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「昔は良かった」と思わないDINKs夫婦

「昔は良かった」

よく聞く言葉である。実際に経済的・文化的な側面で、今と昔を比較して、昔の方が良かったと感じる場合もあるだろう。「昔の方がよかった」ではなく「昔の方がよかったと感じる」というところが重要で、よかったかよくないかなんて、決して一般化できるわけではないと思っている。

昭和レトロな古き良き時代を描写する作品や価値観が多い反面、20世紀少年のように、多数が賛同する潮流の中で、苦しんでいた少数派がいることも事実で、そういうものを無視して全体調和に傾倒することは個人的に好きではない。個人的にである。社会が良いかどうかなんて、良いかどうかを判断し発信できる人間の主観に過ぎないと思うし、学校や会社などの集団生活で、声の大きい人間の意見が全体の意見や美談として君臨するのと同じくらい、無意味なことであると思っている。いや、意味はあるかもしれないが、それに一喜一憂するものではないという程度に捉えておく。

じゃあ「良い時代」かどうかを考える決め手はなんなのか。という話になるわけだが、私にとって良い時代、楽しい時代は「現代」だ。疑いの余地がなく、令和が平成よりも楽しいし、昭和を生きてはいないが、平成は昭和より楽しいと思う。なぜなら、年齢を重ねるにつれて、間違いなく人生が楽しくなっているからだ。

何も知らない幼稚園や小学校時代が楽しかったかといえば、楽しいこともあっただろう。けれども、あれは自分の人生ではないと思っている。大人が作った子供、集団が作った子供、らしさを演じていただけの子供なんだろうと思う。食べ物の好き嫌いから口の聞き方まで、オリジナリティはなく、何かの模倣や追従のようなものである。だから昔話を親戚にされても、「だから何ですか?」としか言いようがない。なぜなら、そこには「じっくり考える」ということがなかったのだから。

考えることを重ねることで、人生は楽しくなる。苦しい経験でも、考ええば考えただけ、考えないよりは数段マシな人生になっていくというのが私の基本軸で、昨日が今日よりも良かった、ではなく、今日を更新して最高の状態にしていけば、明日も最高の状態が続くと考えている。

夫婦関係も同じである。今、眼の前にいる妻を大事にすることで、明日の妻も明後日の妻も笑顔になる。それを死ぬまで積み重ねればいいだけなのだ。朝起きて太陽の光を浴びるように、一緒にいてくれる妻がどうやったら笑顔でいてくれるかを考える。それだけで十分である。

今が一番楽しい、今が一番幸せだ。そう思わせてくれるのは、上記の思考だけではない。妻が隣りにいる人生になったことも影響している。出会って4年、結婚生活4年、妻がいる「現在」を含む現代が最も良い時代、楽しい時代であることは間違いない。妻と出会う前の人生も、それなりに一人で楽しんではいたものの、妻と一緒に、楽しい瞬間の点を更新して線にしていくライフワークをすることで、常に先々が楽しいと思える気持ちを維持できている。

先行きは暗いなどと簡単に口にできてしまう昨今だけれど、経済や文化が変わろうが、いわゆる昭和の常識と比較して暗くなろうが、自分たちが暗くなってしまってはどうしようもないし、どんな社会になっても、自分たちは楽しい面白い明るい夫婦生活を送っていこうと思う。

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