脚本家でみる、「100日の郎君様」
10年ほど前から韓国ドラマをみるようになりました。
当時脚本の勉強をしていて、特に韓国ドラマに興味はなかったのですが、知り合いが面白いよ、というので観てみたらものすごい世界が待ってました。
こんなに面白いものなんで今まで見てなかったんだと思いましたが、過去作をザクザク掘っていくというよりも、次々にどんどん新しい作品が降ってくるという感じ。個人的には、2013〜14年が一つのピークだと思っていますが、ケーブルテレビ、Netflixという舞台を得て、ここ一年くらいでさらに進化してる気がします。
聞こえてくるセリフ、言葉とその音も魅力的で、韓国語も学びました。字幕の学校にも行きましたが、韓国ドラマをみながらセリフを起こして、それを訳してシナリオ化する、という趣味は、永遠に続けられる上に、韓国語、脚本どちらの勉強にもなっています。
今、自分でも脚本を書くようになりましたが、十年以上変わらず憧れの初めてみた時からずっと考え続けている韓国ドラマの面白さを、ここではセリフ、脚本を中心に、書いていきたいと思います。
俳優はもちろん、素晴らしすぎて好きすぎるのでこれも話し出したら止まらないのですが・・・今回は、NHKで放送が始まった「100日の郎君様」の魅力について、同じノ・ジソル作家の「女の香り」と比較しながら考えてみます。
「100日の郎君様」と「女の香り」の共通点
・見たいもの、を微妙に見せない作家!?
・〜くせに、で恋愛は回る
みたいもの、を微妙にみせない!?
二つの脚本を書いたノ・ジソル作家は、「私の名前はキムサムスン」のヒロイン、キム・ソナ主演の「女の香り」(2011)で知りました。
「女の香り」は、余命六ヶ月と宣告されたヒロインの最後の恋の物語。
タンゴを踊るシーンも印象的でしたが、記憶に残っているのは、余命宣告されたヒロインの恋を描きながら結果、最後まで死なない。ということ。
死ぬところを見たいわけではないのですが、ストーリーの設定上、てっきり最後はそのシーンなのかと思っていたら、最後までなかった。
ラストシーンは、「まだ私は限りある日々を生きている。そして病気かどうかは関係なく、誰もがいつ終わるかわからない日々の中で、懸命にいきている」と、二人が仲良く穏やかに過ごしているところで終わります。
ありがちな最期のシーン、死後思い出を振り返っているようなシーンは見せない。
「100日の郎君様」に関しては現在NHKで放送中でネタバレになってしまうので、詳細は書きませんが、ここでも最後までいつかみせてくれるだろうと個人的に思っていたシーンがないな、と感じました。
この作品はおそらくたくさん比較されていると思いますが、あの「太陽を抱く月」と構造が似ている作品です。
世子(セジャ=世継ぎ)である主人公は幼い頃の初恋の少女を今でも思っている。
しかし彼女はもうこの世にはいない・・・はずが、生きていた!?
どちらもその設定は同じです。
「太陽を抱く月」では少女は実際に死んで一度はお墓にまで入り、巫女の呪い!?によって蘇る。という韓国ドラマらしいびっくり設定でしたが、「100日の〜」は、ヒロインが生き延びた経緯はすごくシンプルで、人のいい民に救われて、貧しいながらも穏やかに暮らしている。
観ている方の気持ちは、記憶喪失の主人公が、いつ? いかに目の前の彼女が思い続けた初恋の少女だと気づくのか? が大事ですが、紆余曲折の後、涙のそのシーンが終わってハッピーエンド! ならばいちばん観たいのは、世子の話なのだから、いわゆる「王子様とお姫様がお城で幸せに暮らしましたとさ」という最後のシーンなのだと思います。「太陽を〜」がこれを存分にみせてくれたのに対し、「100日〜」にはこのシーンはなかった。(厳密にはその代わりとなる宮殿での二人のシーンが最終回の一つ前の回で用意されていますが)
二つの作品どちらともに感じたことで、この作家は意図的に(予想される)観たいシーンを描かないのでは、と思いました。
「〜くせに」で恋愛は回っている
韓国語で「〜ミョンソ」は、
〜しながら、という意味と同時に、
〜したくせに、という意味でも使われます。
「女の香り」の中で、イ・ドンウク演じる年下の彼は、ヒロインが自分のことを好き。と他の男に言っているのを聞く。でも自分には態度に見せないことにイラつき、「俺のことが好きなくせに!」と言ってしまいます。
その頃、まだ韓国語がそんなにわからなかったのですが、「〜ミョンソ!」がすごく印象的ですぐに辞書で調べたのを覚えています。
そうしたら今回、「100日の郎君様」でもここぞというところで「〜ミョンソ!」が出てきた!
私を好きだと言ったくせに、会いたいと言ったくせに、こうしてくれるって言ったのに、最初は優しかったのに・・・
恋愛はそんなことにあふれている。だからラブストーリーにこの言葉がよく出てくるのは当たり前なのに、他の作品でそんなに気にすることがありませんでした。
恋愛における「〜くせに」の積み重ね、繰り返しを、教えてもらいました。
そして「100日〜」の主人公であるイ・ユル世子は、「〜したくせに」を言わせない、つまり、最初に言ったことを絶対的に貫く、守るキャラクター、として作られています。
反発していた二人が、どのようにお互いに惹かれていくのか、どの瞬間に感情が動いたのか、ということを気になって見てしまいますが、
ユルは、4話の最後(全16話なので、ちょうど展開するポイント)記憶が戻らず別人として暮らしている時点で、結婚相手であるヒロインに、
「私をずっと大事にしてくれると言ったくせに」と言われ、目が覚めたように心が動きます。
実はこのセリフは、少年時代、初恋の少女に告白した時の言葉なのですが、それを記憶がなくとも無意識に覚えていた、記憶がなくとも一度そう言ったなら覆せない、いずれにしても本質的に一度言ったことは必ず貫く、という性格を表しているのだと思います。
ノ・ジソル作家が恋愛の象徴として頻発させるセリフ、「〜くせに」を言わせない主人公を作り上げたことで、王子様であろうと、記憶喪失の民であろうと、それはもう奇跡の、恋愛の物語なのだ、と言っている気がします。
「100日の郎君様」、EXOド・ギョンスの演技者ぶり/殺陣も圧巻です。王子様とお姫様がお城で幸せに暮らしました、の代わりにどんなシーンを? も含めて一度観てみてください。