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労働から解放された世界をイメージできるか

ベーシックインカムでみんなが働かなくなったら、マクドナルドのような外食サービスが破綻してしまう!無理やりにでも働かなければならない制度は必要だ!

という意見を見かけた。

ベーシックインカムが施行されると、社会に必要なサービスが成立しなくなるという主張を見かけた。たとえば外食産業などに誰も従事しなくなると、外食産業が廃業してしまうというようなものだ。みんながやりたくないような仕事を我慢してやっているからこそ、社会は成立しているのであって、それを廃止する仕組みは社会そのものを変えてしまうし、壊してしまうという主張のようである。

前提として、私はまだまだベーシックインカムについて勉強中なので、知識も判断技術も中途であるから、間違った解釈をしているかもしれないが、上記のような考え方に対しては「特に問題は起こらないんじゃないか」という印象を受ける。つまり、ここで問題提起されているような社会の崩壊は起こらないだろうと考えている。

1.時間に追われなくなることによる生活の変化

ファーストフードやコンビニなどに従事する人がいなくなったり、いわゆる24時間常にサービスしたり、即席のサービスを提供するキツイ仕事をする人がいなくなってしまうことを懸念する意見に対しては、そのサービス自体が必要であり続けるのかどうかという疑問が生じる。

翌日に強制された労働がなければ、無理に時間を節約する必要がなくなる。レンジで温めるだけのご飯ではなく、買い物をして材料を買って自分で作る時間も確保できる。

そうなれば、立ち食い蕎麦屋や牛丼屋、安い外食チェーンなどにここまで依存することもなくなるのではないか。少なくとも、冷凍食品を温めて食べるくらいの時間の余裕は出来そうである。

自宅で食事をする時間なんてないと思われるかもしれないが、新しい社会では、私生活に支障が出るほどに可処分時間を削ってまで労働することがなくなるので、外食や即席食品で済ませていた人が部分的自炊をする文化が普及すれば、いつでもどこでもすぐに食を提供する必要性はそこまで大きなものとはならないと思うのだ。

2.これまでの社会だけが社会であるわけではない

新型コロナウイルス感染症社会で、日常が変わったことを嘆く人が多いという話はこれまでも繰り返し書いてきた通りだが、変わってしまった日常を憂う声が大きい一方で、個人的には良くなったこともたくさんあると考えている。妻と結婚したタイミングでコロナ社会になり、在宅勤務が普及した。結婚以来、一緒にいる時間が常に十分にある状態が続き、世の中の夫婦の不仲にみられるような「意思疎通不足」などは全然見られない。私にとって、家族を大切にすることができる猶予が大きくなったことはコロナ社会がもたらしたプラス面といえる。

加えて、公衆衛生や健康に対する意識も高まった。自炊を本格的に始めたのもこの時期、食材、栄養、健康についての関心が高まり続けている。栄養学を大学で専攻すればよかったと後悔したり、自ら食品成分表を眺めるほどには、この分野に対する関心が強まった。結果的に、風邪を引くことが少なくなったし、夫婦生活を始めてからは、相手のためにも健康は大事にするようになった。お酒も飲むけれど、量は減ったし、食事と組み合わせて楽しむ程よい飲み方に変わった。週末の繁華街で盛り上がるような飲み会に行かなくなり、浪費が減った分、これまで以上に貯蓄や夫婦の生活に投資できるようになった。

何より、時間的余裕ができることで、色々なものに興味を持つようになったと思う。義務をこなすことが中心だったり、消費することが中心だったこれまでの社会を見直したり、人との対面交流が減ったことにより、自分と対峙する時間が増えたりすることで、自分たちならではの幸福について考えるようになった。画一的な指標や他人との比較ではなく、他人がどうであれ自分が納得したり楽しんだりできる人生を模索するようになったことも、生活の変化がもたらしてくれたものだと感じている。

3.価値観のリセットは悪いことではない

社会が大きく変わり、前提や常識が変わることで、これまで全然視野に入れていなかったものが見えて生活が豊かになることがある。択一式試験の問題文の読み落としに気づくかのように、目の前に落ちているものに気づけないでいることは多い。ベーシックインカムにより「朝起きて労働に行き一日を終える」前提が変わり、「朝起きて洗濯物を干してゆっくり朝食を家族と食べる」前提が誕生するとしたら、今現在の議論などまったく意味をなさないほど、新しい世界になるのだろう。こういう変化を人生の中で経験できる可能性があるだけで、この時代に生まれて幸せだと思う。

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