小林新也(シーラカンス食堂 / MUJUN / 里山インストール代表社員) - 里山再生と後継者育成を結ぶ
地場産業における構造上の課題
地場産業の後継者問題に取り組んでいて感じることは、どこも分業による合理化が進みすぎたことがかせになっていることです。生産工程のうちの一つの材料屋さんが辞めてしまっただけで工程全体が共倒れになり、崩壊してしまう寸前の状態です。めちゃくちゃ危ういんですよ。これまでの地場産業はさまざまな職人の仕事で成り立ってきましたが、この産業形態自体は、正直すでに終わりが見えていると思っています。
近代以降、技術が合理化してしまうよりも前の時代の技法を守りながらものづくりをしている方たちが、最後の生き残りとしてまだいらっしゃいます。すでに高齢者になっており、弟子は一人もおらず、育てたこともありません。その方たちから学ぶには今しかないので、急いで後継者育成をやらないと間に合いません。さらに大きな問題として、資材も原料もその辺では手に入らなくて業者から買うしかないなかで、需要が減ったこともあって一つひとつの値上げが頻繁に起こっており、職人が弱い立場に置かれてしまっているのです。これは産地の構造的な問題です。
ヨーロッパにおける地域経済の循環
シーラカンス食堂(※1)を立ち上げ、これまで8年間、刃物ブランドの海外展開をやってきて、日本市場とはまったく異なる価格設定をしながらも広域に販路を獲得することに成功してきました。海外でどういうアプローチをするといいか、ものづくりのビジネス上で必要なことは習得してきたつもりです。海外の人が見ている日本は、昔の日本のイメージなんです。今でも神道の考えが残っていると思われていて、日本は職人の国だという世界観をもって、展示会や物販イベントに足を運んできている。テクノロジーも発展しているのに、一方では古いものも残っている不思議な国だと思われていて、日本の手仕事を見るとみんなめっちゃ感激してくれるんです。
ヨーロッパの人たちは文化的な生活水準が高くて、日本の職人技術の価値が届いていると感じています。僕らがヨーロッパの展示会に参加してきたなかで、ヨーロッパの地方では規模は小さくともそのエリアでの地域経済が循環しているところがたくさんあることを知りました。そうした小さな小売店が、僕らの持っていくものをたくさんコンスタントに仕入れてくれるのです。
原料と職人さんの距離の近さ
日本にも、昔は問屋を介してもすぐに売り場があって、その売り場には商品に詳しい店主がいました。店主が使う人のニーズを直接耳にしているから、問屋を通していても職人にその声が届いていたのです。でも今は地場の問屋からさらに大きな問屋を介して、商品は大きなチェーン店に並びますから、使う人の声が職人に届きません。職人がデザインする思考にならないので、日本のものづくりには商品のデザインが進化していかない課題もあります。販売価格も日本では小売希望価格が先行します。上代がまずあって、それに対して卸値・下代という発想が当たり前ですが、ヨーロッパでは逆なんです。いくらで卸せるかが先行して、自分の店ならいくらで売れるかを考えます。だから同じ町でも価格が違っていて、お客さんは値段が高くても行きつけの店で買ったりします。生活に密接した関係性があったり、その店のメンテナンスが上手だからだったり、いろんな理由があるのですが、そこには今の日本の状況とは大きな差があると思います。
持続可能性が大切だと、最近になってようやく世の中では言われ始めましたが、その基盤となるものづくりの状況や、ものづくりを取り巻く環境が危ういことにほとんどの人が気づけていないと感じます。このような危機感をもった中で、島根の温泉津に足を運ぶたび、ここでの暮らしは物理的にも自然が近く、原料と職人さんの距離が離れていないことに驚いてきました。なんなら職人さんが自分で原料を持っていて、隣で原料を掘ってはこっちの工房で工芸をつくるといった具合です。「これだ!」と思いました。そして、みんな優しいし、余裕がある。すり鉢屋さんに土が欲しいとお願いすると、「あげる、あげる」と言ってくれます。料金もいらないと言う。「だってこれ、あそこで掘ったやつやから」と。
「暮らす」ことでしか、地域の問題は解決しない
以前から、里山再生と後継者育成を結ぶようなことをやりたいと思っていました。そんな矢先にコロナがきて、材料や燃料を物流に頼り続ける危うさを痛感しました。考えてきた構想を形にするのは、今しかないと感じています。地場産業を支える原材料を地域内で調達できる体制をつくり、そしてその地で後継者を育てることです。産業の生産量は減っていきますから、すべてが地産であるという文脈をつけて高付加価値化していきます。
いま自分が一番苦しいのは、突きつめると「暮らす」ことでしか、地域の問題は解決しないんじゃないかと思っていることです。いくら地域や社会がこうなるべきだと僕が思ったとしても、それだけではなにも変わらないじゃないですか。僕はデザイナーという仕事からスタートしているので、さまざまな地域を知っていて物事や人のつながりを運ぶ、いわば「風の人」が重要だと身をもって知っています。けれど今は風の人はめっちゃいるんです。「暮らす」人が明らかに足りなさすぎです。「暮らす」人が増えない限りは、守りたいものは守れないなと実感するのです。月の半分は温泉津に来て、月の半分は兵庫に住む暮らしを続けてもう2年になるのですが、それでもまだ、ここに暮らしているという感覚が足りません。里山を取り戻すにも、暮らすことでしか絶対に取り戻せない。暮らし始めることで初めて暮らしそのものとして地域や自然環境の一部になって、本当の意味でやりたいことが実現すると思っています。