貴く久しい君の誕生日に寄せて
今となっては国宝級イケメンランキング殿堂入り、ドラマや映画に引っ張りだこ、そんなSnow Manのめめこと目黒蓮の誕生日は2月16日、何を隠そう私の誕生日の翌日である。
とのっけからスベる気満々の書き出しで始めてみる。
何故私はこんなにも導入が下手でそして雑なのか、というのは言わないで欲しい。私も一番それをわかっている。
さて、たまたま誕生日が別のちょっとばかり有名な「○○の日」に被っている、という人は居るだろうか。勿論「○○の日」が制定されていない日など存在しないだろうから皆そうなのだけれども(ちなみに2月15日は『春一番名付けの日』だった。なかなかロマンチックである)。そういう人は比較的誕生日を覚えて貰い易いのではないか?と想像する。
私が今のところパッと思いついたのは昔の友達の誕生日(2月11日はご存知の通り『建国記念日』である)、Travis Japanのメンバーである川島如恵留の誕生日(11月22日は言わずと知れた『いい夫婦の日』だ)、そして大人気漫画「名探偵コナン」の主人公である江戸川コナン(またの名を工藤新一)の誕生日(5月4日はみんな大好き『みどりの日』だ)くらいなのだけれども、この記事の主役はその誰でもない。
夏に生まれた筈なのに夏が大嫌いな、アメリカ独立記念日に生まれたあるアイドルの話だ。
NEWSのメンバーであるまっすーこと増田貴久がもし生まれた場所が日本でなかったら、ちょっと危なかったかもしれないと思う。
アメリカで7月4日といえば大々的な祝日だ。ニューヨークに行けばどんどこ打ち上がる花火が見られるし、そもそも祝日が嫌いな人間など居るのだろうか?そら居るか。でもまあ、きっとアメリカでも少数に違いない。
しかも、7月4日はただの祝日ではない。アメリカがイギリスから独立を勝ち取った、記念すべき祝日である。
そんな日に生まれたなんて言ったら、もう、ねえ。いや知らんけど。
もしまっすーがアメリカに生まれていたら、もしかしたら蛍光ピンクとか、はたまた青とか、そんな色の3mくらいあるケーキを食べていたかもしれない。
「7月4日に生まれて」という映画がある。主人公のロンは7月4日生まれで、並々ならぬ愛国心を胸に抱いてベトナム戦争に赴く。その後どうなったかは…まあ、お察しの通りだ。下半身不随になった、とだけ言っておこう。勿論それ以上に(色々な意味で)悲惨な描写が幾つも登場する。戦争なんて碌なもんじゃない。
まあこれは全部この映画を観た母親からの受け売りで、私自身はこの映画は観ていない。観る予定も今のところない。
勿論主人公がベトナム戦争に赴くに至った経緯と彼の誕生日に因果関係はない。だがしかし要するに何が言いたいかというと、この映画は私に
「アメリカで7月4日に生まれるとやばい」
という偏見を植え付けるに十分だったという事だ。
話は逸れるけれども、日本では8月15日は「終戦記念日」に制定されている。されているのだけれども、私は捻くれ者なので
「記念日って何だ記念日って」
と思ってしまう。戦争が終わった。それ自体は良い事だ、間違いなく。でもそもそも戦争自体が駄目なのであって、まるで戦争が終わったのが良い事みたいに大々的に言われるのはモヤッとする。
最近は広島や長崎に原爆が投下された日がいつかわからない人も少なくないらしい。世界中で戦争が繰り広げられている終末世界で戦争から遠い日常を送っている、という意味では良い事なのかもしれないけれど、それで良いのかなあ、と私は首を傾げている。こんなnoteを呑気に書いている私も、その実危機感なんてないのだろうけれど。
話を戻そう。
アメリカでは7月4日は大々的な祝日だけれども、日本は特にそんな事もなく、普通の日である。良かった〜。ちなみに何の日か調べたら「梨の日」だった。それはそう。でも多分まっすーは梨よりマスカットの方が好きだ。知らんけど。
とまあトークテーマ「7月4日」でここまで脱線できる人間、それが私である。今から履歴書片手に朝日新聞に駆け込めばすぐさま天声人語の執筆担当になれそうだ。そんな私がここから好きな人、そして彼の大切な居場所の事を話す。一体何処まで字数が延びるやら。正直何処から話せば良いのか私も書きながら途方に暮れている。でもきっとこんな長々と彼の話をする事ももうないだろうから、まあ書いていこうと思う。まずは、彼との出会いから話そうか。
正直に言うと、私とまっすーこと増田貴久の馴れ初めは特にない。
これだけ言っておいて、ないのである。
ニュース番組でキャスターを務める慶ちゃんこと小山慶一郎、「ピンクとグレー」を執筆し小説家としても名高いシゲこと加藤シゲアキ、そして良からぬ噂(主に女性関係)ばかりが耳に入ってくる手越祐也。そんな3人に比べて彼は少しばかり影の薄い存在だった。
いや、少し違う。彼の事は知っていた。けれど、明確に彼を何処で知ったのかが思い出せないのだ。今も定期的に思い出そうと努力しているのだけれども思い出せないし、何なら考えれば考えるほど思い出せなくなっていく気がする。それだけ「まっすー」はさりげなく私の人生に入り込んでいた。
それにしても「増田貴久の愛称」としての「まっすー」の浸透度の高さは凄まじいものがある。松任谷由実を「ユーミン」、指原莉乃を「さっしー」と呼ぶのと殆ど同じノリで、人々は彼を「まっすー」と呼ぶ。彼自身が一人称として「まっすー」を用いる事すらある。かつては「タカ」と呼ばれていた時期もあったとかなかったとかいう噂もあるけれど、いつからの愛称なのか、誰のつけた愛称なのかすらわからない(本人は『前世から呼ばれていた』と言い張っている)。増田貴久という人の認知度がどれほどかは置いておいて、愛称の浸透度だけなら本当に「ユーミン」に劣らないと思う。
思い出せる範囲で言うと、2021年のベストアーティストがある。その頃NHKでは朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が放送されており、初代ヒロインで上白石萌音演じる安子の最愛の夫、雉真稔役で彼らの後輩にあたるアイドルグループ「SixTONES」のメンバーであるほっくんこと松村北斗が出演していた。その爽やかな雰囲気と優しい人柄に母親はすっかりやられていたのだけれども、当時ジャニーズ事務所に所属するアイドルというやつが大嫌いだった私は彼の事を斜に構えて眺めていた。それだのに私は母の付き合いでベストアーティストの録画を見て、そこでSixTONESのパフォーマンスに魅せられ彼らにドハマりしてしまった。
勿論そこで話は終わらない。私は何となくそのままSnow ManだとかKAT-TUNだとかのパフォーマンスも惰性で眺めていた。
そこに登場したのがNEWSだった。当時加藤シゲアキが出演していた日テレ系のドラマ「二月の勝者」が放送中で、オープニング曲がNEWSの「未来へ」だったのだ。そこでNEWSと一緒にコーラスで登場するのが柳楽優弥演じる黒木蔵人が勤める学習塾、桜花ゼミナール吉祥寺校の塾生を演じていた子役の子達で、その中には市川海老蔵(現市川團十郎)氏の愛娘、ぼたんちゃんが出るとの事でまあ見てみようという事になったのだ。私も母も嫌なミーハーである。
パフォーマンスを見ていた時、急に
「ありのままでいい 僕らはその強さを放っていいんだ」
という声が耳に飛び込んできたのだ。勿論私はしっかり彼らを見ていたので、それ以前もそれ以後の歌唱も耳に入ってはいるのだけれども、そこだけが雷の様な強い衝撃を持って私の耳に入った。そして心を揺さぶった。
「この人は何て歌が上手いんだろう」
私は酷く驚いていた。
くすんだ茶髪のまっすーが、そこに居た。
私は当時彼に殆ど思い入れがなかったので大して気にしていなかったのだけれども、2021年は増田担(増田貴久の担当、つまり彼のファンの事だ)にとってある意味試練の年だったと思う。
2019年に日テレ系のバラエティ番組「ぐるぐるナインティナイン」のワンコーナー(と呼ぶには随分大きな比重を占めているが)、「ゴチになります!」をクビになってしまったケンティーこと中島健人の後に加入した増田は、非礼を承知でかなり乱暴に言えばバカ、優しく言えばポンコツであった。
口下手な彼は食レポが大の苦手で(今もかなり苦手としている様に見える)、料理の値段を正確に予想する企画なのに彼の予想した値段はいつだって大外れ。値段を外し過ぎて最下位を取り過ぎた結果彼が自腹で支払った金額は100万円を超えていた。普段の仕事で相当な現金もといクッキー(彼は番組に出演したギャランティを現金ではなくクッキーで受け取っていると言い張っている)を受け取っているであろう彼でも他人の為に総額100万円を支払う(そして年末に出演番組を1つ失う)という状況は流石に心にくるものがあった様で、当時の彼はストレスから相当顔色が悪かったらしい。今年のクビは彼だ。誰しもがそう思った。遅ればせながら番組を見始めた私も勿論そう思った。
ただ、私は彼にクビになって貰っては困るという切実な事情があった。
SixTONESでは、バラエティ番組によく出演するジェシー、田中樹、髙地優吾の3人を「バラエティ三銃士」と呼んでいる。当時から彼らは人気があった。
「まっすーがクビになったら次の新メンバーはジェシーか樹だ」
私にはそんな確信めいた予感があった。勿論それこそSnow Manにも深澤辰哉、佐久間大介、向井康二を指す「ドラマ班」というSixTONESでいう「バラエティ三銃士」に相当するメンバーが居たし、それこそTOKIO、NEWS、Sexy Zone(現timelesz)以外のグループのメンバーなら誰でも呼ばれる可能性があった。それなのに、何故か私はそう思ったのである。
番組の収録が長時間に及ぶ事、栄養バランスが考慮されているかわからない高級料理をそれなりの量食べる事で発生する健康管理のコスト、「もし予想金額が実際の金額と乖離し過ぎていた場合に自腹で全員分の料金を支払う」というプレッシャーからくるストレス、それらを想像してしまうと、私は彼らにこの番組に出演して貰いたいとは全く思えなかった。
「まっすーがクビになったら困る」
私はそう思った。
大多数の増田担や彼の出演を楽しみにしていた当時の視聴者は
「まっすーをゴチで見続けたい」
というモチベーションで彼の残留を願っていた筈なのだが、私だけは全く異なるかなりネガティブなモチベーションで彼の残留を願ったのである。
さて、ゴチの最終戦の放送日、12月30日。同日事務所の合同ライブ「Johnny's Festival ~Thank you 2021 Hello 2022~」に出演していた彼はクビになるメンバーを生放送で発表する会場に遅刻して現れた。
最下位か1位の2択、というところまで残された彼は顔色も悪く少し泣きそうですらあり、もうクビが決まってしまったものだと誰しもが思った。
しかしながら彼はその日、あろう事か1位を取ったのである。
最終戦で1位を取った人は「大精算」となり、それまで支払った金額がそっくりそのまま返還され、残留が確定する。1位を取る以外で残留の道がなかった彼は見事に1位を獲得し、100万円もとい100万クッキーを返還されたうえに残留を決めたのだ。
NEWSのインディーズデビュー曲「NEWSニッポン」には
「NEWS! 奇跡起こせ」
という歌詞があり、メンバーの小山は「NEWSニッポン」を歌って顔色が最悪の彼を送り出したのだけれども、本当に彼は奇跡を起こしたのである。
しかし、それは彼の大親友で同じく値段予想の下手だった松下洸平が最下位にスライドする形でクビが確定するのと同義でもあった。涙を流しながらも親友が残留した事に安堵の表情を浮かべた松下を見ながら彼は泣いた。私は泣きこそしなかったけれど、彼らは本当に親しげに見えたので悲しかった。今でも彼はゴチの最終戦の日には毎年の様に増田を激励するVTRを送ってくれる。
大して思い入れのなかった筈の彼に起こった顛末を何故こんなにはっきり覚えているのか、私自身よくわからない。あまりにも劇的な結末に本当にびっくりしてしまったからかもしれない。
私は「ジャニーズの増田貴久のここぞという時の強運」をリアルタイムで見てしまった。その強運は、万人受けする様な顔立ちではなくあまり「イケメン」と褒められるタイプではない彼が「スターであり、アイドルである事」の何よりの証明の様に思えた。
翌日開催された「ジャニーズカウントダウンライブ」に、彼は憑き物が落ちた様な晴れやかな笑顔で登場した。
…あろう事か全身タイツで。
寅年生まれで年男だった彼は、他のアイドルがトラのカチューシャを身に着けるに留まっていたところに黄色の全身タイツとトラの耳がついた帽子で登場し、他のタレント達やコンサートに足を運んでいた参加者、そしてフジテレビで生中継されていたこのライブを視聴していた視聴者全員の爆笑と失笑を掻っ攫っていった。新年の初笑いと初呆れを全身真っ黄色のトラ男に持っていかれる経験をする機会はもう一生ないだろう。
その後に放送された「ネタパレ」でも増田は黄色いTシャツに長い1本のおさげ姿で登場し、
「あれ!?まだ番組続いてたっけ!?」
と驚き混乱したというところまで含めて、その年の年越しは忘れられないものとなった(翌年のライブに彼はウサギの耳の被り物と真っ白な全身タイツで登場したのだが、それはまた別の話だ)。
もう暫く私の話にお付き合い頂きたい。
それから私の中では増田貴久という奴は所謂「おもしれーアイドル」という立ち位置に収まっていた訳だけれども、NEWSの楽曲を聞いてみようというところまでは至らなかった。
メンバーの小山と加藤の起こした不祥事はまだ記憶に新しく、私の中のNEWSのイメージはあまり良いものではなかった。そんな訳で私は彼らの曲まで興味を持てる気がしなかった。
そんな私に転機が訪れたのは、2022年の7月の事だった。
ある日、私はYouTubeのおすすめを眺めていた。何の為だったかは覚えていない。
おすすめをスクロールしていた時、目に留まったのがNEWSの「三銃士」という曲だった。何故再生しようと思ったのかはわからない。カラフルなサムネイルに惹かれたのかもしれない。
流れ始めたのはアップテンポなポップス。GReeeeN(現GRe4N BOYZ)から楽曲提供を受けた曲だという事を後に知った。
しかしながら「三銃士」のMVはNEWSが歌ったりダンスをしたりとパフォーマンスをする様なものではなかった。
傘を差してみたり、電話をかけたり、バットを振ったり、キャッチボールをしたり、はたまたフランスパンを振り回してみたり。カラフルで雑然としたセットの中で3人は歌いながら元気にじゃれ合っていたのである。そのコミカルで微笑ましいMVに私はほっこりしてしまった。
暫くして、歌詞が沁みてきた。
コロナ禍の自粛期間中に勉強しながら惰性で見ていたワイドショー。新型コロナウイルスのニュースに混じって繰り返し流れていたニュース。クビになる様に、或いは自身の居場所を嫌う様に辞めていってしまった人の事。
3人になっても、彼らはそこに立っていた。その事実がファンでもないのにやけに沁みた。
私はこの曲が好きになり、よく聞く様になった。
父がコロナになった。
私と父は喘息、所謂「基礎疾患」を持っている事もあり、新型コロナウイルスに罹患しない様に細心の注意を払っていた。コロナ禍に入る前から手洗いうがいの習慣がなく、またなかなか身に着かなかった父が細心の注意を払っていたかは微妙なところではあるけれども。
しかしながら
「コロナになる時はなる」
とはよく言ったもので。勿論対策を緩めて良いという言い訳ではなく、どんなに対策したとてなる時はなるのだ。
ある日曜日、父はとても具合が悪そうにしていた。咳がいつもより酷かった。
「喘息の発作かもしれないしコロナかもしれない」
というので父は病院に行った。そして帰ってこなかった。
これは私も母も、そして父自身も気づいていなかったのだけれども、父は新型コロナウイルスに罹患して重症化していたのだった。彼はそのまま集中治療室での入院を余儀なくされた(今は元気に働いているので安心して欲しい)。
私はその時大学の期末テストを控えており、月曜日からテストが始まる予定だった。
夜中に勉強しているうち、私も喉が痛くなってきた。痛過ぎて眠れないとかそういう事ではないけれども、
「喉に違和感がある」
という言葉でスルーするにはあまりにも存在感のある痛みだった。
「コロナだったらどうしよう」
と思ったら不安になって、私は眠れなくなってしまった。
翌朝、喉に痛みがあるので学校を休むと連絡した。幾つかのテストはオンラインに振り替えになった。その頃には喉はおろか頭痛や関節痛まで起きていて、別に座っていられないほどではないけれどテストを受けられる状態ではなくなっていた。
カメラなどが特にないのを良い事に私はヘッドフォンで「三銃士」を聞きながらテストを受けた。軽快なBGMがなければ難易度の高いテストと頭痛で頭がおかしくなりそうだった。決して勇壮な歌詞ではないけれど、「三銃士」はテストの間中私を励まし続けた。
その日の午後、たまたま空いていた枠で検査を受け、私も新型コロナウイルスに罹患していると診断された。
それから、NEWSについて調べる様になった。
スラッとしていて少し鼻にかかる甘い声なのが小山慶一郎、目鼻立ちがくっきりしていてハスキーな声なのが加藤シゲアキだと知った。
私は彼らの人柄を知りたくてMステカメラを見た。
彼らはSixTONESに負けず劣らず話が長かった。元キャスターと小説家を擁するグループはどれほど真面目でお堅いのだろうと思っていたので、陽気で気さくな彼らの姿は少し意外だった。
曲も聞く様になった。様々な曲調の曲があった。軽快なポップスの他にロックの様な疾走感のある曲や、魂を揺さぶるバラードもあった。
そんな頃、NEWSが2年振りに新しいアルバム「音楽」を発売する事になり、リード曲「TRIAD」のMVがYouTubeに公開される事になった。これも何かの縁だと思い、私はそのMVを見る事にした。
NEWSの3人が各々に演奏した様々な楽器、そして彼らの声。沢山の楽器が混ざり合って生み出された音楽と世界観に私は引き込まれ、すっかり魅了されてしまった。
私はそれから、ずっとNEWSのファンだ。彼らの大切にする「音楽」の名を冠するアルバムのリード曲に惚れこんだのも、今思うと何かの運命だったのかもしれない。
NEWSに惚れ込むまでの半年間についてここまで長々と書き散らかしてきた訳だけれども、結局のところ私は話したいのだろう。
正直に言おう。
これまでNEWSに対してただの不満の1つもないと言ったら、それは絶対に嘘だ。
彼らがMCで擦る脱退自虐は別にそこまで面白くない(というかあまりにもセンシティブで笑って良いのかわからない)。MCで絶対脱退自虐言わないと死ぬんか?
後輩へのまっすーの強めの弄りが苦手で、聞く度にちょっとモヤモヤする。というか自由奔放に振る舞って後輩を困らせているのにちょっとモヤモヤする。面白いけど。まっすーのあんまりデリカシーのないところが好きじゃない。まっすーの浅慮な発言(とそれに伴う炎上)の所為で凄く傷ついた事がある。
慶ちゃんの行動を軽率だと感じた事もあるし、思い出せないだけでシゲさんに対しても思う事がない訳ではないだろう。
彼らは何一つ悪くない、ただの私の我儘だけで怒り散らしていた事もある。はた迷惑なオタクである。
でも、振り返ってみるとそれら全てへの怒りや呆れや失望も軽く見えるのは何故だろう。思い出は否応なく美化されてしまうからだろうか?
多分本当はわかっているからだ。
彼らの魅力がそんな些細な事で失われる訳ではない事を。
私は知っている。
口下手で不器用でポンコツなまっすーが、本当はとっても優しい事を。
いつもふざけてみせるけど、本当は真面目で努力家で、聡明でよく気が回る人。
ライブ終わりにドラマの撮影にやってきたまっすーが疲れた素振りを全く見せない事にドラマで共演者していた方が驚いていた事や、
「自分が座長だから」
「先輩がそうしていたから」
という理由でよく差し入れを入れていた事。
バラエティ番組のロケ中に女性アナウンサーの方が自分の口より大きい食べ物を口に入れようとして苦戦しているのを見たら
「ゆっくり食べててください」
と言って自分はわざととってつけた様な笑顔をカメラに向けるボケで彼女が食べ終わるまで時間を稼いだ事。
そんなちょっとした事ばかりを覚えている。
みんなを置き去りにしてしまう様な才能の持ち主。あらゆる人を惹きつけて止まない真っ直ぐな光。
彼が何を考えているのか、何を表現したいのか理解できる事は殆どないけれど、それでも私は彼の表現が大好きだ。
そして彼の、彼らの歌声には魂があって、私は歌を聞いて心が震える瞬間に何度も何度も遭遇した。
「ライブに来てくれた人達とは必ず目を合わせる様にしている」
という彼の言葉に半信半疑のまま初めて出かけたライブ。彼がこちらに手を振ってくれた時の笑顔も、視線を交わした(かもしれない)瞬間の事も、私は今でもはっきりと覚えている。
そんな人だから、きっと何人もの人を惹きつける。彼が何人もの後輩に慕われているのは、きっとその真っ直ぐな眩しさが彼らの心を打つからだ。自由奔放ながら明るく人当たりの良い性格で、そして意外と後輩思いで兄貴肌なところがあるから、というのもあるだろうけれども。
そして彼は、他の2人に負けず劣らず隣に立っている2人の事が大切で、大好きで。
普段から積極的に言葉や態度で伝えようとしなくても、彼の撮った写真に写る彼らはどの写真でも素敵な表情をしていて。
両隣に2人が居ないと不安になり、3人でお揃いのものを持ちたがり、
「NEWSとは何か」
と問われれば
「仲間」
と答える彼は、その言葉を言う前に
「こっち見てて」
と甘えた様な声で言った。
「シゲと小山とずっと一緒に歌っていたい」
と笑った彼にNEWSという居場所があって良かったし、多分3人にとってNEWSという居場所があって良かったんだと思う。
彼らはいつだってあの場所に居る。
何度も傷ついて、何度も失敗して、辞めようとした事もあった。
それでも彼らは辞めなかった。
彼らは自分の運命から逃げなかった。いや、運命に流されながらあの場所に辿り着いただけなのかもしれない。居なくなってしまった6人とて、別に逃げ出した訳でもあるまい。
そんな事はどっちだって構わない。
沢山の別れ道に立たされながら、それでも彼らは「NEWSで居続ける」という道を選んだ。それは見ててくれる誰かの為か、隣に立つ人の為か、或いは自分自身の為か。
そんな事は私にはわからないし、その理由は彼らしか知らなくて良い。彼ら自身も理由はわからないのかもしれない。
そんな理屈は、全てどうでも良いのだ。
「道を選択する自由」を持ちながらも彼らはこの道を選び続けてくれた。そんな光る真実が、ちゃんと目の前にあるのだから。
愛してるだけの国の旗の前で今日も彼らは笑って立っている。
「それでも僕らは、この運命を選んだ。」
「We are NEWS」
まっすー、38歳の誕生日おめでとう!
まっすーとNEWSの事がこれからも大好きです!
あとがき
この類のnoteは結成日にあげるものだと7月4日になる30分前に気づいて「どうしよう…」になりました。でもやっぱり彼の居場所たるNEWSを語らずして増田貴久の事は語れなかったと思うし、これで良かったんだと思う。まあ9月になる頃にはまた書く事もあるでしょう。知らんけど。