白水高広(うなぎの寝床代表取締役) - 地域文化の「つくり手」「つかい手」「つなぎ手」が結びつき新たなる経済循環が生まれる
“つなぎ手”による地域文化の再解釈
地域文化は、その文化を受け継いで担っている“つくり手”、生活者としてその文化やものを使う“つかい手”、両者を結びつける“つなぎ手”によって営まれています。ここでいう“つなぎ手”というのは、たとえば地域文化を扱う店舗、問屋、観光事業者などです。この、“つなぎ手”による地域文化の再解釈、再発見のプロセスと文脈の可視化が、その土地の地域文化の解像度をあげていくために重要だと思っています。
魅力的な地域文化のつくり手たちはたくさんいるのに、生活者が直接的に関わる場がないから、そうした文化を知って体験できる機会はほとんどありません。「うなぎの寝床(※1)」は、地域文化商社というコンセプトを掲げて、地域文化を起点に、現代において何をどのように伝えていけばいいかを考えて、事業を展開しています。物はお店があると伝わりやすいし、体験価値はツーリズムがあると伝わりやすい。
情報や文脈を伝えるために、関連書籍を扱う本屋もつくりました。アウトプットの形にはこだわらず、僕たちが本当に伝えたいと思っていることは、地域文化のつくり手の方々の営みそのもの、その文化の背景にある文脈です。
地域らしさや固有性は、他の地域との比較によって見えてきます。住んでいる人たちは当然のものとしてその地域の文化に触れているので、地域らしさを認識することが難しいのです。
だから僕たちのような中間業者や外から来た人間が、他の地域との差異を探しながら、その土地にしかないものを探っていくことが必要です。外から関わる人たちが、地域内の人たちに関係を持って入り込んでいくことで、地域文化の固有性が見えてくる。双方が理解しあうコミュニケーションをとれる接点が、文化観光の持つ役割ではないかと思います。
文化的バリューエンジニアリング
観光としてのサービス化や商品化によって、文化が経済原理に巻き込まれてしまうという観点もあります。しかし商品にするのは悪いことではなくて、コミュニケーションを取り始めるための手段になります。保存だけしていても、文化のつくり手とつかい手との接点がなくなってしまう。
保存だけでも、経済だけでもない、どちらにも偏らない中間のあり方が大切だと感じています。持続させるためにお金は大事ですが、儲かるためにやるつもりはありません。お金はあくまでもコミュニケーションツール。文化との接点となるツーリズムや商品の値付けにおいて、価値が伝わる人たちに対して、その価値に見合う高単価な価格設定もしていく。そのように価格を付けたほうが価値に気付いてもらえて、より多くの人とコミュニケーションを取れるのではないかという発想で事業化しています。
商品やサービスの価値を、それが果たす機能とコストとの関係で測る「バリューエンジニアリング」という手法がありますが、この手法によれば価値を上げるためには機能を上げるか、コストを下げるかしかありません。文化において、機能とコストの話だけをすると殺伐とします。文化の価値は、商品的な機能性やコストによってのみ左右されるものではないのです。「文化的バリューエンジニアリング」と呼んでいるのですが、「歴史性」や「思想」に、誰かの「視点」をどう盛り込んで掛け合わせていくか、それによってどのような付加価値を付けていくかが重要だと捉えています。
価値のある文化を高単価にしていくことで文化に触れにくい層も出てきます。宮本常一の『旅と観光』に、宿帳に学生の若い年齢の名前があると、その地域は十年後に栄えるということが書かれています。お金はなくともその土地や地域文化のファンになってくれる人もまた、地域が大切にすべき人です。パン屋や本屋、ゲストハウスのような、誰もが簡単に行けてその地域に触れられる場所があることも大切なのです。
文化はその土地にすでにあるものです。人と人、人と土地が関わり合って生まれる現象の総体としての文化。またその土地独自の風習や習慣、蓄積を、言語や画像によってイメージング化したものとしての文化。文化にはそれら二つの特性があって、そのそれぞれの文脈化を誰がやっていくのかがとても重要です。
今この「視点」が足りていないと感じています。地域文化の背景にどのような思想や価値観があるのか、なぜその技術や素材でつくられているのか、どのような環境で文化が生まれ育ったのか。その地域ならではの文化の固有性をひもといていくための、地域の視点と外の視点、両方の視点がないと、なかなか価値の評価は醸成していきません。
商品にならない「文化」の価値をどう伝えていくか
忘れてはいけないのは「商品にならないと文化として価値がない」わけではないことです。文化としての価値はあっても、商品として価値を伝えるのが難しい。そのような領域にある文化をどう取り扱い、伝えていくかは大きな課題です。
オランダでクラフト・カウンシルという団体の人たちと意見交換をしたことがあります。クラフトの価値を、もう一度ヨーロッパで定義し直そうとしている人たちです。彼らによるとヨーロッパでは、クラフト・ものづくりはアートとして扱われているか、ただの趣味として扱われるかの二極になってしまっているとのことでした。日本のようにクラフトやものづくりが産業として残っていることが、オランダの人たちからするとすごくうらやましいそうです。
日本は、伝統工芸として地域文化や無形文化を保存する施策もあり、保全が手厚いため古いものが残っている。そのために僕たちは今、その文化に触れることができています。現在において価値があるかどうかわからないけれど、残す選択をする。すごく重要なことです。
それがすぐに生きるのか、30年後にあのとき残しておいてよかったと思うのか、どこで生きてくるかはわかりません。もちろん古いもの全てを未来永劫に保護することは不可能ですし、そうすべきだとは思いません。大事なのは、気がついたら文化がなくなっている、誰も知らないところで失われていく、という状況を避けることです。文化の価値を掘り起こし、その文化に染み付いた物語をどう伝えていくか、文脈を編み出していくかが重要です。機能価値は模倣されようとも、その物語は唯一無二ですから。
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