【読了『ひこばえ』】
家族ものの小説はあまり読まないのだけど、重松清さんの『流星ワゴン』や『とんび』がドラマ化されたときは毎週楽しみに観ていたし、『ひこばえ』というタイトルがどういう意味なのか気になったのもあって上下巻大人買いした。
けれど、買ってから数ヶ月積ん読本となっていて、やっと読み始めたのだが、ぐんぐん物語の世界にのめり込み、正味2日間で読了。
簡単にストーリーをお伝えすると、主人公 洋一郎の両親は彼が小学校2年生の時に離婚しており、父の金銭問題がその原因だった。それ以来、48年間洋一郎は父と会っていない。
ところがある日、姉からの連絡によって父が亡くなったことを知る。
幼い頃に父と別れたきりなので、洋一郎は父に関する記憶がほとんどない。
離婚の原因が父のお金に対するだらしなさにあったことは姉から散々聞かされてはいたが、洋一郎自身はそんな父に対して腹立たしさもなければ、懐かしむ気持ちもなかった。
行き場をなくした父の遺骨は、長男である洋一郎の手に託され、それを機に父との48年間の空白をたどるなかで父が生前関わっていた人との出会いを経て、洋一郎は経験し損ねた息子の立場を取り戻していく……。
離婚してからも父のお金に対するだらしなさは相変わらずだったようで、迷惑を被り、父のことを憎んでいる人はひとりやふたりではなかった。その事実に愕然とした洋一郎だったが、そんな父にも親しくしていた人はいた。
仕事仲間の神田さん、足繁く通っていた会員制の図書館スタッフの親子。アパート大家の川端さん、ライターの真知子さん、そしてネタバレになってしまうので明言は避けるが、重要な人物の登場もある。
あとは洋一郎が勤める施設に入居している後藤さんも含め、互いに初めて会ったにも関わらず、洋一郎の父を安らかに弔ってあげようというみんなの共通の想いがあり、その人情深さに驚かされた。
人との関わりはどちらかといえば淡泊な私には、なぜそこまで他人のことに一生懸命になれるのかと思いながら読み進めていたら、こんな一文があった。
そうだった。改めて考えてみるとここまでの私の人生で、あの時、あちらを選んでいたら○○さんとは出会ってなかったし、そうなっていたら私はいまのこの道を歩いていなかった。そう思える出会いは幾つもあったことに気づいた。それからこんな深い一文も。
人生100年を基準にすると、もう間もなく折り返し地点を迎える年齢になり、私は人との出会いの不思議さを考えるようになった。どんな人と出会えるかで人生って変わることも体験したし、どんな人と出会えるかはそれまでの自分がどう生きてきているかが大きく影響するのかもしれないと思っている。
こんなふうに、人との出会いについて思いを巡らせることのできる小説だった。それともうひとつ。この小説には年老いてからの生き方についてもふれられていた。
老後、働かなくてもお金に不自由せず悠々自適にのんびりと過ごすことは一見、幸せにも思える。高齢者施設に入ればスタッフが身の回りの世話をしてくれるので「なにもしなくていい」。けれどそれは本当に幸せなのか?
『ありがとう』と言われると自分が必要とされていると実感できる。褒められると木に登ってしまう私にはすごくよく分かる。老後はケアの行き届いた施設に入居して……。と薄らボンヤリ想像していたのだけど、考えを改めよう。
もしかしたら、これまでの生き方(どんな人と出会い、学んだか)が、自分が老いたときに活きてくるのかもしれない。
最後に、冒頭に書いた「ひこばえ」の意味については、ここで書くような野暮なことはしない。この小説を読んでいただければ「あぁなるほどね」と思えるはずだから。
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