宇宙的誤解 Cosmic misunderstanding
「今言った意味は、君たちが大事そうに抱えている誤解を解かなければいけない、ということだ。それらの誤解というのはこうだ。そしてこれらは(ここにいる)一人一人に当てはまる。
1)『私は、限りある存在だ。』
これまで私が言ってきたことにも関わらず、君たちはまだ自分というものが限られたものであるとか、骨ばった頭蓋骨の中の頭に閉じ込められた何かであるかのように感じて、恐れおののいているように見える。これは誤った考えだ。
2)私が使えるエネルギーには限度がある。私は劣っている。私は見放されている。といった思い込み。
『私は見放されている、助けが得られない』と君たちが思っている間はそうなる。『限度がある』、と思っている間はそうなる。
これらの思い込みが、本来君たちのものである果てしないエネルギーを、君たちが使うことを妨げているものだ。」ーーセス
私たちは、エネルギー・ゲシュタルトの一つの現れである。
私とは、エネルギー・ゲシュタルトである。
私以外のすべての存在も、私とは異なる形、異なる経験を選択している、エネルギー・ゲシュタルトである。
みんな、おおもとはこの、ゲシュタルトというアイデアから生まれている。
"Something more than sum of its parts."
「部分の総和より大きい何か」
定義は普通、限定する。
違いを際立たせて、輪郭や境界を明確にする。
定義には、閉じる傾向がある。
「私はなにものである。」
そうやって自分を定義して、自己認識するとき、普通は、自らを限定することになる。
「私は男だ。」
というとき、女性らしさだと思い込んでいる性質(感情、直感など)や、女性がするものだと思い込んでいる役割を自分から除くような力が働く。
それが言葉の持つ性質なのだ。
それなのに、このアイデアは開いている。オープンである。閉じていない。
「私とはこういうものだ」
と決めようとした矢先に、
「いやいや、まだまだこんなものでは終わらない。それ以上のものだ」
と悟らされる。
すべての存在は、このアイデアから生まれている。
すべての存在の発展は、このアイデアから生まれる生命力がもとになっている。
しかもこの推進力は優しい。
もっと欲しい、の強欲(greed)とは違う。
ゲシュタルトの「さらなる自分」に駆り立てる力。
それは、花を咲かせる力だ。
赤ん坊を立ち上がらせる力であり、
何度失敗しても、決して諦めない力だ。
どれだけ残虐で残酷に思える事態を、私たちが自らの思い込みに基づいて起こしてしまったとしても、その根本的な原因に気付かせ、本来の喜びに満ちた在り様へと導いてくれる力だ。見捨てない力だ。
私たちの肉体の隅々まで、このバイタリティに満たされている。
細胞の、遺伝子の、分子の、原子の中に、この優しいバイタリティが組み込まれている。
刻一刻と変化し、身の回りで起こっている全ての出来事の根底に、このバイタリティがある。
ゲシュタルトとは、拡張であり、変化であり、成長だ。
私たちとは、拡張であり、変化であり、成長だ。
このバイタリティから生まれた、様々な在り方が、相互に支え合って、気づかせあって、バリュー・フルフィルメントをしあって成り立っているのが、この現実、このリアリティ、この宇宙なのだ。
この果てしない拡張性を根本に持った私たちが、この一つの人生に閉じ込められた限られた存在であるとか、私のエネルギーには限りがあるとか、決めてかかるのがナンセンス。
でもその一方で、私たちの思い込み・beliefというのは、一時的にはこのバイタリティを押し留めようとするのだから、スゴい力を持ったものだ。
でも結局、この果てしないバイタリティ、成長の欲求に抗いきれず、様々な形をとって思い込みを超えて成長していく出来事を起こしていくのだけれど。災害とか、病気とか、コロナとかの形すらとって。
すべては、All That Is、このゲシュタルトのアイデアに支えられているから、結局は上手くいくようにできている。だから、何事も恐れることなく、委ねて、任せきっていればいいのだ。
野に咲く花のように。
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