認知症介護小説「その人の世界」vol.13『俺は誰だ』
自分は誰なのか。
近頃の俺は、自分が何を考えているのかすら分からない。感じ、行動する。いや、感じるのと同時に身体が動いている。動物的な本能で生きているような感覚だ。
かつての俺が何者であったのか、おぼろげな記憶はある。俺は長年、タクシードライバーだった。運転席が仕事場だ。何も考えなくとも、仕事に行こうとすれば身体は自然と車に向かう。向かおうとして、自分の身体に運転がしみついていることを実感する。
しかし最近どうもおかしい。何がおかしいのか説明することもできない。とにかく運転ができない。車の鍵が見つからないとか、エンジンがかからないとか、事情は何であれ車を動かすことができない。
もはや自分は誰なのか、そんな思いが光のような速度でよぎるのは、そうやってひとつのことが思い通りにならない時だった。
俺は親ゆずりの性格で、子どもの頃から穏やかだった。同級生とケンカなどしたことがなかったし、競争心のかけらもなかった。のんびりしていることで周囲を苛立たせることはあっても、自分自身の感情は常に平らだった。
それが今は違う。車が動かないとなると、自分でも驚く間がないほど瞬時にはらわたが煮えたぎる。
運転席であらゆるスイッチを押し、あらゆるレバーを倒す。なぜ動かないのだ。気がつけば俺は怒りに任せてクラクションを鳴らし、役に立たないハンドルをもぎ取ろうとしている。俺はもう俺ではないのか。情けないとか、そんなことを思うより先に叫び出している。
「お父さん、もうやめてちょうだいっ」
運転席のドアを開けて俺の腕を掴んだのは妻だった。邪魔をしようとする奴には無性に腹が立つ。俺はその手を振り払って妻の頭をはたいた。
「お父さん、近所迷惑だからっ」
妻は痛いとも言わずに俺を運転席から引きずり降ろそうとした。俺は妻を突き飛ばすと、再びあらゆるスイッチを押しまくった。すでにその目的も忘れているように思えた。とにかく車が動けばいいのだ。
「奥さん、これは薬をやめましょう」
聞き慣れない男の声がする。妻の後ろに見えた姿は白衣の男だった。
「でも、前の先生は薬をやめるともっとひどくなるとおっしゃって……」
何の話か分からないが、嘆くような妻の声だった。
「いや、これは今の薬をやめるだけでかなり良くなると思いますよ」
そう言うと、白衣の男は助手席に乗り込んできた。俺は奴のことなどどうでも良かった。ただひたすら車を動かしたかった。男は何をするでもなく、黙って俺の隣にいた。時々、俺はどうしようもなく男に八つ当たりがしたくなり、男の脚をげんこつで叩いてやった。男は顔色ひとつ変えず、隣に座っていた。悪い奴ではなさそうだった。
どれくらいそうしていたのかも分からない。諦めるというか、疲れて俺はシートにもたれた。俺たちは黙って家の庭を眺めていた。
しばらくして男は助手席のドアを開けると車から降りた。車中にひとり残された俺は無音の空間で少し淋しさのようなものを感じ、男の後を追って車から降りた。
「いい庭ですね」
男が言った。俺はこの男を何となく気に入った。
「おうちに入りましょうか」
そう言って男はにっこりと目を細め、俺の腕にそっと触れた。俺のことを分かってくれそうな奴だと直感した。
俺は男の手を取り、握手をした。それを見た妻がなぜか泣いた。
※この物語は、往診の場面を描いたフィクションです。
【あとがき】
抗認知症薬の過剰投与や投与そのものにより、作用よりも副作用が強く出る症例が報告されています。認知症といっても原因や状態は様々で、すべての人に抗認知症薬や事実上の増量規定による処方が適しているわけではありません。副作用を疑わないと、悪化した症状を抑えるために更に新たな処方がなされる場合もあります。作用も副作用も人によって様々で、薬の種類や量を微調整しながら医師や患者、家族、専門職が話し合い最善を見つけられることが大切だと私は介護現場で学びました。
不穏な言動は周囲から“大変な人”と捉えられがちですが、自分自身の感情や言動をコントロールできない本人にとって、その状態はどれほど苦しいことでしょう。自分らしさが失われ、それまでの自分が壊れていくような感覚がもしも薬の副作用によるものだとしたら……。同じことが自分にも降りかかると想像した時、人は何を望むでしょうか。
悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは誰もが持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。より深い理解を得るため、物語の力を私は知っています。
※この物語は、2016年5月に書かれたものです。