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「子どもたち」への物語

終戦記念日の昨日、何度も予告番組が流れているので知っていた
「太陽の子」を観た。

何かと話題にもなっていたドラマだ。

その後ふと思い立って、何度目かの「スウィング・キッズ」を観た。

noteでは繰り返し書いている演技ドル*の筆頭、
EXOド・ギョンス主演の韓国映画だ。

*演技ドルとは、韓国エンタメの記事でよく使われる演技もできるアイドルのこと。最初はちょっと違和感ある言葉だったが、だいぶ慣れてきた。他にも結構使われるケミ(ケミストリーの略。俳優などが出会うことで化学変化のような素晴らしい相乗効果が起こるという意味)など独特の言葉がある。


どちらも戦時中、その戦火を生きる若者の物語だ。

「太陽の子」は太平洋戦争からなので75年。

「スウィング・キッズ」は朝鮮戦争なので70年ほど前の時代が舞台。


日本で育つと、幼い頃から夏は戦争について考えざる得ない季節だ。

そして、毎夏それについての様々なドキュメンタリーやフィクションの作品に触れることになる。

正直、耐性もでき麻痺してしまっているところもあり、ある程度の年になると夏が来るたびに当然そのことについて考えはするけれど、幼いころのように、苦しいくらい入り込んで考えるようなことはなくなってしまう。


久しぶりに二つの戦争の物語をみて、その頃とは微妙に違うが、苦しくなるほどの渋味を含んだ後味を感じた。

作り手の年齢もだいぶ変わっているし、自分自身も子供の頃とは違う。

だからなのかわからないが、二つの作品に共通して感じたのは、ただ辛いとか、ただ涙涙とかそういう終わり方ではなく、もっと考えてと言われているような気がすること。

どちらも輝く未来ある若者が死んでいく。

今までは、自分ももっと頑張らなければ、夢や希望を簡単に奪われて、ただ自由に生きるためにこんなにも必死に生き抜いた時代があったのに、そのたくさんの犠牲の上に今があるのに、自分は何をやっているのか。

こういう作品をみると、そんな風に思っていた。

だけど昨日、二つの作品には、共通して違う心境になった。

戦火の中、そうやって消えていったたくさんの希望のようなものを、今どうやって捉えていけば良いのか。再生していけるのか。
うまく言えないが、そんなような思いに至った。

もしかしたら、私がそこに描かれている子ども、若者たちではなく、大人になったのかもしれない。大人として、これからの子どもたち、若者たちにつながっていく希望、未来を見出せるようにはどうすれば、ということをもっと考えていかなければいけないのかもしれない。