子なし夫婦の夫婦仲について~前編~
人から聞かれて嫌な言葉が一つある。それは「奥さんと喧嘩とかしないの?」というやつ。夫婦で仲良くしていることや楽しく生活していることが話題になると、それに続いてよく返される質問だ。本当にこの質問が嫌なのだ。
私は妻のことがとても好きで、感謝していて、かけがえのない存在だ。妻と結婚してよかったと思っているし、この人が笑ってくれることが私の楽しみの一つ。残業なんて1分もしたくないし、早く帰って妻に会いたいと思う。美味しい夕飯を作って一緒に食べたいし、一緒に英語の勉強もしたい。妻と一緒にしたいことが多すぎて、遅く帰ることなんて考えられないのだ。だから今もスーパーフレックスで14時や15時に退社できるシフトで労働している。出世とか昇進とか昇給とか、どうでもいい。
そんな毎日が楽しい。そして私は周りから「早く帰る人」と認識されているし、それは妻と一緒の時間を過ごしたいからであることも認識されつつある。妻が熱を出したら、子育て中の人が子供が熱を出したときと同じように、看病のために休む。別にそれを恥ずかしいことだとも思っていないし、普通の幸せを手に入れて大事にしているだけだと思っている。
という話をすると、必ず返ってくるのが冒頭の質問なのだ。要するに「仲が良いって言うけど、仲が悪い部分もあるんだろ?」みたいなやつである。「なんだかんだいって、奥さんに不満があるんじゃないの?」「ストレス発散したいんじゃないの?」というやつだ。そういう連中には本当にこう言いたい。
「あなたと違って普通の幸せを喜ぶ余裕があるので、敢えて嫌なところは見つけません」
確かに、妻と意見が衝突したり喧嘩することもこれまでにあったし、妻のことを十分に理解できていないと痛感したこともある。けれども、わざわざそれを特別に主張したり、話題にすることなのか?と思うのだ。失敗したら成功で上書きすればいいだけであり、失敗を殊更主張する意味はない。友達のことを紹介する時に、友達の悪いところを言う人はいないだろう。わざわざ自分が探してきたかけがえのない存在を表現する時に、その人の嫌な部分や、自分たちの嫌なものを引っ張り出して話題にする必要があるのだろうかと思うわけだ。
いいですね。仲良しですね!二人でどんな話をしたりするんですか?
こういえばいいのに、どうして「喧嘩とかするんですか?」になるのだろうか。恋愛ドラマのような拗らせや他人の不幸が聞きたいのだろうか。飲み会で配偶者の愚痴で持ち上がりたいのだろうか。
申し訳ないけれど、私は愚痴が嫌いだ。何の生産性もない。この記事も愚痴かもしれないし、嫌だなと思っている。それに、自分で選んだ配偶者の悪口を他人の前で得意げに語るのって、惨めさの極みではないだろうか。その飲み代使って、妻にケーキを買って帰りたい。というか、飲み会を全部断って全部のお金を妻にケーキを買ってくるお金にしたい。
と、感情任せに書いてみたが、一昨日妻と夜中眠れなくて25時くらいまで寝転がりながら話していたら、こんな話を聞いた。
妻は逆に、人から聞かれるのではなく、自分から「喧嘩するときもありますよ」と人に言ってしまうらしい。それを聞いて、ちょっと残念だったし、妻にそれを正直に伝えた。決して喧嘩とか口論ではなく、色々お互いを知るための会話だったのだが、これを妻に伝えてよかったと思っている。
妻が私との結婚生活のことを第三者に話す時、第三者は私達の夫婦仲が良いことをとても羨ましがったり、良いねと褒めてくれるらしいのだ。それを聞いて、妻が「でも喧嘩したりすれ違うこともありますよ」というらしいのだ。褒めてくれるのになぜ敢えて謙遜するのだろうか。それは、自分より幸せな人に嫉妬したり、同じ水準じゃないと仲良くできない、親しさが持続されにくいこれまでの人間関係にあった。
たとえば、結婚すると独身の人と合わなくなる。独身の人とあっても、結婚して幸せな自分を出してしまうと、独身の人から嫉妬されたり、悪口を言われたりする。これは被害妄想ではなく、実際に嫌味を言われたり、わざと解散時間を遅くされたり、チクッとするような小さな攻撃を受けることがあるというのだ。加えて、嫉妬も怖い。女子会で嫉妬や人の悪口、ちょっと幸せになった人を過剰に羨ましがる場面があるそうなのだ。
だから妻は私との生活を良いものだと他人に言いにくいのだという。仕事と子育ての両方をせずに自己実現のための活動をしていることや、平日の昼に自由時間を行使できることを、とても不都合なことだと認識しており、それを匂わせることのないように過ごしているとのことだった。
気持ちはわかるが、非常にもったいないことだと思った。妻の交友関係は色々あるのだろうが、不幸だから幸福な人に嫉妬する人は、嫉妬している暇があったら自分で幸福に手を伸ばせばいいのにと思ってしまう。好き好んで険しい道を選んで、妻のように自分に素直になった人に敵意を剥き出しにする、その人が自分の真実を語ることを憚る空気を作ることに、何の意味があるのだろう。マウントの取り合いや虚構の横並び意識で友達ごっこをして楽しいのだろうか。
という話をしてから、妻の友達関係の話題になった。先日書いた年末年始と友達関係に関することに関係するが、妻は私の「会わないけど連絡を取る関係」をとてもいいなあと話していた。ここから妻のこれまでの交友関係についての話が始まるが、それは後編で。