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【C-SCRAP#22】集める

さりげなくマガジンの名前を「偶然日記」から「C-SCRAP」に変えてみた。

一昨日の「偶然日記#21」は迷走気味だったので書くのが苦しかった。が、こんな時こそ無理やりでもアウトプットする。「微妙だなぁ」と思ったけど出す。アートの学生のときは、そういう時はついリサーチというドロ風呂に浸かってしまう。これが結構気持ち良くて、時には1ヶ月も2ヶ月も入ってしまう。そして、先生に「アウトプットしなさい」と怒られる。

その時の反省を踏まえて、今は続けることを第一にしておく。でも、そのおかげで、ちょっとヒントが落ちてきた。

そもそも「何で書いてんだっけ?」ーコンセプトが分からなくなってきたので、一旦整理してみた。それは2つあった。

1つ目は、もう一方のマガジン「雄手舟瑞物語」が自分の過去に関連した内容なので、こっちでは自分の今について書こうというもの。

2つ目は、毎日のルーチン、つまり必然から飛び出して、サバイバルできる野生的な勘を養いたい。そのためには偶然性に慣れないといけない。どうすれば生活の中に偶然性を取り込めるのか。その試みを記録するもの。

どちらのマガジンにせよ、このnoteのテーマは、「ブレることは良いことだ。たくさんブレることで、実は何かを中心に歩き回っていることに気づく。その実態のない何かこそが自分らしさだ。この感覚を共有したい」ってなところだ。

過去のことは、自分のなかで大切な記憶しか残ってないから覚えていることを書けばいい。じゃあ「今のことは?」というと、記憶が新し過ぎるので咀嚼しきれておらず、なかなか難しい。

そんな中で、みうらじゅんの『「ない仕事」の作り方』を読んだ。「よく分からないもの」に対して敏感で寛容、そしてそれを集めるのはただ楽しいだけでなく、みうらじゅんをもってしても苦行。だが続けていると、その先に「ゆるキャラ」や「いやげもの」という新たな名前を付けて普及させ、人々が勘違いしてくるとジャンルが立ち上がる、というプロセスがよく分かった。

これを読んだのが、迷走の始まり。真面目な僕は「よく分からないもの」って何だ?「よく分からないもの」を書くには「よく分からないもの」を定義しないと、、、と考え始めてしまった。例えば、僕はフジファブリックが好きだ。でも、全然「よく分からないもの」じゃないし、結構な人が好きだ。「フジファブリック」という名前も既にある。映画も音楽もレビューを書いたっていいけど、何か違う。映画ライターや音楽ライターになりたいわけじゃない。

さらに、飢えた僕は「noteを多くの人に読んでもらうには、皆が知りたい情報を発信し続けて、信頼を得ることが重要」というような記事をたくさん読む。確かにそれも関心がないわけじゃないけれど、今の目的はちょっと違う。ビジネスじゃない。

みたいなループに入った。で、一昨日書いたのは、とにかく「分からないもの」が何か分からないが、「分からないもの」という感覚を大切にしよう、という自分へ戒めだ。中身なんてない。

だが、悩みながらもアウトプットすると良いことが待っている。今朝シャワーをしてると、急に「固有名詞」「レヴィ=ストロース」というキーワードが降って来た。

あっ、そうか。フジファブリックでも、ドラマでも、映画でも、デザインのことでも、アートのことでも、何でも皆が知っているからと言っても、自分なりの仕方で気になっている。それは言語化なり、視覚化なりしないと、どう気になったのか、見えてこない。そもそも、バンド名とか、ドラマとか、映画とか、ビジネス系のこととか等々、誰かが与えた名前だ。とにかく自分が気になったことをメジャー、マイナー関係なく記述して、数が溜まって俯瞰したときに、他人が作ったカテゴリーから脱却して、横串をさせる何かが立ち上がってくるのか、その時、初めて名前を付けれられるようになる、と気づいた。先に、みうらじゅんが言っていたことだが、ついつい見えている対象に目が(理解が)行ってしまった。

と言うことで、元ある名前は気にせず(元々、名前を覚えるのは苦手)、スクラップブックのように雑食的に記事を書いて行こうと改めて思ったのであった。

結局「ブレてるところがブレてない」だ。偶然も実態はないから、出会うことはない。金魚すくいみたいに、浮かび上がったものをすくう感じなのかなぁ。

※次回の「C-SCRAP」は8/17予定。「C-SCRAP:小さなかけら自体の記録」と「雄手舟瑞物語:小さなかけらを収集する男の記録」を毎日交互に掲載しています。明日は「雄手舟瑞物語」です。


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