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DINKsという生き方を選んだ理由(妻ver)

妻です。夫が子どもが欲しくない理由を書いていたので、私も書いてみることにしました。

自分が子どもをちゃんと育てる自信がない」これが私が子供を欲しくない理由です。

ただ、夫のように、子ども時代からこの考えを持っていたわけではありません。なぜこう思うようになったのか、順を追って書いていきたいと思います。

1.最初は子どもが欲しいと思っていた

20代前半の頃の私は、「27歳くらいまでに結婚して、子どもは2人くらいできたらいいな」と当たり前に思っていました。

併せて、保守的な人が周りに多く、独身には「まだ結婚しないの?」、結婚したら、「次は、赤ちゃんだね」という言葉が普通に飛び交う環境にいたため、「結婚と子どもはセット」と思いこんでいました。

また、私は夫と異なり、子どもは好きな方で、友人や同僚の子どもの世話をするのが楽しかったり、頼まれる事が多かったこともあり、今思うとおこがましい限りですが、自分は良い母親になれると勝手に思っていました。

2.自信をなくした理由(両親の離婚)

両親の不仲、離婚により幸せな子どもがいる家庭像がイメージできなくなりました。

私の両親は、離婚の何年も前から家庭内別居状態で、私を介して話すような夫婦でした。そんなこともあり、40代や50代の仲良し夫婦、その世代の親と子供で構成される温かい家庭のイメージがまったく掴めなくなっていました。

今考えると劣悪な家庭環境な上に、両親は自らの理想を子どもに課し、期待やプレッシャーを向けることが極当たり前に行われ、その割に子どもの将来に対する投資等(進学費用など)が不十分と感じることが多く、私は不満を持っていました。

そんな両親を見て、結婚・夫婦・子育てとはいったい何なのだろうか、親は子供の主体性を尊重し、後押ししてくれる存在であるはずなのに、何なんだろうという気持ちが強まっていきました。

3.自信をなくした理由(仕事の影響)

そんな時代に、子供や子育てに関係する仕事に携わることがありました。今の子育て世代が置かれている環境や、周囲の理解の低さ、自分勝手な夫(男)が多いこと(女性も多いですが)、自分の思考では考えつかないようなことを行う保護者が多く存在することを知り、子育てに関する良いイメージがなくなり、嫌気がさすようになりました。

生まれてきた子どもは、幸せになるために生まれてきたはずなのに、なぜ親のせいでサバイバーにならざるを得ないのか。そもそも、子どもを産んだ親がそんなに偉いのか。偉いなら、なぜ生きている子どもをもっと大切にしないのか。そもそも、親も育てる能力がないなら、簡単に子どもを望んではいけないのではないか。社会や周囲の目を気にして、本音では子どもを欲していないくせに、なぜ義務感で子どもを持つ親がこんなに多いのか。

本来の幸福や意味を逸した子育てを見聞きすることが多く、それが自身の価値観の礎となってしまいました。

4.自信をなくした理由(自分の能力)

確かに私は自分の生育歴や、仕事上、困難なケースに関わることが多かったため、家庭や子育てに対する嫌な部分が他者よりも、より強く自分の中で残っていると思います。

「そんな過去は反面教師にすればいい」、子どものためなら歯を食いしばって、なんでも頑張れる」「そんなのは、ただの逃げじゃないか」「産む能力はあるのにそれを生かさないなんて」という意見も多く、そのような意見も理解はします。否定はしません。

ただ、私は子育てを行う能力が自分にあると思えないのです。

私は、ADHDの気質があり(確定診断は受けていませんが)、過集中・注意散漫・軽いパニック傾向が日常生活において見られます。自分なりに色々と工夫したり、夫が私の特性を理解してくれているおかげで、仕事を10年以上続けることができ、日常生活には全く支障はありません。

しかし、子育てはこれら以上に予測不能なことや、コントロール不能なタスクが多く、自分に不向きだと思うのです。

5.まとめ

子育てに対して、前向きなイメージを持っておらず、能力が不十分である私は、このような自分が子どもを育てるべきではないと考えますし、ほしくない考えである限り、子供を持つ必要もないと思っています。それが生まれた子供のためだとも思います。

結婚に関しては、夫と出会ったことで、イメージが改善されてきましたが、今でも、仲の良い中年夫婦や、彼らが作り出す温かい家庭のイメージを自分の中で描けません。

夫も私とは異なる理由ですが、子どもを持つ意思がないため、このまま、2人仲良く、自分ができること、やりたいことを楽しみつつ、身の丈にあった暮らしを続けていけたらと思っています。

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