万病の処方箋
「(風邪を引いたまま旅行が近づいていることを気にしている生徒に)もし君がある問題について自分の気持ちを素直に表すことが出来ていたら、君は風邪を引かない。このクラスで得たすべての洞察を使っていたら、君は風邪を引かない。君の長男についてのある線に沿ったアイデアを、十分に外に表すことを許していたら君は風邪を引かない。
ハチミツとお酢を飲むのは簡単だよ。でも、ハチミツとお酢を使うことで君は、単に風邪の症状を取り除いてしまって、なぜ風邪を引いたのか、ということには気がつかないだろう。君が気づくべきだった何かを、君は学ばないだろう。だから風邪が去って、また同じ問題が立ち現れたとき、君は風邪とは違う病気になり、違った治療法を見つけるだろう。
ハチミツとお酢は安くて簡単に手に入る。セルフ・ナレッジは高価だ。でもはるかに価値があるのだ。
そういった内なる治療法は、そうした真の治療法は、パッケージに入ってスーパーで手に入るわけではないし、ハーブのように朝食で摂れるものでもない。こうしたハチミツやハーブは、とりあえずの手段としては全く問題ないんだよ。でも、もし君が自分自身についての本当の知識を得たければ、そして症状の本当の理由を知りたければ、そうするためのやり方はあるし、それらは既に君に伝えてあるはずだ。それらの(内なる声を聞くという)手段は、お酢のように苦くないはずだ。」ーーセス
問題とは、チャレンジである。
嫌な気持ちにさせられるものには、早くフタをしたくなるもの。
でもそれは、貴重なチャンス。
本当はそんな嫌な気持ちになる出来事なんて経験したくないのに、敢えて自ら課すことにしたチャレンジ。
内がわの声を聞く。
ずーっと頭の中で呪文のように繰り返している考えに気づく。
私にはできない、という無力感。
私には価値がない、という無価値感。
そんなことしたらどうなるか分からない、という不信感。
そんなことをしてはいけない、という善悪感、罪悪感。
行き着く何ちゃら感のバリエーションはそんなに多くなさそうだ。
ただ、その何ちゃら感を抱くに至ったバリエーションは無限。
その個性豊かでユニークな、思い込みに至ったストーリーに気づく。
だいたいが幼少期にした経験が元になっている。
大人になった今なら、そうした過去の経験を様々な視点から眺められるようになっているはずだ。
親の気持ちになってみれば、今までとは違った切り口で理解できるはず。
親自身も無力感を抱えていたんだな、とか。
親自身も善悪感を抱えていて、善かれと思って叱ってくれていたのだな、とか。
幼少期は親からの思い込みを受け継いで、それをベースに自分なりの思い込みを作り上げていっているような印象だ。
その「礎」になっている思い込みを解く。
それが本当の治療法。
たくさんの何ちゃら感が、アクションを取ることへの恐れに繋がっている。
その何ちゃら感の原因を解いていく。
ぜーんぶ、親たちも、一人一人が、それぞれに抱えた思い込みに従って、必要な出来事を起こしていたんだな、と。
みんな、今以上の何かになるために、もがいていただけだったんだな、と。
許せるようになる。
受け容れられるようになる。
一つでも自分の思い込みが解けると、
楽になって、嬉しくって
病みつきになる(笑)
行動の制約が少しずつ外れて、
自由になっていくこの感覚に、
病みつきになる。
元気になって、自由になる。
やらない手はないでしょう。
苦しいときこそ踏ん張り時。
苦しいけれど、これはチャンスだと、
ワクワクしながら、その根本原因を内がわに探ってみる。
ずーっとあなたを縛り付けていた、
誤解の結び目を、
優しくほどいてあげよう。