宇宙を創る子どもたち
「では今から童話を披露するとしよう。むかしむかしの楽しい時代、とても遠くの星に、すばらしい人たちが住んでいました。彼らは君たちのいう、肉体を持った人たちではありませんでした。だからもし君たちが今宇宙船でそこへ出向いていっても、彼らを見ることは叶わないでしょう。彼らのフィールドを歩いたとしても、不毛の地だと君たちは思うでしょう。君たちが宇宙船で着陸して、すべての村民が出向いて君たちに挨拶をしても、君たちの目には誰も映らないでしょう。
このとてもとても遠い昔、これらのとても豊かな才能を与えられた人たちは、そして今もとても豊かな才能が与えられている人たちは、周りを見渡しました。そして夢を見たのです。彼らは、一風変わった数学者たちと科学者たちで、でもそれは物理空間や物理的理論とは関わりのないものでした。そうして彼らはその壮大な力を使って想像しましたーー木々や大地や物理的な存在や物理的肉体のあるリアリティの次元を。空が蒼く、水が空から落ちてくる世界を。そして彼らの壮大なクリエイティビティから、彼ら自身からそのようにしたのですーーなぜなら、君たちからすると、君たちの考えによると、彼らは神々の種族だったからです。彼らは、これらの物が、じっさいに、存在するリアリティの次元を考えつき、彼ら自身のエンティティと意識の一部を送り出したのです。そして私が彼らがこれをしたというとき、彼らはそれを喜びに満ちた気持ちで、溢れんばかりの熱意とともにそうしたのです。ただ同時に、彼らはこの彼ら自身の意識の一部が彼らを離れ、彼らから逃れていってしまうために、ある程度において、彼らは彼ら自身の一部が永遠に離れていくことに涙を流しました。それでもなお彼らはこれをしたために、あなたたちには存在と歌があるのでした。
そうしてこの童話の中で、君たちに寓話としてシンボルとして与えられた童話の中で、君たちは自分たちの在り方を持つに至るのですが、君たちの知るこの宇宙が存在へともたらされたとき、君たちは自分たちがどこからきたのかを一時的に忘れなければなりませんでした。君たちは肉体を持って創られなければならなかったのですーー君たちがこのクリエイティビティの新たな部分を、肉体をもって、経験できるように。君たちが、君たちの観点からすると、物理的に創られたものからクリエイトできるように。だからこそ君たちは受け継いだものを忘れたのです、ある意味、意図的に。そして君たちは自分たちが物理的な惑星の上に立ち、すべての星が頭上にきらめくのを見ました。君たちは目を見開き、果てしない可能性を見つけました。君たちが心ゆくまで形作ることの出来る、手つかずの物理的現実を。君たちのクリエイティビティを存分に発揮させることのできる物理的現実を。そして君たちの由来となった者たちは見守り続け、その頃の君たちの原始の空に壮大な雲が駆け巡るとき、君たちの由来となった者たちは降りてきて、君たちは彼らを眺め、不思議がったのです。
この童話の中では、君たちの由来となった者たちの背後にはまた、注意深く、優しく、壮大な愛とともに見守る他の者たちもありました。君たちが創られたように、君たちは創ります。君たちが意味のないものと考え、君たちから逃れゆく君たちの思考、君たちが意味のないものと考え、君たちから逃れゆく君たちの夢、これらにもバイタリティと存在とが与えられるのですーー君たちが創られたように、君たちも創らざるを得ないのですから。
さて、今この童話の中で、私と一緒にふりをしてみてほしい。私と一緒に、とある物理的なリアリティのこの場所に座っているふりを、地球と呼ばれる物理的な惑星の上の、言葉にならないほど小さな、筆舌に尽くし難いほど小さな、ある一つのドットの中にいるふりをしてみてほしい。私と一緒に、君が今、ニューヨークと呼ばれる州の中の、エルマイラと呼ばれる街の中の、ある一つの小さな部屋の中で座っているふりをしてみてほしい。円になって座り、私が話すのを聞いているふりをしてみてほしい。そして私と一緒に、それと同時にまた、別の空間と別の時間の中で、私を囲んで円になって座っているふりもしてみてほしい。私と一緒に、想像できないほど遠い、遠過ぎて物理的な脳では想像もできない、君たちの観点でいう過去の中にある、別の星の中の、別の円の中にあって、一緒になって、非物質的にありながら、素晴らしい夢を見ているふりをしてほしい。私たちは物理的なリアリティを想像し、そしてこの瞬間を、今のこの時を想像したのである。そしてこの童話に終わりはないのである。かつて子どもの物語に終わりがあったためしはない。始まりと終わりにこだわるのは大人だけだ。そしてさらに想像してみてほしい。つまり、君たちの中に今、はるかに智慧のある、他の自己たちのあることを。そして君たちの目の中に今、私と同じだけ古い目があることを。私と同じだけ古来からの、そして同時に今も新しい、他の自己たちのあることを。そしてそれらの自己たちは、君たちの中から、私を覗き込みウィンクをしている。そしてウィンクの中に、彼らの知ることを知るのである。」ーーセス
「創造主」というものを考えるとき、大人の、老齢の人物を想像してしまっていた自分の愚かさをこの文章から悟らされた。
「創造主」は、遊び心に満ちた、子どもたちだったのだ。