認知症介護小説「その人の世界」vol.8『歌いたくなるのは』
退屈で仕方ない。
テレビの前に座っているが、見たくて居るわけではない。気晴らしに歩いてみても、すれ違うのは冴えない表情の老人とせわしなく動く若者ばかりだ。
テレビのワイドショーでは東京オリンピックを取り上げていた。昭和39年、当時の私は坐っている暇もないほど働きづめだった。身体が弱い夫の給料は安く、私は事務員の仕事をしていた。それだけではまかなえず、夜は清掃員として働いた。
「ソレ、トトント、トトント、顔と顔……」
ふと口ずさんでみる三波春夫の『東京五輪音頭』。東京オリンピックで世間が沸き上がったあの頃、ゆっくりと歌など聴く時間のなかった私は、通りすがった電気屋で立ち止まっては店先のテレビでこの歌を覚えた。帰宅してからも家事をしながら、脚にまとわりつく子どもたちと歌った。苦労はしたが、良き時代だった。
「ソレ、トトント、トトント、顔と顔……」
どうしても最後の部分しか思い出すことができない。
「一人で歌ってもね……」
独りごちていると、どこからかオルガンの音が聞こえてきた。そのメロディーに乗ってふぞろいな歌声も届く。
『こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさようねりの波の人の世にはかなく生きる野の花よなぐさめはげまし長崎のああ長崎の鐘は鳴る』
藤山一郎の歌声がよみがえる。悲しみをたたえながらも最後は明るく終わるメロディーから、当時の人々は詞のとおりなぐさめられ、励まされた。この歌は母が愛した歌だった。
オルガンの音色に招かれて足を向けると、老人の集団が歌っているところだった。席を立った男性老人の場所がひとつ空き、私はそこへ坐った。
『ソレ、トトント、トトント、顔と顔……』
『東京五輪音頭』だった。
私は思わず立ち上がると、歌詞を拾おうと耳を澄ませた。
「どうぞ」
隣でそっと囁いた声の主は、やわらかな笑顔の女性だった。その手元に目線を移すと、一枚の紙に太めの文字が書かれていた。
「今、ここです」
女性が指をさしたのは『東京五輪音頭』の二番の歌詞だった。
『ハアー 待ちに待ってた 世界の祭り
西の空から 東から
北の空から 南の海も
こえて日本へ どんときた
ヨイショ コーリャ どんときた
オリンピックの晴れ姿
ソレ トトント トトント 晴れ姿』
女性が指でなぞった文字を追いながら、オルガンの演奏に合わせて私は歌った。懐かしさに表情のほころびを隠しきれない。途中でつっかえると女性が一緒に歌ってくれた。すると重かった記憶の引き出しが、軋みながらも開いていく。気づけば私は手拍子を打っていた。歌が難しかったのか、老人たちの声はまばらだった。それでも最後の「トトント」だけは大きく揃うのだった。
演奏が終わると私は拍手をした。隣で女性も手を叩いた。
「ありがとう。私、三波春夫が大好きなの」
「そうでしたか。良かったです」
女性は嬉しそうに目を細めながら厚めの歌集を開いて見せた。
「本当はこっちを使っていたんです。でもさっき、あちらで五輪音頭を歌っていらしたのをたまたま聞いていたんですよ。それで急いで詞を書いて配っちゃいました。楽しんで頂けて良かったです」
私は弾む呼吸を隠そうともせず、女性の手を取った。
「とっても楽しかったわ。こんなに楽しいのは久しぶりよ。私、歌は下手だけど、こうして歌うのは好きよ」
私の言葉に女性が口を開きかけた時、次の演奏が始まった。私が坐ることも忘れて歌い始めると、女性は隣で手拍子を打った。
「よろしかったら次の歌もどうぞ、と言うまでもないですね」
演奏が終わると女性はくすりと笑った。
「私、三波春夫の歌が歌いたいわ」
「また弾いてもらいましょう」
私の耳元で女性が囁いた。
見渡せば、見知った人など一人もいなかった。けれどこの一体感は何だろう。同じ時代を生きた者だけが分かち合うことのできる感覚なのか、あるいはそれを越える何かなのか。
「毎日やってくれるなら、毎日ここに来たいわ。本当よ」
私が言うと、女性はただ笑顔で私を見つめ返した。
「本当よ」
私は念を押した。
※この物語は、介護施設を舞台として書かれたフィクションです。
【あとがき】
このショートストーリーは、「もうひとつのvol.7」と言った方が良いかもしれません。私はいつも「集団ケア」と「集団」の違いを線引きするように意識しています。個を見ずに一括りにする画一的な集団ケアはない方が良いですが、時に大勢であるからこそ心身が活性化される良さが集団にはあります。大切なのは集団における個別ケア、関係性の構築だと思っています。
悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは誰もが持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。より深い理解を得るため、物語の力を私は知っています。
※この物語は、2016年1月に書かれたものです。