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讃え、湛える。

まずはお久しぶりです。

最後に書いたのはいつだろう?って調べたら、昨年の8月が最後でした。びっくり。


昨年は、夫が早期定年&再就職のための就活の過剰なストレスから何度も高熱などで体調を崩し(コロナではありませんでした)、雇用の面接帰りに骨折して義父の一周忌法要直前まで手術入院したり、それらのせいで上乗せしたストレスで私が精神的サンドバッグ状態となり、私は私で椎間板ヘルニアを発症したりして、夫婦共々心身ズタボロな2021年でした。

ほんと、昨年の日々を振り返っただけで涙が出ちゃう。


そんな事情もあって、鬱の底をフラフラしながら、何をしようにも思考が停止して動けないまま一日が終わるという毎日を過ごして年が明け、「ホントのホントのホントのホントのホントのホントのホントのところ、私はどんな人になりたくて、どんな風に生きたいのだろう?」と、今まで以上に自問を繰り返しました。

自分がどうありたいか? 探しのための「ビジョンボードワークショップ」もやってる身ですし。

もちろん、このワークをやり始めてから、少しずつ私自身の本音が明らかになり、目を向けてそれらに従って行動することで、喜びと充足感が増えてきて、いい感じになってきました(語彙力よ)。

ただ、人生の大半を他人軸で生きてきた「選択のクセ」がまだ根強く残っていて、「そう!そう!そうなのよ!」と私の中のちっこい私が飛び跳ねて喜ぶ純粋な「私の本音」を見出すには、古代の遺跡発掘なみの深堀りの繰り返しが必要です。

とにかく私の本音を深堀りしたく、ビジョンボードを改めて作ったり、ノートに何が好きで、何が嫌いか、を思いつく限り書いては見直して、を何度もやりました。

最近深い鬱の底に沈んだおかげで、深く腰を据えて自分と対峙する時間をたっぷりとることができました。

しんどかったけど、とてもよい時間がとれました。


そんな中で、浮かんだ言葉が「たたえる」です。

「たたえる」には、二つの意味があります。

ひとつは「優れたこととして心から褒める」、つまり「賞賛(称賛)する」という意味の「讃える」あるいは「称える」。

もうひとつは「液体などをいっぱいにする」という意味の「湛える」です。


「わたしを讃え わたしを湛え 人を讃え 人を湛える」


これが私のテーマであり「本音」です。

わたしを讃え わたしを湛え 人を讃え 人を湛える


人にはそれぞれのアイデンティティ(存在証明)があり、それぞれが価値があると感じる物事のなかにはマイノリティ(少数派)なものもあります。
(学術的にどうかは知りませんが、私は誰でもひとつふたつはマイノリティな価値観を持っていると考えています)

人の価値観については、私の好き嫌いで受け入れがたいものもありますが、各々の価値観を〇✕で裁くのではなく、その人の素晴らしいひとつのアイデンティティとして「讃える」姿勢は持っていたい。

そして人を「讃え」、尊重することで人を「湛える」1滴(かもしれないし大河かもしれない)となることを提供できる人になりたい。

同時にそういう生き方、働き方をする私自身を「讃え」、経済的にも精神的にも私自身を「湛える」循環を作っていきたい。

「ホントのホントのホントのホントのホントのホントのホントのところ、私はどんな人になりたくて、どんな風に生きたいのだろう?」という自問自答を繰り返した結果、姿を現した私の本音です。


2022年も、どうぞよろしくお願い致します。


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