夏の贈り物
とかいうコピーを昔夏に母についてデパートなどに行くとよく目にした。
まだお中元とかの意味がよくわからず
夏になると毎日届け物の配達があるのが不思議だったけれど、
その時期、インターホンが鳴るたびにワクワクして
そうか夏になると大人はプレゼントをし合うのか、と漠然と
素敵なイベントだと思っていた。
多分私たち子供がいたからだと思うけれど、うちに届く夏の贈りものは、
ゼリー、ジュース、果物、カルピスのセット、
とかが多かった。
夏休みになると、家にいる時間が多いのであっという間になくなってしまった。
考えてみると、夏がくれるものは
すぐに消えてしまうような、不確かなものが多いなあと思う。
花火、かき氷、日焼けの跡、蝉の声・・・
淡くふわっとしていて、暑さとともに消えてしまいそうな、
汗と一緒に流れていってしまいそうな、
夏の記憶はなぜかそんな、刹那的なものにくっついている。
大人になってみて、世代なのか、母たちのようには贈りものはしないんだと
思いながら生活している。
お互いに贈り合うのだから意味がない、それより好きなものを自分で買ったほうがいいといえばそれまでなのだけれど、
インターホンが鳴り、丁寧に包装された贈りものが届くのは、
なんだか別世界からやってきた宝箱を開ける気がしてワクワクしたし、
夏という時期が重なると、家の中に、新鮮で爽やかな風が通る気がした。
だから今年の夏は意味もなく、贈りものをしてみたいなと思ったりしている。
画像は虎屋の夏の和菓子。『向日葵』の写真をお借りしました。
和菓子を送るものいいなあ。