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マーケティングとオリジン

こんにちは。こんばんはかもですね。

「その絵は社会で誰かの為になるのか?役立つのか?」


これ東京の某超激ムズ難関美術アカデミーで問われる質問らしいのですが、自分の中でこれを考えてました。

考えてたらある記事を見つけました。
そこに載ってた漫画家さんの言葉なんですけど

「自分はこの漫画を”足立区に住んでて中二の斜に構えてニチャアって笑うのがかっこいいと思ってるバカなガキ”の為に描いてる」

だったかな。
それを見てピンポイント狙撃過ぎると妙に頭に残る言葉でして。

そこから自分の絵を欲しがる人ってどんな人だろうと考えたら答えは自分の中にありました。
なんてことはない。
ただ自分と同じように過去に縛られたり何かに傷ついた人の為に描けばよかったんだなぁって。

かなり口悪く乱暴な言い方をしますと

「ボクの絵は ”教室の隅っこでノートに色々ニタニタ笑いながら描いてる暗い子供時代を送ってるキッズ” と ”あの時あんなことがなければとかあの時ああしてればとか考えまくる暗い子供時代に魂の首根っこを掴まれてる可哀想な人” と ”自分は社会や学校のはみ出し者だ…いなくなりたい…って常に考えてる根暗な人” の為に描けばいいんだ。」

キツい言い方になってすみません。
自分の人生を鑑みてパッと閃いたのがこの答えでした。

中学でいじめられて不登校、絶対に叶わない男の子への片想い、荒れた家庭環境、リストカットに学校の非常階段で吸った初めてのタバコ、中途半端に投げ出した専門学校、自分には才能がないとハッキリ自覚して挫折した漫画、普通に働いてもある日病気で仕事を辞めざるを得なくなって、終いには自分は性的マイノリティだと自覚してどうすればいいか解らず絶望etc.....

ヒロアカ風に言うなら「オリジン」です。
オリジンから自分の作品を死ぬまで出力すればいい。
簡単なことだったんですね。

過去に引っ張られてるなら過去に引っ張られてる心と感情を絵にすりゃいい。
生きてて苦しいんなら苦しんでる人と少しでも共感できることを描けばいい。

もうアレです。
心に「起源 オリジン」があれば迷いなんかなくなる。
その通り。

なのでボクは好きに描いて理不尽に死ぬまで生きていきます。

授業中教室の隅っこでノートに絵を描いてニチャニチャしていた、バカなクソガキだった自分のために。
そして同じ人のために。

好きなように生きて好きなところに行って、理不尽にある日突然死ぬ

それで万事いい気がします。


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