ないように言ったつもりだったが、その口調がどのように彼女の耳に届いたのだろうか。少しの間、僕らは沈黙した。
    
 彼女は数分後考えたようなしぐさをやめ、そうかというようなそぶりを見せて口を開いた。

「そうね、私の喜びや怒りが他の人の2割であるわけないもんね」

 彼女の屈託のない笑顔と単純さが僕のすべての感覚を凌駕し、今まで味わったどの感情よりも心になじんでいた。

 もうひとつ付け加えるなら、その日彼女は僕に自分は甘いものは好きだという事実と点字の「あいうえお」を教えてくれた。

あ  い   う   え   お
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つづく
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ショートストーリーも書いてみました。読んでもらえたら嬉しいです。

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