FOREIGN AFFAIRS 2月号(2)
メリトクラシーと新エリートー中間層の崩壊とエリートの呪縛
コロンビア大学ジャーナリズム大学院名誉学長 ニコラス・レマン
法学者ダニエル・マルコビッチは、ここで取り上げる新著『メリトクラシーの罠』で、メリトクラシー(能力主義)の勝者たちは、エリート校を卒業するや、金融や法律などの領域で莫大な給料を得る「上位労働者」になると指摘している。
1995年のロンドンから文章ははじまります。社会学者マイケル・ヤングと過ごした著者ニコラス・レマンは、彼が1958年に出版した『メリトクラシー(日本語訳ではメリトクラシーの法則)という小説について触れていく。
アメリカといえば、「アメリカン・ドリーム、外資系企業などの出身出生関係なく能力次第で高給取りになれる。」と謳う国です。「開放的な競争環境であれば、もっとも適切な能力をもつ人物が成功する」という考えを、マイケル・ヤングは讃えませんでした。むしろ、それを批判する立場にいました。イギリスで生まれ、幼少期以外もイギリスで育ち、大戦後の労働党に貢献し、貧困地区から大きな影響を受けて公立学校制度改革にも着手した彼がどうして批判したのか?
マイケル・ヤング
大戦前から大戦後にかけて、11歳児に知能テストを行わせ、その後コースにふるい分けるシステムがあった。もちろん、マイケル・ヤングもロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業したエリートなのでパスしている。しかし、彼はその結果に悩んでいました。
「能力のある新アッパークラス」と「必要とされる能力を必ずしも満たしていなかったかつてのアッパークラス」の間に「道徳面での本質的な違いがあるのか」という問いに直面したからだ。
社会主義者だったマイケル・ヤングは機会の平等より純粋で広範な平等を望んだが故に、メリトクラシーの厳格な新階級制度より古いエリートシステムを好んだ。この一連の文章には?となりました。相続や世襲に基づく封建主義はメリトクラシーを基調とする新自由主義よりも好ましい、ばかなと思いましたが、これは法学者ダニエル・マルコビッチを引き立たせるための布石だと読み進めるうちにわかり、「はるかに年上のマイケル・ヤングを出汁に使うとは」と著者ニコラス・レマンの性格が少し好きになりました。
社会を良くするには、欠陥がなければならない
マイケル・ヤングの小説ではメリトクラシーに反対するポピュリスト、ナショナリスト、社会主義者が反旗を翻し、自身をモデルにした主人公も死んでしまいます。
メリトクラシーのようなはっきりとしたシステムは、人を不幸にすると勝者として立場ながら考えたのかもしれないなと感じてます。
ダニエル・マルコビッチ
メリトクラシーが実は出自に基づいている、とダニエル・マルコビッチは述べます。メリトクラシーは格差増大、比較的少数の受益者でさえプレッシャーで仕事中毒にし大きな所得のほとんどを私立学校や家庭教師に費やし、アメリカを陰鬱な社会に変えた。
そもそもメリトクラシーは自然に形作られたものでなく、メリトクラシーは機会の平等を促進する意図であったはずが、期待通りの促進できない。と彼は指摘します。
メリトクラシーの発案者である元ハーバード大学総長ジェイムス・コナント(メリトクラシーの発案者たちはメリトクラシーという言葉を用いていないので注意が必要)は、『階級なき新しいアメリカ社会の実現』を呼びかける論文をなんども発表しています。しかし、復員兵援護法で復員兵が簡単に大学に行けるシステムには反対していました。エリート学術機関の研究大学モデルを促進することが冷戦を勝ち抜くために必要であり、階級分断を防ぎつつふるい分けができる高校進学後の国民皆兵制度に基づく徴兵制度を考えていました。ジェイムス・コナントはヨーロッパの大学のように、エリート大学の卒業生が官僚になっていき(かつての日本もそうでした)、自分たちの子供が良い環境を得られるようにと願い、行動すると考えていたようです。ジェイムス・コナントはノブレス・オブリージュを信じていたのでしょうね。
結果はアイビリーグの大学入学審査が富裕層の親の影響が色濃くでる上に、卒業生は派手な地位と物質的成功へのチケットと大学を捉えていき、現在の格差社会に繋がっていきます。
イェール大学のロースクールで教鞭を執るダニエル・マルコビッチは『メリトクラシーの罠』にて、「この競争の参加者たちは、何が最大の栄誉であるかを理解している。」、「(あなたを生み出したシステムは)広範な社会にとっては破滅的な存在であり続けている」と辛辣な言葉をならべているとニコラス・レマンは述べるます。
感想
あえて、最後をはしょらせていただきました。ダニエル・マルコビッチの新書への批判が長談に思えました。おそらく、ダニエル・マルコビッチの新書を読み込まないとわかりづらい内容なのと言葉だったのと、言葉のエッジが効きすぎて読むのつらいなと、前段の歴史で十分と判断したためです。