やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑰~こころの支え
前回まで
番外編を1回はさんで
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術番外編①~ポテチが・・・|せっと|note
今回から再び本編にもどります。
今回お話しする内容は、私がとても大切にしているエピソードです。
さしてきたかすかな光
何をするでもなくぼんやりとテレビを眺めるような毎日を送っていた自分にとって、かすかな光が差し込むような出来事がありました。
ある日母親の友人が家に来ていて、二人でおしゃべりをしていました。
平日の昼間だというのにいい歳をした息子が自宅にいるということを後ろめたく感じていた私は、隠れるようにしていつものようにテレビを見ていました。
二人の会話が聞こえてきます。
母親の友人が、社交辞令であるように私には思えたのですが、私のことを「いい息子さんですね」、というふうに話しているのが聞こえてきました。
それに対して母親は、すごくさらっと「ええ、私の宝物ですから」、と返したのです。
自分としては、(自分の現状に全くそぐわない)「いい息子さん」、などという社交辞令を言われても母親も戸惑ってしまうだろうな、困るだろうな、なんて思って聞いていたので、間髪入れずに自然にさらっと「宝物」という自分が思ってもいなかった言葉を発した母親にたいしてちょっと予想外というか、意外に感じました。
自分も存在していいんだ
だけどこのときの母親の一言は、自分にとってはとても刺さる一言でした。大げさにでもなく、本当に自然にさらっと発したことからも、母親が本当に自分のことを「宝物」だと思ってくれているんだということを感じ取りました。
この言葉を聞いて、「自分もいても(存在しても)いいんだ」、「自分の居場所がある」、なんて風に思えました。
自分の中に小さな小さな希望が芽生えるきっかけとなった出来事、ゴミくずのような人間だと自分のことを考えていた私の中に、スーッと光が差してきたような気がしました。いまでもとても大切にしているエピソードです。
もっと言えば、私のリカバリーの原点であり、出発点となった出来事という風にも言うことができるかもしれません。
もう一度歩き出そう
この母親の言葉が再び歩みを始めるきっかけになっていたのだろうな、なんてことを今にしては思います。わたしは少しずつ動き出してみようなんてことを考えはじめ、通院先の主治医に相談してみます。
その結果、デイケアへ通うことを提案され、通所を始めます。
はじめは週3日程度からスタートし、1年たつ頃には週5日、1日通しで活動に参加できるまでになりました。デイケアで人と交流できたことが自分にとってはよかったのかな、なんて思います。
通い始めの頃こそ、まだ自分の中には「ここは自分の来る場所じゃない」、などといった意識があったと思います。プライドが高かったんですね。
おそらく自分自身の中に「舐められちゃいけない、俺はここのみんなとは違ってできる人間なんだから」、みたいな意識があったように思います。
そのため通い始めはここでも誰とも話さない、一人で黙々と提供されるプログラムをこなすといったように参加をしていました。
しかしそんな私のこともどのメンバーさんもスタッフさんも優しく迎え入れてくださっていました。はじめのうちは緊張などから戸惑いを感じてはいましたし受け答えもしどろもどろだったのではないかなと思います。
また、ピアスをつけていたり、ロックファッションに身を包んでいたりして参加していたようなある意味とんがっていた自分に対しても誰も「変な奴」、と排除することなく認めてくれていて、自分に興味をもって接してきてくれ、気さくに話しかけてくださる方もいました。
そんなデイケアの仲間とのかかわりの中で徐々に自分としてはここにいてもいいんだといったような感覚、自分のことを認めてもらえる感覚を感じるようになりつつありました。それに伴い自分の堅さもほぐれていき、彼ら彼女らの輪の中に入りおしゃべりをし、プログラムに参加することができるようになりました。
なかまの力で元気に
自分を認めてくれる仲間の存在、うまく言葉では言い表せませんがなかまの力の持つ効果のようなものを感じることができました。
ここでわたしはもしかしたら忘れかけていたのかもしれない自然に笑うこと、冗談を言い合うこと、なんてことが再びできるようになり、自分でも少しずつ元気になっていっていることを実感していました。
暗黒時代に少しずつ光がさしてきました。今回はここまで。この後どのようなリカバリーの道を歩んでいくのか、次回以降お話ししていきます。