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一番になる必要はあるのか
東京のJR各線の車内で流れている「TrainTV」というものがある。電車の広告だが、テレビのようなエンタメ要素が含まれていたり、CMとバラエティが組み合わせられている感じだ。最初はCMが中心だったような気がするが、徐々にエンタメ的なものが増えてきてた。
ある日、CMなのか短い番組なのか、「親が仕事をする様子を子供が見る」という特集を見かけた。子供は役者で親はなんだったかな?程度の記憶しかないのだが、そこでのやり取りが頭に濃く残っている。
簡潔に言えば、子供は親の仕事ぶりを見て「すごい頑張っている、努力している、努力って大事なことだよね」みたいに言う。それに対して、親は「頑張るんじゃなくて、とにかく楽しむことが大切だよ」という。ここまでであれば、確かにそうだなあと納得するわけだが、このあとの展開が面白い。この親の言葉に対して、子供はなんと言っただろうか。
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100%正確に覚えていないので、内容だけの記載になるが、概ね内容はこの通り。
【子供】でも、頑張ることも必要だよ。だって私、もっともっと努力して「日本一」の役者になりたいもん。
皆さんの予想はあたっただろうか。これを見て「素晴らしい」と思えないのが私なのである。「日本一」ってなんだ?と思ってしまうのだ。何かを頑張ることは、競争して他人に勝つことなのか?順番をつけることなのか?非常に共感できない考えだなと、何か悪いものを見たような感覚に陥ってしまうのだ。
楽しむことが大事という、自分を主語にした達成目標を掲げて夢中になって何かをやるだけで十分だと、個人的には思っているが、より感動を与えたり、人に共感を向けられるためには「勝ち負け」に言及しなければならないのだろうか。より優れ、より高く、より強く、相対化には比較が用いられ、比較の先に満足を得るには「敗北者としての他人」が必要になる。
自分一人で完結しないことを目標にしてしまう人間に、幸福は来るのだろうか。良い「独りよがり」が、あまりにも軽視されていると感じる。「ただの自己満足だろう」と笑われるような「小さな幸せ」が無数に失われていると感じる。他人に影響を与え、他人に承認され、他人に勝たなければダメなのだろうか。自分の幸福や満足に他人を巻き込むことが果たして正しい目標なのだろうか。こうした価値観が過剰なまでに賛美され、一体感を醸成する触媒として機能しているように見えるのだ。