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どこに消えたの
さっきまでここにあったはずのものがなくなったとき
言おうとしていたことが思い出せなくなるとき
どこに消えたの そう言って必死に探す
確かにあったはずの気持ちを見失ったとき
心の拠り所にしていた希望が見出せなくなるとき
どこに消えたの そう言えずにただ耐えている
どこに行ってしまったんだろう
真っ白になった胸の中に、
それが確かにここにあったことを残している
微かなカケラのようなものだけがサラサラと行き来すると、
逆に苦しくなる
去年の秋、ずっと行きたかった料理教室に習いに行った。
一ヶ月のうち、数日しか開かれないクラスで、
あっという間に定員オーバーしてしまうので、
何年も前から気になりながら、その日とうとう行くことができた。
その月のメニューはイタリアンで、前菜はたっぷり秋のキノコ。
ただたっぷりのマッシュルームとエリンギを
美味しいオリーブオイルで炒めて、味付けも塩だけ。
きのこ全般がとにかく好きで、毎日だって食べていたいので、
準備されている大きなボールに山盛りになったキノコを見て
「ふふふ、みんなでわけでも相当量食べられる・・・」
いじましくも思っていたのだけれど、
なんのなんの、鍋から溢れるほどだったきのこの山は、
火が通ってくるにつれて、どんどん減っていく。
火を通せばある程度量が少なくなるのはもちろんわかっていたけれど、
がくん、またがくんと量が減っていくのがあまりにはっきり見えて、
どこに行くの〜と手を伸ばしたくなる。
ふーっと先生が火を止めた時には、
鍋の中に品よくしんなりと収まっていた。
え・・・こんなに減る? どこに消えたの?
思わずそう口にしそうになった。
ただ、口にしたキノコは、見えなくなって消えてしまった分、
ああ旨味に変身したのか、と行き先がわかるほど美味しかった。
それから何度も作った。
作るたびに、
どこかに消えていくキノコを、食べながら見つけることを楽しんでいる。
あったはずの気持ちが消えてしまったときも
きっとなくなってしまったのではなく、形を変えているのだと思いたい。
それでも思い通りにならない自分の気持ちに、
時間なのかなんなのか、確かだったはずのものを変えてしまうものに、
悲しくなる時はあるけれど。
雨の日の料理は、それだけで号泣した後のように浄化される気がする。
失っても見つけられる、その安心を感じるために
今日もキノコを食べようか。