【雄手舟瑞物語#5-インド編】旅行2日目、逃亡計画I(1999/7/28①)
インド到着初日から色々あって、ホテルの部屋に戻ったのは深夜2時近く。直前まで僕はホテルから原付で20分くらいのスラム街にあるインド人宅にいた。ツーリストオフィスのボスのそのインド人宅でかなり遅い夕食をご馳走になっていたのだが、眼の前に出されたカレーとチャパティ30枚とウィスキーボトル1本を平らげないと帰さないと言われたときには、僕を酔わせて殺すつもりなのではないかという生まれて初めての恐怖感を覚えた。僕はまさに死に物狂いで完食した。掛かった時間は30分。ウィスキーでチャパティ30枚を胃に流し込んだ。死の恐怖を感じていた僕は満腹感も酔いも全く感じず、無事ホテルの部屋まで戻って来られたのだった。
僕はそのツーリストオフィスのボスに格安バスツアーを組まされ、お金も2万ルピー(約1万5千円)を支払い済みである。ボスは「9時にホテルまで迎えに来る」と言って、さっき家に帰っていた。僕は、ある計画を思いついていた。
逃げる。
せっかく初海外、初一人旅に来たのだから、誰かと一緒に回るなんて嫌だった。お金は支払ってしまったものの、まだ8万円くらいは残っている。帰りのフライトまで40日。何とかなる。ただ問題が、空港で拾ったタクシーの運転手に”セントラル(市内)”と言って連れて来られたここは、どうやら”セントラル”ではなさそうだ、ということだ。つまり、自分が今どこにいるのか分からない。本当は今すぐにでも逃げてしまいたかったが、現在地が全く分からない状態で真夜中の今、逃げるのは危険すぎる。外が少し明るくなるまで待つしかない。現在時刻は深夜2時。ついさっき、ウィスキーボトルを30分で空けたのにも関わらず頭は全然冴えている。
とりあえず僕はトイレに入ることにした。ニューデリー空港で次回のトイレに回した宿題があった。
僕はインドで二度目の大便をした。前回覚えたインド式ウォシュレット、つまりトイレに備え付けの水道で手桶に水を溜めて尻に掛けた。確信が持てるまで繰り返し掛けた。ついに決意した僕は僕の左手を僕の尻に差し出すことにした。左手は恐る恐る尻の穴に近づいていった。
触れた。
そして、拭いた。
その勢いのまま左手を目の前に戻したが、左手には何にもツイてはいなかった。合格だ。インドの洗礼を受けた僕はシャワーを浴び、風呂から出ると一端のバックパッカーになれた気がした。時刻はもう三時近い。逃亡に備えて、まだ一ページも読んでいない「地球の歩き方」を開き、地図を見ようかと弱気になったが、ここがどこだか分からないのに見ても仕方ないと、もがくのをやめた。そのかわり、さすがに疲れてきた僕は一旦少し眠ることにした。ただし、ボスが9時に迎えに来る前に逃げなくてはならない。僕は時計のアラームを6時にセットしてベッドに入る。
僕はきっかり3時間で目が覚めた。二日酔いも全くない。危険に対する人間の本能のすごさを改めて実感した。僕はすぐに支度をして、部屋を出た。フロントにはもう既に男のスタッフが一人立っていた。
「チェックアウトをお願いします。」とスタッフに伝えると、こんな朝早く出ようとする僕に少し怪しんでいる気配はあったが、それ以上は気にしない様子で彼は「宿代は8千ルピー」だと言ってきた。
「9千ルピー!!」
”ミドルクラス”のホテルと言えども、さすがにそれはない。日本円で2万円近くなどありえない。想定外の値段の高さに、僕はつい「9千ルピーはおかしい!!」と言い返した。スタッフは「ツーリストオフィスのボスと9千ルピーという話になっている」と勝手なことを言い出し始め、一歩も引かない。スタッフは「ちょっと待て」と言って僕をその場に留めると、誰かに電話をかけ始めた。僕は焦り始める。早く逃げなきゃ。僕は痺れを切らし、電話が終わったスタッフに「9千ルピー払うよ」と伝えるが、「とりあえずそこで待ってろ」と取り合ってもらえない。僕はゴネたことを後悔した。しばらくすると、スタッフが呼び出したのだろう、ツーリストオフィスのボスがやって来てしまった。
逃亡計画がここに潰える。
(前後のエピソードと第一話)
※合わせて、僕のいまを綴る「偶然日記」もよかったら。「雄手舟瑞物語」と交互に掲載しています。
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