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部活・労働・子育てからの発展的撤退

このアカウントでは子供を持たない選択と労働に支配されない選択について色々と書いていますが、やはり向けられるのは、どうしてそういう考えなのかということと、周囲からありがたいお説教やお説得を受けることだと思います。これについて書いていきます。


1.子供を持たない選択について

何度も書いているので今更なんですが、子供をほしくないのはなぜかと問われた時、私は一日のタイムスケジュールを見せるようにしています。

労働6-7時間、料理・洗濯などのハウスワーク2時間、睡眠8時間、勉強(英語・情報通信)1時間、動画・画像などの創造活動1時間、食事1時間、移動2時間。これで平日は終わりです。休日は創造的活動に時間を割いたり、妻と散策に出かけたり手がかかる料理をするので、特に時間が余ることがありません。

これのどこに子育ての時間を入れるのでしょうかと、謙虚に丁寧に説明することで「そりゃあ子供持つ時間ないわ。そんなにやりたいことがあっていいねえ」と、純粋な理解か皮肉を言われて終わります。それで終了です。

面倒ではありますが、子供を持つことを当然と思っている人とは根本的に人生の優先順位が異なることと、他者に期待や関心を持つことを人生で重要視していないことを淡々とっ説明していくしかないのだろうと思っています。

2.お説教と勧誘への対応

子供を持たない人に対して「子供を持ったほうがいいよ」という人の心理が不思議ですよね。なぜ勧めるのか。失礼ながら、執拗に他人の人生設計に口出しをしてくる人は、自分自身が不幸だからなんだろうなとしか思いません。勧誘や助言などをしてくる人全般に対してそう思っています。

帰宅部の私に「部活をやらないと後から団体行動できなくなって社会に出てから困る」と忠告してくれた嘗ての同級生は、立派に労働奴隷になったり、鬱になったりしている人もいますが、部活などの団体行動を拒絶し社会不適合者になって困窮すると批判された私は、普通に楽しく生きています。

同じように「仕事は〇〇であるべき!」と、根性論研修でスパルタ教育をしていた体育会系ベンチャー講師の言うことに服従し奴隷のように働いている人たちが幸せになっていない反面、「労働はクソである」とか「そんなに気に入らないなら降格処分にしていただいて構いませんよ」と上司に言っちゃうような私が、ミニマム労働で効率良く、程よい生活費の獲得に概ね成功しています。

さあ、「子供は持つべきだ」というお説教の行く末はなんでしょうか。上の2つの経験が示す限りでは、他人が勧めてくることが必ずしも幸せな結末を生むわけではないということが見えます。「儲かる」と勧められる投資の数々が万人を経済的に救済していないのを考えれば、こんなの自明なんですよね。

本当に良いことなんて、労力をかけて他人に勧めることなんてそうそうないですし、しつこく「これをやれ」と言うようなものに進んで没入しようとなんて思えないわけです。必死でみんなで同じ苦労をすることを美徳と思っている人がいるのも分かります。文化祭や体育祭で美しい体験をしたい人の理想郷ですよね。しかしそれは全体主義的であり、私は好きではないのです。

3.義務以外は何もやることがないという危険な思考

このように「〇〇した方がいいよ」という人は、恐らく「〇〇しないんなら何をするの?」と考えているのでしょうし、平凡な人間は皆同じように生きていくと信じているのでしょう。学生を卒業したら勉強する必要はないし、趣味は学生のうちに卒業するべきで、1億人全員が同じように生きていくべきだと思っているのかも知れません。仕事で出世して忙しい中で子育てをして子供を立派に育てて家を立てて、不況でも昭和30年代のように全員が同じ人生を歩んでどんどん社会が豊かになっていくのが理想なのかも知れません。

それはそれで結構ですが、他人を攻撃するのはやめてほしいですよね。いくら挑発されたところで、私が答えるのは「で、あなたは幸せなのですか?」だけですし、収入や社会的地位でマウントをとられようが、順風満帆な人生をやっているアピールをされようが、子育て頑張ってるオーラを出して喧嘩を売られようが、夫婦仲が良い自分たちの方が幸せだから良いやとしか思いませんし、何より妻と結婚できた自分は幸せなのですから「そうですか」としか言いようがないんですよね。

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