認知症介護小説「その人の世界」vol.2『入らねえよ』
「三郎さん、お風呂に入りましょ」
短パンからにょっきりと脚を出した姉ちゃんが俺に話しかけてきた。俺の名前を呼んだが、見たことのあるようなないような姉ちゃんだった。今日は雨でもないのにシャツがびっしょり濡れている。
「なして風呂だ。風呂なんか入らねえ」
俺は今日、近所の公民館に来ていた。組合の会合がある時は、いつも俺が公民館の部屋を取っている。今日は窓口が少し混みあっており、俺は手続きの順番を待つため窓際の長椅子に腰をかけていた。
「順番が来たから。行きましょ」
姉ちゃんが俺に手を差し出した。俺は特別に寒がりではないが、長袖のポロシャツにジャージを羽織っている。それに対して姉ちゃんは裸足にサンダルだった。
「入らねえって。なして風呂だよ」
俺は首を横に振って腕組みをした。風呂はいつも夜に入るし、風呂の後で母ちゃんが作ったつまみを肴に一杯やるのが楽しみだった。それよりも、こんな所で変な格好の馴れ馴れしい姉ちゃんに風呂に誘われるというのはどういうことだ。
「温泉があるから。一緒に行きましょ」
「聞いたことがねえな。もう構わないでけれ」
「えーっ。次の人に先越されちゃうよ」
「だから何だ。いらねえって言ってるべ」
「ほら、女湯になっちゃう前に」
「うるせえなっ。女湯になったらあんたが行けばいいべ。しつこいのは嫌いだ」
俺はそっぽを向いて見せた。
「分かったよ。もういいよ」
姉ちゃんは鼻でため息をつくと姿を消した。ため息をつきたいのは俺の方だ。言い方は悪いが、あの姉ちゃんはちょっと頭がいかれているのかもしれない。
俺は窓から空を見上げた。突き抜けるような青空だった。田んぼの方は今朝、ひと段落ついた。組合の仲間もだいたい同じだろう。
「あれっ、三郎さん。三郎さんでねえですか」
俺の前で立ち止まった兄ちゃんが近寄ってきた。知り合いではないが、見たことのある顔だった。
「あれ、あんた誰だったっけかな」
「ほれ、こないだ組合で世話になった畠山の息子さぁ」
兄ちゃんは俺の隣に腰を下ろすと、身体ごとこちらを向いた。
「あんれ、そうかい。すっかり忘れちまって悪かったなぁ」
「いんや、構わねえです。それより三郎さん、これから行きますか?」
「これから?」
俺は首をかしげた。
「んだ。組合長が議員さん連れてくるって言ってたの、今日ですね」
どくり、と心臓が鳴った。俺にはおぼえがなかった。そんな話があったのか。
「いや、知らねえ」
すると兄ちゃんは、ええっ、と言って反り返った。
「それ、まずいでねえですか。三郎さんも行かねば」
「んだな。聞いてよかった。今日は場所取りに来てたもんでさ」
「んだか。あと1時間あるから大丈夫だ。それより三郎さん、汗は流しましたか」
「いや、なんも」
兄ちゃんは身を乗り出すと、通路の奥を指さして言った。
「せば、あっちで流していきましょう。俺も今から風呂に行くところで。議員さんに会う前に流した方がいいです。滅多に会えない人だから」
確かにそうだと思った。今朝の田んぼで汗をかいていた。
「分かった」
俺と兄ちゃんは同時に立ち上がると、並んで歩き始めた。兄ちゃんが言った。
「三郎さんの身体、俺が流してもいいですか? 世話になってるから」
俺は少し考え、そして言った。
「流してもいい。あそこ以外はな」
兄ちゃんの笑い声が通路に響いた。
※この物語は、介護施設を舞台として書かれたフィクションです。
【あとがき】
今回のショートストーリーも、アルツハイマー病の男性が主人公です。主語を本人にした時、例えば私たちから見ると見当識障害(今いる場所や時間、人などの見当がつかなくなること。認知症の中核症状のひとつ)であっても、本人の世界では見当がついていることになる場合があります。その視点から改めて環境を見つめると、いわゆる「拒否」と呼ばれがちな言動も実は私たちが引き出したものだと分かるのではないかと思います。
悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは誰もが持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。
より深い理解を得るため、物語の力を私は知っています。
※この物語は、2015年11月に書かれたものです。
私の作品と出逢ってくださった方が、自分の世界をより愛しく感じられますように。