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社会不適合者の転職面接は面白い

先日書いた会社の次の面接に行った。特定を避けるために詳しい内容は避けるとして、残しても問題ない感想を書きちらすと、内容は以下の通り。

  • エンドユーザー(ITに限らない)に対して事業を行うことで具体的に利益を与えられるので、この仕事は充足感を獲得できると熱弁していた社員がいて(過去記事参照)、その社員が楽しそうに話しているのを見て、嬉しくなったという話を書いたが、その人が、前回私と話していて楽しかったと話してくれていたらしい。

  • 役員が「若い人の働き方が変わってきている。その気持ちもわかるけれど、仕事で何かを達成したいという気持ちがないように見える」と言っているのが印象強かった。

  • 性格検査シートをもとに面接が行われた模様で、面接官によれば、私は「自己実現型(要するに社会や組織での評価ではなく、自分自身の人生における財産を個人で想像することに重きを置くタイプ)」かつ「好奇心が旺盛」なタイプとのこと。

  • なぜ割り切った働き方をしたいのかと問われたので、「一日24時間あっても足りない。労働以外で生産活動をしていたい。義務を果たして終わるだけの人生は嫌であり、料理のように手を動かす時間がほしい。妻が新しいことをやっているので、私も常に新しいことを吸収していきたい。それが会社の仕事で得られるのであれば、残業してでもやる。」と正直に答えた。

  • リーダーかフォロワーのどちらを目指したいかという質問に対し「手を動かして現場でコツコツやりたいのでフォロワー一択であり、地位や評価は不要なのでリーダーになる気はない」と答えたところ、「そうはいっても、出世したりよりよい位置にあがりたいという気持ちも仕事では大事じゃないか。そういう気持ちは本当にないのか」と追い質問をされたので「ない」と答えた。

  • ただ、こうした回答を否定されることはなく、なぜそう思うのかをとことん聞かれたのが印象的だった。仕事に関係ない勉強をしたり何かプラスアルファのことをし続けていること、今のSEの仕事に関する知識を独学で身につけたことを強く評価されたが、5年後どうなっていたいかという質問に対し「学び続けたい」と答えたときには、微妙な顔をされた。

  • ストレスを溜めたときにはどうするかという質問をされたので「そもそも会社で起こったことが自分の中で重要度が低いので、会社から最寄りの次の駅まで歩いて買い物して夕飯作るだけで、そのことを忘れている」と答えたら、物珍しい顔をされた。

ざっとこんな感じである。おそらくこれは最終面接のようだった。色々な事情があり、多分この会社にはいかないと思うけれど、採用されてもされなくてもどっちでもいいと思いながら、100%正直に話す面接というのは、本当に面白い。絶対に採用されたいと思うから、どうでもいい建前を言ってしまうけれど、選ぶかどうかは相手の勝手であり、別にそれを自分でコントロールする必要がないと思うと、対人関係はかなり楽になる。実際、帰り際に、担当の事務員から「〇〇さんは面接で緊張しないタイプなんですね」と言われたので、相当にリラックスしているように見えたのだろう。

最近は、会社でもこんな感じであり、どうせなるようにしかならないから、必死に何かを追いかけるのはやめようと思っている。仮に立場が強い相手からなにか言われたとしても、それは会社という文脈で正しいだけであり、その上司は私の人生にとってどうでもいい存在なのだから、服従する価値がどの程度あるのかを考えると、アホらしくなるし、楽になる。服従することが美徳だと「思っているフリ」をするのは、やめたほうがいいのだろう。

今回の面接に行ってよかったことは、冒頭に書いたように「ワクワクする中年」がいることを実感を持って理解できたことだけではなく、出世欲や承認欲求がない人間、少ない人間が珍しがられること、まだまだ変な人だと思われることを、会話を通して強く感じたことだった。

このあたりは、世代間格差が極めて大きいのかもしれない。「〇〇さんは自己実現を大事にしているんですね」と言われ、これが単なる発見や驚きなのか皮肉なのかわからないが、自己実現を目指すこと、個人としての充実を人生に求めることはごく普通のことだと30年以上信じてきたが、これがそこまで普遍的なものではない(少なくとも日本社会においては)こともわかり、新しい気付きになった。

上に載せた動画のような価値観を、私は集団行動や労働に対して本気で思っている。役割を果たすことで自分の価値を感じるという価値観は時に善いものであるとも思うが、「役に立つこと」=「よいこと」とすると、その逆が「悪いこと」になってしまう。「豊かになること」=「よいこと」とすると、その逆が「悪いこと」になってしまう。

何かを「よいこと」と定義することで「悪いこと」が定義されてしまう相対化の問題が、社会の役に立っていないのは駄目だ」という価値観を支配的にしてしまうと思う。個人的には、この動画で言われているように「社会で(労働者として)役に立っているかどうか」なんてどうでもいいと思うし「会社労働していれば社会の役になっている」という考えこそが驕りだと思っているから、今後も「意識低い系」として、非難されつつ楽しみたいと思う。

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