点数上げたい?がんばりたい?
子どもを管理し、勉強させたつもりになっていたフツーの先生だった私が、子どもたちを大きく変える力があるいい先生と出会い、学んだことを書いていくシリーズです。
さて、前回のブログ「勉強しない自由がある」にもつながる話ですが、今回は、「勉強にも同意が必要」という話です。
いい先生の指導を見て、不思議だったことの一つ。
それは、子どもと勉強を始める前に、
「自分が良くなりたいか」
を聞き、
「勉強をがんばる気があるか」
を確認することです。
声の掛け方はさまざまですが、本人の意思確認をするのがポイントです。
最初、その指導を見たときに、私はイマイチ、その行為の意味がわかりませんでした。
「勉強は良くなりたいに決まってる。
大抵の子がテスト前に頑張っているのはそのためでしょう。
テストの結果は、進路にも関わる。
だから頑張らない理由がない。」
とすら思っていました。
ほかにも、こんな風に感じている親御さんもいます。
「全然やる気がない。
悪い点数をとっても平気。
塾に入れば、強制的に勉強できる時間が増えるから、まずそれでもいい。」と。
どちらにせよ、「勉強はすべきで、なかなか上手くいかないからなんとかしないと…」という気持ちは共通です。
そういう事情、そういう態度があるのは事実。
では、なぜ今さら本人の意思を確認するのでしょう。
良くなりたい気持ちに関しては、本来どの子にもあるはずなのです。
その、良くなりたい気持ちにまず本人が素直に向き合う必要があります。
さらに、そこに向かうことがなかなか難しいのは本人も感じているはずです。
集中力がない、内容がわからない、ミスが多い…並べ立てれば、いくらでも達成できない理由はあります。
でも、先生と一緒ならクリアできます。
なりたい自分になるための「手段があると知れば」、がんばろうという気持ちに拍車がかかります。
最後に、がんばるなら、「お互い本気で!」という約束です。
自分でも自分のことをがんばるし、先生もあなたのために考えるし、話をするし…という、一つのゴールに向かっていこうというイメージを共有します。
これで、その子は、
これからの努力は、自分のための努力。
先生は自分に助けをくれる人。
と認識し、当事者意識が芽生えます。
逆に、このやりとりがないというのは、
大人が勝手にあれこれ進め、
勝手にルールを作り、
守れなければ叱る、
という、理不尽な指導になります。
たとえば、
大人が偏差値で勝手に志望校を決め、
カリキュラムと期限を決め、
その通りにやらなければ叱る、
ということです。
そういう指導に、本気になって子どもが取り組めるでしょうか?
自分にとって達成したいゴールだからその気になる。
それが叶えられる感触があるからがんばれる。
本気になったから、ちゃんと自分で考える、行動する、人のせいにしない、という姿勢になる。
納得感のある、一つ一つの行動、毎日を積み重ねるから力がつくのは当然。
結果が出るからますますがんばる。
そういうことなのですね。
ついつい、大人が先走って色々考える、何でも用意してしまうのは、子どもにとって、成長するチャンスが面白くないものになってしまいます。
ちょっとの変化でなく、大きく変化するために。
ちょっとがんばるのではなく、圧倒的な行動力を出すには、
このような押さえるべきポイントを最初にやるべきなのです。
なかなか大人の世界でも、このような決断をして何かに臨むことは少ないかもしれませんね。
このようなスタートを切った子は、大体の細かい問題は自然と解消され、どんどん勝手に自分で高まっていけるようになります。