新山直広くんが移住した当初は、田舎の風習や付き合いに大変苦労し、つらい思いもしたと思います。市役所を退職する際も都会でチャレンジしたいという気持ちもあったようですが、何度も話し合いをさせてもらううちに鯖江で頑張る決意をしてくれました。あのときに都会へ行っていたら今の新山くんもなかったでしょうし、鯖江市も若者が可能性を求めて集まってくることもなかったと思います。アートキャンプしていた当時は、夜中のミーティングに付き合ったり、差し入れをしたりして、こちらも本気で付き合いました。そして人間関係を作り、学生から卒業後、鯖江に移住したいという相談を何件も受けました。そのときは、必ず本気度を極めます。単に鯖江が好きだから移住したいという子は続かないように思います。眼鏡がしたいとか、漆器がしたいという、鯖江でしかできない理由のある子は移住してきますが、そのときには就職先を一緒に探したり、呼んだ以上は、その子も人生をかけてくるわけですから、行政でできる支援だけでなく、個人的にも精一杯応援させていただいてきました。
前市長が「どこの都市でもやっているような金太郎飴のまちづくりではだめ、他市に真似のできないまちづくり」を掲げ、「失敗してもよいから若者の提案は具現化してあげなさい。全部俺が責任とるから」と、若者に居場所と出番を作り、決して成果は求めないというスタンスで今のような環境をつくっていきました。若い人にはとりあえず何かに参加してもらって、自分の居場所を見つけてもらうことが大事です。居場所があれば県外に行っても戻ってきますし、そこに外からやってきてくれる子たちもいます。やってみてだめならだめでよいし、変えられるものは変えていく。そんな柔軟性と寛容性がとても大事です。現市長も「みんな輝く市民活躍のまちづくり」を掲げて、誰もがチャレンジできるまちづくりに取り組んでいます。「市民力」を引き出すためには、市民がまちづくりのステージで主役を演じられるように、行政は、黒子に徹するべきだと思います。そして、全体をプロデュースして、「めがねのまちさばえ」を発信していくことが必要だと思います。
鯖江市には、日本で唯一の産地を有する「眼鏡」をはじめ、伝統と最新技術を有する「繊維」、「漆器」といったものづくり産地があり、そして、1995年にアジアで初めて開催された「世界体操選手権大会」をきっかけに始まったボランティアによる「市民活動」の文化が根付いています。文化が根付くことにより、「市民主役条例」が制定されるなど、他市に真似のできないまちづくりができています。これからは、派手なことをパフォーマンス的にやることも時には必要ですが、先人が築いてこられた「宝」に新たな「文化」を融合させ、鯖江の文化を丁寧につくり上げていくことが大切だと思います。小さなところから文化をつくり上げて、広げていきながら満足度を高め、質を高める仕掛けをしていくことが、市の魅力に磨きをかけ、住み続けたい・住んでみたいと思ってもらえる、選ばれる鯖江市につながると思います。