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「すべてが今、一度に起こっている」の意味。時空間を超えて、すべてと繋がる認識のあり方。

物理的現実に生きる私たちにとって、乗り越えるのが最も困難なbeliefの一つ。

それは、

「時間が存在する。」

というものだろう。

でも本当は、

「時間は存在しない。」

「すべてが今、一度に起こっている。」

らしいのだ。

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最近まで、この意味が分かったようで分からなかったのだけれど、やっと腹落ちしてきたように思うので、シェアしてみたいと思う。

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腹落ちのきっかけをもたらしてくれたセス・マテリアルの抜粋を以下に紹介する。

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したがって出来事というものは口にされる言葉と同じように現れ、君たちに認識される。君たちは話す。でも、誰が話しているのだろう?ごく短いフレーズの間に、何が起こっているのだろう?君たちの声帯、肺、唇の中の原子や分子は、君たちによってとても滑らかに話させる言語の一単語も理解していない。けれどもそれらの協力と認識なしには、ただの一単語も話され得ないのである。

Events emerge like spoken words, then, into your awareness. You speak, yet who speaks, and in your briefest phrase, what happens? The atoms and molecules within your vocal cords, and lungs and lips, do not understand one word of the language they allow you to speak so liquidly. Without their cooperation and awareness, however, not a word would be spoken.

(11:15)だがこれらの名もない原子と分子が、君たちには理解し得ない壮大な冒険の中で協力し合うからこそ、君たちのスピーチが可能になり、そうしてアクティビティのcordella(セスがmaster languageとするもの)から、出来事のリアリティが組み上げられるのである。その活動のcordellaの中では、話される一つ一つの言葉が、最古の化石の記憶よりも古い時代に遡る歴史を持っている。私は君たちの考える経験の観点で話をしている。というのは、君たちが現在において話すそれぞれの言葉の中で、君たちはその遥かな過去の時を呼び覚まし、あるいはそれを存在へと駆り立て、そうすることによって、そのリアリティと君たちのリアリティとが共存しているからである。

(11:15.) Yet each of those nameless atoms and molecules cooperates in a vast venture, incomprehensible to you, that makes your speech possible, and your reality of events is built up from a cordella of activity in which each spoken word has a history that stretches further back into the annals of time than the most ancient of fossils could remember. I am speaking in your terms of experience, for in each word spoken in your present, you evoke that past time, or you stimulate it into existence so that its reality and yours are coexistent.

夢の中ではその過去さえも現在の時制の中にある。出来事はそこら中で出来つつある。君たちは未来を、そして過去を作り、作り直す。君たちはそれらの経験の中からある一連のものを、普段起きているリアリティの中の出来事として選ぶのだ。

In dreams even the past is in present tense. Events are everywhere forming. You make and remake the past as well as the future. You choose from those experiences certain ones as events in normal waking reality.

手が疲れたかね?
(「いや。」

Are your hands tired?
(“No.”

(11:22。)君たちは一度に一つの文章しか話すことができない。しかも一つの言語で。そしてその一文は、一度に一母音か一音節かごとに発せられなければならないのであるが、それでもなおそれは、ある種の円形の知識、円形の経験の結果として生じているである。その(円形の知識/経験の)中では、その一文の始まりと終わりとが同時に知られている。もしその終わりが知られていなければ、その始まりはそれほど見事に始められ得ないだろう。

(11:22.) While you can only speak one sentence at a time, and in but one language, and while that sentence must be sounded one vowel or syllable at a time, still it is the result of a kind of circular knowledge or experience in which the sentence’s beginning and end is known simultaneously. If the end of it were not known, the beginning could not be started so expertly.

同様に、時間の中で経験されるその出来事は、円形の出来事に依存しているのである。その中では始まりと終わりが絡み合い、あるものが別のものの前に起こるのではなく、共存しているのである。
口述、終わり[。]

In the same way the experienced event occurring in time is dependent upon a circular happening, in which beginning and end are entwined, not one occurring before the other, but coexistent.
End of dictation[.]

Jane Roberts, The Nature of the Psyche: Its Human Expression; Chapter 8: Session 784, July 19, 1976

どうしようもなく「時間」というものが存在するように感じられる物理的現実を生きる私たち。

「すべてが今、一度に起こっている。」

この意味を理解するためには、改めるべき認識と、改めて認識すべき認識とがあるように思う。

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と、本編に入ろうと思っていたのだが、長くなってしまったので、先に結論を書いておく。

結論

  • 私たちは円形的に、時空間を超えて、経験を紡いでいる。

  • 経験された経験の裏には、経験されていない、無数の経験され得る経験がある。

  • すべての経験は、becomingの衝動に基づいて起こっている。

  • Becomingの衝動は、過去・現在・未来のすべての在り方・経験をimplyする。

  • よって、becomingの衝動がもたらすありとあらゆる経験から、まだ経験されていないが経験され得る過去・現在・未来のすべての経験や在り方がimplyされ、今、この瞬間にすべてが同時に存在する、ということが実感される。

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1. 経験は、線形的ではなく円形的に紡がれる。

まず認識を改めなければいけないのはこれだろう。

「肉体が生まれてから死ぬまでの、線形的な一本線で経験が紡がれている。」

という誤解を解くこと。

上のセス・マテリアルにもある通り、本当は、

「経験は、円形的に紡がれている。」

のだ。

セスはこれに関して別のところで、自転車のタイヤのハブ(中心)とスポーク(中心から放射状に伸びる細い金属棒)とに喩えている。

ボク自身は、星のアナロジーで考えた方が分かりやすいように感じている。

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「私」という星は、意図や目的(=value)という精神的な電気的チャージを帯びていて、それがマグマのように内にある。

その意図や目的に由来する電磁気が引力として働き、その意図や目的を達成・成就させる「出来事(events)」を「時空間の全方位から」引き寄せる。(Value fulfillmentの原理)

「出来事」には、人との出会い、原子同士の反応、細胞の変化、何気ない動作、今日食べるものの選択、ターニングポイントとなるような選択、ふとした考えや激しい感情、「未来」の出来事、「過去」の出来事など、あらゆるものが含まれる。

「出来事」も、「私」と同様に意図や目的といった電気的チャージを帯びている。

宇宙の遥か彼方の、時間と空間の全方位から、「私」の電気的チャージと合致する「出来事」が引き寄せられる。

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「過去から出来事を引き寄せる」の意味が分かりにくいと思うので例を示すと、

「私」の「何かになろうとする衝動」を妨げる「過去」の「私」に対する自己認識(私には価値がないとか、無力だとかそういったもの)を改めるような出来事が起こる。

言い換えると、
「『過去』の『私』に対する自己認識(たとえば無力感)を改めよう、という衝動が起こる」
という「出来事」が引き寄せられる。

ということだ。

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「未来から出来事を引き寄せる」というのは理解しやすいだろう。

例えば、
「過去の自己認識を改めるために必要な本や人との出会いが引き寄せられる。」
ということだ。

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その他にも、

「私が選択してこなかった選択をしている『蓋然的自己(probable selves)が獲得した能力を得る」

といった「出来事」も引き寄せる。

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このように私たちは、自分が経験したもの、経験しなかったもの、まだ経験していないものを含む、過去から未来にかけてのあらゆるポイントから、次の経験の形成に必要となる要素を引き寄せ、円形的に経験を紡いでいるのである。

2. それがあるのは、ないものがあるから。

五感を伴う経験が強烈だから、私たちは感じたものに気を取られがちである。

けれども、、、

音楽が成立するのは、ある音が鳴っている間に、他の鳴り得る音が休んでいるからだ。

当たり前の話だけれど、すべての音が同時に鳴ってしまっては、時間で経験を分離するという試みをしている「意識の種(しゅ)」である私たちにとっては、何がなんだか分からなくなってしまう。

言葉を通じたコミュニケーション然り。

日々の経験然り。

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目の前の経験があるのは、選ばれなかった経験があるからだ。

逆にいうと、

「選択された経験や現実は、選び得たけれど選ばれなかった蓋然的な選択や現実をimplyする。」

ということだ。

今のあなたに当てはめると、

あなたの今の在り方は、

あなたとして選び得る、あなたの在り方のすべてをimplyし、

「人間」としての在り方のすべてをimplyし、

「生き物」としての在り方のすべてをimplyし、

「存在」としての在り方のすべてをimplyしている。

ということだ。

Implicationとは

「Implyする」とはどういうことかを少し説明しておくと、

今のあなたが示してくれる性質や性格、能力、選択の数々が、

「今はこうなっているけれど、そうでなかったとしたら、どんな私になり得るだろうか?」

という問いのヒントを示してくれる、問いを立てる手がかり・フォーカスをもたらしてくれる。

ということだ。

あなたが女性だとしたら、男性であった場合はどうか?という問いが立つ。

あなたが日本人だとしたら、他の国に生まれたとしたらどうだっただろうか?という問いが立つ。

あなたが人間だとしたら(笑)、他の生き物として生まれたとしたらどうだっただろうか?という問いが立つ。

別の時代に生まれていたら、どうだっただろうか?という問いが立つ。

何かを見たり感じたときに、そうでないバージョンを類推させる。

それが「implyする」ということだ。

フォーカスを定めてくれたおかげで、そのフォーカスを足がかりに色々と類推し、アイデアを発展させることができる。

そういった性質がimplicationだ。

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3. すべての出来事や行為が、becomingの衝動、なろうとする衝動に基づいて起こっている。

万物は流転する。

すべてが変化する。

それは、すべての根底にbecomingの衝動があるから。

"I am something more than sum of its parts."

「私とは、私を構成する部分の総和以上の何かである。」

ビッグバンを引き起こすほどの電磁気的性質を帯びたこのアイデアが、becomingの衝動をもたらしている。

これが、万物の変化を推進する根源的なエネルギーになっている。

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逆にいうと、

「すべての出来事や行為は、becomingの衝動をimplyする。」

さらに逆に返して、もとに戻すと

「Becomingの衝動は、すべての在り方をimplyする。」

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くしゃみをする、といった些細なアクションを含む、すべての出来事や行為から、becomingの衝動がimplyされる。

Becomingの衝動から、過去・現在・未来の、すべての物理的/非物理的(=精神的)存在の在り方がimplyされる。

今この瞬間のあらゆる出来事や行為から、過去・現在・未来のすべての在り方がimplyされる。

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「Implyされる」というだけでは「リアルでない」ように思われるかもしれない。

けれどもそれは、

「五感で感じるものだけがリアルである。」

というbeliefに基づく錯覚。

思考や感情、想像やアイデアも、五感で味わう経験と全く同じだけ確かに存在し、変化をしている。

今この瞬間のあらゆる出来事や行為からimplyされる、過去・現在・未来のすべての在り方は、今この瞬間に感じられている物事と全く同じだけ確かに存在しているのである。

***

結び

以上のように、

  • 私たちは円形的に時空間を超えて、経験を紡いでいる。

  • 経験された経験の裏には、経験されていない、無数の経験され得る経験がある。

  • すべての経験は、becomingの衝動に基づいて起こっている。

  • Becomingの衝動は、過去・現在・未来のすべての在り方・経験をimplyする。

  • よって、becomingの衝動がもたらすありとあらゆる経験から、まだ経験されていないが経験され得る過去・現在・未来のすべての経験・在り方がimplyされ、今、この瞬間にすべてが同時に存在する、ということが実感される。

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「今、この瞬間」の放つ輝き

以上、述べてきたように、

「今、この瞬間」というのは、選ばれなかった無数の可能性、蓋然性の上に乗って立つ、まばゆく輝く一点のフォーカスである。

「今、この瞬間」というのは、他に採り得た可能性の全てを沈黙させ、暗闇に座す観衆としたうえで、自らに当てられた、目の眩むようなスポットライトである。

「今、この瞬間」というのは、勝ち誇るべき栄光の瞬間なのだ。

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言葉を紡ぐように、経験を紡ぐ

私たちはそんな風に、一瞬一瞬、無数の可能性の中から、今の自分の気分に合った経験を選び取っている。

言葉を紡ぐように、経験を紡いでいる。

どんな選択をして、どんな経験をしたとしても、そこからすべてに繋がっている。

あらゆる経験が、時空を超えた、すべての可能性と繋がっている。

「今、ここ」の「私」からどこへだって行ける。

それが「私」たち本来の、自然な在り方。

Nature of our being.

「そうでない」と感じさせるものは、すべて誤解に基づく錯覚だ。

その誤解のある「自己認識」を改めさえすれば、自由で、パラフルで、創造性に満ちた「私」が、必ず顔を出す。

それはずーーーっと、私たちの中にあるからだ。

私たちがこの肉体を持って生まれる前から、「宇宙」が生まれた瞬間から、私たちの中にずーーーっとあるからだ。

「誤解」に基づいて経験を紡いでいる間も、「誤解」のある考え方の中にさえも、それはある。

なぜなら、すべてが「それ」で出来ているから。

すべてが「becomingの衝動」で出来ているから。

All That Is.

私たちが呼吸するとき、歩くとき、頭をかくとき、ぼーっと考えごとをするとき、映画を観て感動するとき、怒りを覚えるとき、何もやる気が起きなくてただダラダラしているとき。

すべての瞬間のすべての行為が、そこに現れていないすべてと繋がっている。自然(nature)と繋がっている。「魂」と繋がっている。「神さま」「仏さま」と繋がっている。

それらと繋がっていないように感じられるのは、誤解に基づく錯覚に過ぎない。

「誤解」を解いて、より「自然な私」に還ろう。

セス・マテリアルはそれを叶えてくれる、この上ないテキストだとボクは思う。

確かに難解なところはあるけれど、取り組む価値は余りあるほどにある。

「せすまにあ」の私が保証します(笑)

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