ブラック・クランズマンとWEELKY OCHIAIとやりすぎ都市伝説、見た?
ブラック・クランズマンを知ってるかい?
スパイク・リー監督の2018年公開の映画。「おしくもアカデミー作品賞の受賞はならず」というニュースで去年知って、予告編見たら「かっこいい!」
これは見たいと思ってから半年以上経ち、年末に鑑賞。
黒人の警官が白人至上主義組織のKKKに潜入捜査する話。どうやって?って話だが、黒人警官が白人の振りして、電話をかけるんです。すると見事騙されちゃう。さすがに本人行けないから、実際に潜入するのは同僚の白人警官。電話は黒人、潜入は白人。「二人で一人を演じるんだー」。キャッチーっす。
1970年代の実話らしい。す、すごい、度胸。見てる間、バレないか冷や冷や。
あっちでは黒人が「ブラック・パワー!」と団結して集会を開き、こっちではKKKが「ホワイト・パワー!」と団結。KKK軍団は時代柄、過激なことはやらず、政治に出て行って政策的に排除しようと狡猾に企む。
「黒か白か」のザ・二元論。黒人警官のロンは、地元では初の黒人警官。最初に配属された資料室で「このヒキガエル(toad: 刑務所とかで使われるアフリカ系アメリカ人を侮辱する言い方)の資料くれ」なんて言われても、「ここには、人間の資料しかない」とキッパリと言う。俺たち人間。白人とか黒人とかじゃねぇ。
でもでも、当時の警察は白人の象徴的な組織と思われてて、助けたとしても黒人チームからは「けっ、腰抜けの裏切りもん」と思われちゃう。
スパイク・リーの風刺映画。時代は進んで現在。状況は変わったのか。確かに前進はしているかもしれないが、色んな「白か黒か」は至る所で、そのままの形で、あるいは形を変えて残ってる。「どうなんですか?みなさん。みなさんは変わったんですか?」と問いかけてくる。この前書いたアーティストのジョーダン・ウォルフソンは、もっと直接的かもね。
エンタメとしては期待値が高かったのでまぁまぁだけど、考えるには良い作品だと思う。NETFLIXとかで話が長くなればもっと色々埋め込めるのかなと思う一方で、微妙な二人一組感でストーリーを押していくには、一つの事件の一点突破でしか描くしかないんかも。原作はどうなんだろか。
ピンポンパンポン。そういやイギリスにいた時も、白人集会デモみたいなのが年一回くらいあったの思い出した。警察に見守られながら街中でワーワー言ってた。聞くとメンバーは貧困層が多いらしい。
厳しい状況だったら、連帯しなきゃやってらんないよ。連帯して「大きな課題を解決しよー」って、それ自体は普通のことだし。問題は、その課題の解決策の古典的なのが「あいつらが悪い!悪魔をたおせー」式をつい取っちゃうが、「その課題設定あってますか?」ってこと。
とは言えですよ。いやいや人間だもの、分かりやすい所で連帯しようとしちゃいますよね。違う身体的特徴を持つ人たちとか、違うステータスとか、違う宗教とかとか、まぁ色んな形で目に見えるもの。
インターネットが普及したり、飛行機でピョッと海外行けたりして、「世界って広い」って知っても、結局身近なところ次第。辛い…。だがしかし、グローバル化が進んでいくと、違うと思ってた敵方が「あれ、同じ悩み持ってる…」って機会に何度も遭遇しちゃうと、戦意を喪失しちゃう。ステップが一段宇宙寄りに上がった連帯の誕生。
「前だけを見ろ、命令は絶対だ」の時代は、「世界から目を逸らせ、命令を聞く以外は耳を塞げ」の時代。今も足もとで蠢くけど、もはや断末魔にしか聞こえない。
WEEKLY OCHIAIの年末スペシャルで、ゲストで出てた山下良道住職が、「見渡すと、どの宗教も違うこと言ってるって、つまり真理なんかないってことですって、もう分かっちゃう。だからお互い意見交換してる」的なことを仰られていて、牧師さんとお坊さんで対話してるとか。
前々回では落合陽一が「社会課題が解決されないのは、本当の課題にピントが合ってないから。21世紀は、課題を発見する世紀。そのために対話する」的なことを言っていて、ビビビと言語化してくれた。
そして、やりすぎ都市伝説のMr. 都市伝説の関。ちょっとずれるけど、年末の特番で仏教徒が出てきて、「高僧は宇宙と交信している」とか「7つ目のチャクラが開くと宇宙と交信できる。ヨガはその練習」とか。ローマ法王、仏教徒、メソポタミア文明、テクノロジーとかとか。自分もアートの歴史を勉強をするにあたって、ほぼ同じように宗教や神話を遡って調べてたから、よく調べてて「ダ・ヴィンチ・コード」(1作目ね)的な面白さがある。
という感想が言いたいのじゃなくて、世界各地の文明や宗教をごた混ぜにして、人類誕生という一つのストーリーを話せるというところに、この番組に時代性を感じるわけです。
もはや「二元性・分析性・合理性」から「相対性・統合性・動態性」をコンセプトとして考えなきゃなと、ブラック・クランズマン、WEEKLY OCHIAI、やりすぎ都市伝説を見て、改めて思ったのでありました。
ちなみに「「二元性・分析性・合理性」から「相対性・統合性・動態性」」は「小論文を考える」(長尾達也著)からです。
こんにちは