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エッセイ「母とボケ」
自宅の庭に咲くボケの花はひとつの株から何色もの花を咲かせ、中には1枚の花びらの真ん中できっちり紅白に分かれているものもある。
母はそれを『想いのまま』という種類だと言い、枝に名札まで下げている。調べてみるとそれは梅の種類の名前で、ボケではなかった。ところが私がいくら説明しても母は、これが『想いのまま』なんだと言い張る。そのうち私もどうでも良くなって、母の言う通りなのだと思うことにした。
私から見ると、母はどう考えてもアルツハイマーだ。まるでテキストの事例に出てくるような、アルツハイマーの見本みたいな人だと思う。鑑別診断などしなくてもわかりきっているから、私はあえて専門医の受診を選択しなかった。
それなのに、母の三叉神経痛の治療をきっかけにMRIを撮ることになった。そして私は担当の女医から驚きの事実を告げられることになる。
「お母さまは、アルツハイマーではありません」
確かに画像を見ると、海馬どころか脳のどこにも萎縮がない。とてもきれいな脳ですね、と先生が笑顔で言う。私はちょっと、むきになっていた。
「先生、母はどう見てもアルツハイマーなんです。テキストに出てくるような典型的な人なんです。これまで私は認知症の研修で、アルツハイマーの起因についてさんざんしゃべってきたんです。母がアルツハイマーじゃなかったら、いったい何だということになるんでしょうか」
先生は、うーん、と首をかしげた。そうですねえ、と輪切りの画像を何枚もスクロールして眺めた。そしてこう言った。
「現代の医学では、まだ分からないことがあるんですね」
その瞬間、私は肩の力が抜け、がっくりと首を垂れた。そんな私をよそに母は隣で、遠い国の話でも聞いているような顔をしていた。
毎年、庭のボケが咲くと何枚も写真を撮るのが私の恒例となっている。そこに母はいつも現れて、かわいいでしょ、と自慢げに言う。
「なんでボケなんて名前になっちゃったんだろうね」
私が言うと、そうだね、と笑った母が続けた。
「人間のボケも、きれいに咲くんだよ。なーんちゃって」
はっ、と動きがとまった。『想いのまま』という名札が目に入る。
今の母は、若い頃よりずっと想いのままに生きている。自分の気にしたいことだけを気にして、庭の草取りに集中して、眠くなったら居眠りして、お腹が空けば中途半端な時間に焼きおにぎりを作ってかじっている。それで夕飯を食べられなくなって私に怒られ、焼きおにぎりなんか食べていないと私を嘘つき呼ばわりする。自分のしたことを忘れ、あんたは何でもあたしのせいにする、と文句を言う。それもすぐに忘れ、くだらないことで一緒に笑う。早く寝なさい、と私を心配し、あんたは言うことを聞かない、とぼやく。
確かにね、きれいだよ。たくさんのしがらみから解放されて、純粋に心配したいことだけを心配して、美味しいと思うものだけをいかにも美味しそうに食べる姿。
私はそれをみていよう。季節とともに移りゆくボケの美しさを、適当に手をかけながら、いつまでも、みていよう。
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