臼井泉 / 臼井ふみ(島根県大田市温泉津町日祖在住) - 私たちがいなくなっても、地域文化を守ってくれる人がここにいてほしい
臼井ふみ:私は松江に生まれて、主人の実家に帰ってきた20年前から日祖に暮らしていますが、当時の日祖は海で岩海苔やワカメ、山で山菜を採り、江戸時代の人もこういう生活をしていたのかなというのが見えるような、そんなところでした。
臼井泉:まだ大正生まれの人が多くいて、戦前の生活をみんな経験していましたから。いまこの集落は11軒で、総勢22人です。そうした集落の中に外の人が入ってくるということは、とても大きな影響があります。だからここにゲストハウスを作るという話があがってきたとき、最初私は反対していました。
臼井ふみ:私も反対でした。ゲストハウスというと、安っぽい宿に外国の方が出入りしているというイメージがあったんです。
臼井泉:騒音やごみ、治安の問題が起こると思っていました。平和に静かに暮らしているのに、知らない人がたくさん来たら大変だと。けれど近江さんが孤軍奮闘で頑張っていたし、何度も説明会をやってくれました。
臼井ふみ:集落でのお話し合いには、普段は男性しか出ないのです。でもその時は「私も出てもいい?」と言って参加しました。他の家の女性も出てこられて意見を言われていて、性が集落のあり方に関われるということは、この集落にとっては画期的なことで大進歩だったんです。説明会ではとにかく近江さんが、一つひとつの質問に真摯に答えていました。私も結構きついことを言ったのですが、それでもすごく一生懸命に答えてくれました。そうした近江さんの人柄も大いに関係しています。
臼井泉:がらりと気持ちが変わった出来事がありました。近江さんが「この地域、この土地がとてもいいところだから、『住んでみたい』という人が出るようになればいいな」と言ったんです。
私たち夫婦は子どもは女の子1人しかいなくてお嫁に出してしまったから、私たちが亡くなった後はどうなるかというと、臼井家はもうなくなります。そういう家がたくさんあります。ここは住むのにいいところだし、特産の岩海苔もワカメもあります。今はどんどんつくる人がいなくなっていますが、板ワカメという島根や鳥取の海岸で作られる独特の産品もおいしいと喜ばれます。私はそういうものが文化遺産だと思っているのです。私たちがいなくなっても、そんな文化を守っていってくれる人がここにいればと思います。
だから、「泊まったお客さんの中から、『いい所だな』『ここに住んでみたいな』と思うような人が出てきてほしい。そのためにここをつくります」と近江さんが言ったとき、そういうことなら協力しようと思いました。臼井家はそのうちなくなるけれども、ここに住み着く人が出てきて、大切な岩海苔やワカメを守っていってくれたらと思います。
臼井ふみ:私としては住むということはなかなかハードルが高いから、とりあえずいろいろな人が来てくれたらいいなと。その先に、誰か住む人も出てくればと思います。お客さんを選ぶというと変ですが、近江さんはその辺をきちんとされていて、あまり変な人が来ないように宿泊料金を少し高く設定しています。
彼女が地元に住んでいる人だということも大きかったです。よそから来て企画だけしてどこかに行ってしまうような人ではなくて、彼女はずっと地元に住んでいると思ったら、やはり信用できるでしょう。
HÏSOMができて実際にいろいろな方がここに来るようになって、人に会えることがとても楽しいです。自宅に居ながら、世界を飛び回っている女性や起業している女性など、絶対に会うことのできなかったような人が向こうからやってくるのですから。うれしいのは、来てくれた人が一度だけではなくまた帰ってこられることです。
WATOWAにも料理人が変わるのでしょっちゅう行きます。各地から来た料理人の方々が温泉津の食材を使っていろいろな料理を作ってくれるのが、とてもおいしかったです。HÏSOMやWATOWAがなかったら会う機会のなかった方々と自身の趣味(野花のフラワーアレンジ、郷土料理)を生かしながらお付き合いできる。人生とは何歳になっても思いがけない展開をするものだと驚いています。