美醜と不器用さ
誤解を恐れずに言う。自意識過剰も承知で言う。見た目(顔)を褒めてもらうことがたまにある。しかしそれをうまく受け入れられないのだ。
数年前、かなり太っていた。見た目とよく喋る性格からあまり女扱いをされずに生きてきた。当時は見た目を褒めてもらうことは当然なく貶されてきた。だからどうという感情もなかった。それが自分にとっての普通になっていた。
また、父親からは基本的に私の言動含め全て否定されて生きてきた。もちろん見た目に対してもで、思春期真っ只中にデブ、顔がでかいなどの貶す言葉もあった。それは少なからず私にとってトラウマであり、自己否定の性格に結びついている原体験のように思える。
妙齢と自分の努力が相まって痩せることができ、数年前までにはなかった評価を受けることが出てきた。信じられないことにモテ期も体験した。
底辺の扱いからモテ期まで体験して思うことは改めて見た目で判断する人にはなりたくないということだ。モテ期に言い寄ってきた人も好いてくれたのは私の中身じゃない。
一方、モテ期をありがたく享受したり自分のステップアップに使える器用さがないことにも愕然とする。いい評価をもらっても、自分ではない誰かの話をしているように思える。
脈略のないまとまりのない乱文になってしまったが、
本当の問題は自己否定の強さなのかもしれない。何も気にせず愛されたい。