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【#1-7:散策コラム-廃線架橋下の集落が今に問いかけるもの-】
0.始めに。
冬の到来で寒さも本格的になってきましたね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。寒さで布団から出るのが億劫な、瀬戸内ダークツーリズムです。
今回の散策コラムは第7回目になります。散策対象は広島県三次市に残存するコリアンタウンです。
その際のテーマを”現在に繋がる移民問題”
とします。
1.目的
今回の目的としては
①「消えゆく近代史の負の側面」にスポットライトを当て、写真を通じて
過去の問題にフォーカス。
②ニューカマー(移民)への処遇を現在と比較し、未来の在り方を想像。
以上2点を設定します。
設定理由としては前者が地方においてインフラ整備の危険かつ過酷な労働を強いられた人々への記憶が薄れているためです。具体的には彼らが過去から現在にかけて居住を継続する場所が極めて少ない、減少傾向にあるのです。言い換えれば同化が進行し、再開発で土地としての記憶が消えつつあるのです。一部関西などの地域は例外ですが...。
また後者に関しては現在進行形の問題としての移民問題を考える際の共通項を見出し、今後の予期と同様の過ちを犯さないようにするためのヒントを見つけられればいいと思う次第です。
2.散策地の概要
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詳細な位置を示したのが上の画像です。JR三次駅の北西約1キロの地点に存在するのが三次町にあるコリアン集落です。
まずはここの成り立ちについてです。郷土史の記録をたどると1940年ー1949年のあいだに建設された高暮ダム(広島県庄原市)の建設労働者達の居住地兼飯場(宿泊所)が起源となります。因みに工期が長いのは、第二次大戦を挟んだためです。
その労働者の大半を占めていたのが、朝鮮半島出身者たちです。ダム建設の着工当時は日本人でありながら内地(日本列島)に出稼ぎに来ざるを得ない立場の人々でした。かれらの衣食住を賄う為、選ばれたのがこの地でした。明治から大正にかけて三次の地は全域が水害・雪害に見舞われやすい場所であり居住地を新たに確保することは容易ではありません。よって上記の地図で見ても明らかですが、川辺の地に無理やり確保したのが現在のコリアン集落がある場所でした。
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かなりの低地であり、堤防沿いに沿って隣接していますね。
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写真を見てもわかる通り、この地を覆いかぶさるように作られた架橋が目を惹きます。これはJR(旧国鉄)三江線の廃線跡です。1974年開通と比較的新しい路線でしたが6年前に廃線となって以来手つかずのまま放置されております。ここから想像できるのは建設当時、居住者たちの生活環境が考慮されてなかった点です。便数が少ないとはいえ、鉄道通過時には相当の騒音が発生したと思われます。
3.南北の混在
集落の一角にコリアン集落を象徴する建物があります。韓国教会と広島県北朝鮮会館です。なんとこれらは隣接して建設されているのです。
※教会の写真
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※会館の写真
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かれらは高暮ダム建設当時に二分された祖国への帰属を選択せざるを得ない環境下に置かれたのですね。(※南北朝鮮とも1948年建国)
祖国の地を離れて重労働に邁進する彼らにとってイデオロギーの所属など根幹部分を考える余裕は無かったはずです。よって選択要因としては南北どちらが食料、物資を供給してくれるのか?この点に尽きたと言います。
もちろん、その後の”あらゆる運動”に巻き込まれながら現在に至るわけです。真昼に散策をしても人の気配すらないこの地は静寂に包まれて今に過去を問いかけています。
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4.現代の移民問題へのヒント
戦後80年を迎えつつある現代にて、移民問題は日本の主要な問題の一つです。まして少子高齢化が急激に進行し、労働力確保に躍起になっている現代社会では戦前以上にその需要は高まっています。今年の厚生労働省の統計では国内の外国人労働者は204万人余りで、その内製造業55万人を筆頭に大方が労働集約型産業にて就業しています。
この現状の中で生じる問題が居住地の問題と受け入れる側との文化的軋轢です。
現在SNSを中心に関東地域のクルド系住民の問題を筆頭に様々移民との軋轢が伝えられています。これは今に始まった問題ではなく戦前から戦後にかけて隣国(※戦前当時は植民地)出身者との間でも生じた問題でした。
対立の要因としては文化・言語の隔たりから生じる言動の行き違いや無理解が挙げられます。また、社会経済的側面にては以下が挙げられます。
①不定期労働にて危険かつ過酷な労働に従事しており、
安定した生活が営みにくい点。
②地理的に災害に弱い或いは不便を強いられる場所に住居を構えなくては
ならない点。
つまり多数派から文化的に孤立し、かつ過酷な生活環境に置かれやすいのです。その結果、治安が乱れ不衛生な生活環境に陥ることは容易に想像できます。
実際にこの地の郷土史を振り返ると、これらに該当する記録が見られます。
4-1.労働環境面
この地の居住者たちが従事した仕事がダム建設です。戦前から戦後にかけてのダム建設が現代と比較して比べ物にならないほど過酷でした。実際に彼らが建設を行った高暮ダム(隣接自治体の庄原市)には今でも建設従事時にける犠牲者の慰霊碑が建立されています。劣悪な環境下で斜面の掘削を行っていたところ大規模な土砂崩れに襲われて生き埋め、他の事故死などが発生との記録が残っていますね。
また、戦後期にかけては南北分断による帰属問題に絡んだ抗争も生じており、不安定さを抱え込んだまま生活を余儀なくされたと言われます。
4-2.地形面
元々三次市一帯は中国山地の間を流れる河川の周囲にある低地に形成された街であるため、水害による被害はたて続けに起きています。特にその中でも今回の散策地域は河川が湾曲し流れが急な場所に先端が突き出した地形をしています。それ故に市内での他地域と比較しても水害時の被害は甚大なものになるのです。
5.まとめ
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過去から現在を見て感じたのは移民問題について、受け入れる側の意識が何も変わってないということです。何故なら自国の中で賄いきれない労働力を外部から招き入れる際に生じる前述のリスクへの対策がなされていないからです。その根本には過去の施策によって生じたエラーを為政者や役人が忘却、或いは自身の権益と無関係であると思い込んでいるからではないでしょうか?そう考えざるを得ませんね。
抑々、テクノロジーが発達した現在では労働集約型の産業では自動化・効率化の手段が革新する可能性が多々あるわけですから、移民の受け入れも厳選して行うべきだと思うのですが・・・・。
集落の遺構と建築物がそれを今の我々に問いかけています。
今回の散策から得られた考察は以上です。
貴重なお時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました。
出来れば”スキ”の押下を宜しくお願い致します!