文化庁 文化観光高付加価値化リサーチ 第四章 ランドスケープ・空間 - 考察
0.ランドスケープ・空間とは?
「ランドスケープ・空間」は、自然の営み、人々の暮らしや価値観の集積である。そこでしか体験できない地域ならではの自然や街並み、建物・空間があるからこそ、人々はその地域を訪れる。そして、長い年月をかけて積み重ねられてきた大切な風景は、現代を生きる人々が意志を持って守っていかなければ未来に継いでいくことはできない。街並みや建物をハードとして残すだけなく、活用を促進し文化や営みと共に更新しつづけることが重要だ。
1.ランドスケープ・空間を考える上での問題意識
私たちは、その土地の風景(ランドスケープ・空間)を見て、感じるためにさまざまなところを訪れる。人はどうして見知らぬ土地の風景に心を奪われるのだろう。それは、その風景が単に美しいというだけではなく、長い歴史の積み重なり、自然や人々の営み、思想や精神性が凝縮されたものだからではないだろうか。観光客向けに作られたものではなく、また機能性や利便性だけではないその地域ならではのランドスケープ・空間。その地域にしかない景色、建物や空間が持つ場の力をいかなる価値として捉えていくかは、訪れる者にその地域にしかない魅力を伝えるとともに、土地の風景、そして風景とともにある文化を未来に繋げていくために極めて重要な視点だ。
2.風景に染みつく地域の文化
土地の風景(ランドスケープ・空間)は地域の暮らしや文化と切り離して捉えることはできない。自然が広がる景色に限らず、建物の連なる街並み、地域に住む人々がそこに生活している姿もふくめて、風景は形作られる。つまり風景というものは、その一つひとつが自然のはたらきや、そこで営まれてきた人々の暮らし、育まれてきた文化や産業、歴史の集積が染みついたものであり、美意識や価値観の結晶である。誰に言われるでもなく道端のゴミを拾う。名もなき草木を大切にする。行き交う人々が笑顔で挨拶を交わす。ありふれた日常の景色に触れることで、私たちはその地域が大切にしてきた価値観を感じる。暮らしに触れ、その中で培われてきた生活の知恵を理解するためにもその土地のランドスケープ・空間が果たす役割は大きい。たとえば同じ地元食材の料理だったとしても、どこにでもあるような均質的な空間で食べるのと、古くからの地域の暮らしが染みついた古民家で食べるのとでは全く別の体験となるだろう。柱や壁の質感、かつての生活を感じさせる間取りや構造など、建物に染みつく暮らしの痕跡一つひとつが、訪れる人の体験価値を高める。
そのようにランドスケープ・空間に入りこむようにして、地域の暮らしや文化を体感するには現地に足を運ぶ必要がある。訪問者はその地域に根づく美意識や価値観を全身で感じることで、表面的ではないその地域ならではの風景に触れることができる。そうした体験をすることが、そこでしか得ることのできない豊かな感動を訪問者にもたらす。そしてその感動が生じているという事実が、地域に住んで日常をすごす人々に対して新鮮な驚きを与え、当たり前に目の前にある風景が持っている価値の再発見を促していく。
3.生きた文化の営みが風景を生かす
文化が染みついたものとしてのランドスケープ・空間に価値を置くとすれば、単に街並みや建物だけを保存したとしてもその価値は限られてしまう。その風景の中に生きた文化の営みが息づいていることによって、風景もまた生きたものとして価値を見出せるようになる。文化資源の保存から活用へ。それは街並みや建物をハードとして残すだけでなく活用することで、風景(ランドスケープ・空間)と共にそこに染みついた文化を受け継いでいくことを意味する。たとえば、かつて暮らしの場だった古民家集落。集落としての役割は薄れ、人の行き交いは失われていくが、その集落は美しい日本の原風景として多くの訪問者を魅了する。古民家を一棟貸しの宿やレストラン、店舗に改装することで、家々は本来のありかたを取り戻す。そこで生み出されるのは、観光収入額や短期的な経済指標では測りきれないさまざまな価値だ。暮らしの価値観、生活文化の営み、地域コミュニティの再生。やがて住民の誇りや活動の熱量が高まり、新たな人の行き交いが生まれ、観光収入は地域に還元され経済的な貢献をもたらしていく。文化観光によって、訪問者との交流の中で集落は新たな共同体として生まれ変わり、自然と共存する人々の生活文化がまた紡がれていく。経済指標を超えてさまざまな価値を生み出す文化観光の高付加価値化のひとつの重要なあり方だ。
4.風景を残していく地域の意志
人口の急減によって地域の空き家や耕作放棄地は増え、限界集落は増加し、かつての繁華街はシャッター街となっている。暮らしとともにあった豊かな風景はなくなっていき、自然や街並みはその美しさを失っていく。時代の変遷を経て役割を終えた建物は壊され、新しく作り変えられていく。建物は古くなれば脆くなり壊れていくのだから、災害対策上の安全性や利便性の向上を考慮すれば、時代にあった新しいものに置き換えられていくのも当然かもしれない。しかし趣ある古い街並みや建物がもつ風景の価値もある。地域にとっての風景が持つ価値はハードや機能、経済的価値だけではない。古くから残る街並みや建物が壊されることになるとしばしば批判や反対の声が上がるのも、建物やそれを取り巻く風景がその機能価値以上に地域のアイデンティティとなっているからかもしれない。
だからこそ、残したい街並みや建物は強い意志を持って自分たちで守っていかなければならない。過去のものを未来に引き継ぐだけではない。今も私たちは新しい風景を作り出している。私たちの今の生活、文化や産業、自然との関わり、美意識や価値観を反映したランドスケープ・空間が更新されつづけている。地域の象徴となるようなランドスケープ・空間を守っていくために、地域住民、事業者、行政、関係する人々が皆で自分たちのまちをどうしたいかを議論し、行動していく必要がある。まちづくりは誰かのものではなく、関係するすべての人々の集合意志だ。
たとえば、かつて世界遺産登録によりオーバーツーリズムの波が訪れた石見銀山は、大森町らしい“暮らし”を守るため、住民の総意で住民憲章を制定した。この住民憲章がまさに、ここで言う「集合意志」だ。住民憲章は下記の言葉とともに公開されている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?